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 食事に連れて行ってやると、彼は実に行儀良く、いただきます、と手を合わせた。

「身元も引き受けてもらって、食事もいただけるなんて、ありがたいです。親にバレたら今度こそ家に連れ戻されていたかもしれないので」

「君ねえ、そんな悪いことしてるの?」

「犯罪はしてません。でも、色んな所で酔って寝てたり、揉め事に巻き込まれたりしていたら、学費以外出さないって仕送りを止められてしまって」

「でしょうね」

 親の顔が見てみたいとはよく言うが、今回は親も頭を悩ませているパターンのようだ。

「まあ、食事に来たんだからゆっくりお話ししましょう。そうね、まずは君のことを聞かせてもらえる? 現役の大学生が、どうして新興宗教団体同士のトラブルに居合わせるに至ったのか」

 促すと、彼は静かに食事をしながら、ゆっくりと語り始めた。

「僕は、聖廉せいれん大学の文学部に在籍しています。専攻は一応、英米文学です。今年で、三年生になりました」

「名門じゃない」

 聖廉大学。歴史は浅いが、古株の名門大学と肩を並べる難関として名が挙がる私立大学だ。確かに、彼の言葉遣いや食事の仕方など、立ち振る舞いからは一定以上のインテリジェンスを感じてはいた。

「作家を志していて、世界中のあらゆる芸術の研究をしています。黄衣の王とルルイエ教団に接触したのは、二つの教団がそれぞれ教典として所持している本に芸術的価値があるからです」

「黄衣の王の教典って、もしかして同名の本?」

「珍しい。ご存じだったんですね」

「戯曲ってことと、曰く付きってことしか知らないの。他のことは知ってる?」

「じゃあ、こんなことは知ってますか? 戯曲そのものが、ハスターを召還するための儀式だって話」

「なんですって?」

 恋が食いついたことに気をよくしたのか、彼は微かに笑ったように見えた。

 またもや緑川からの情報が頭を過ぎる。黄衣の王が上演され、集団ヒステリーが引き起こされたという話。まさか本当に、当時神が顕現したとでもいうのか。

「今回上映するのは神威歌劇団ですよね。僕も一度観たことがあります。あれだけの技術を持った集団が演じれば、もしかしたら本当に神を召還できるかもしれませんよ」

「それを知ってて、ルルイエ教団は阻止しようとしてるということ?」

「僕は正式な構成員ではないので断言はできませんが、今まで壇日を中心に活動していたルルイエ教団が、急に高円寺に進出し始めています。一昨日の抗争は、元はと言えばルルイエ教団が黄衣の王の縄張りに踏み入ったことが原因です。そもそも、ルルイエ教団の神であるクトゥルフと、ハスターは対立する存在にあるそうです」

「だとしたら」

 止めないと、と言いかけて気がついた。上演を止めれば、役者達の活躍の場を奪ってしまう。流行病に翻弄され、晴れの舞台を奪われ続けた彼等が待ち焦がれていた場。それだけではない。物理的にも大きな損害を出すことになるだろう。さりとてこのまま上演をさせてしまえば、一体どうなるか。

 もし、ヒトラーの傍らに本当にハスターがいたのだとしたら。ヒトラーが第二次世界大戦を通じて為そうとしたことは、もはや言うまでもない。アーリア人を頂点とした世界の創造。即ち、世界征服。

 現代の日本にハスターが降臨したら、一体何が起こるか。恋には想像がつかない。確かなのは、集団ヒステリーでは済まない惨劇が起こるということだ。どちらに転んでも、悲劇。

「畜生……!」

 苛立ちに、危うくカトラリーを床に投げつけるところだった。

 冷は、最初からこれを狙っていたのだ。

 恋が取材した黒木に近づき、喰屍鬼の巣に証拠を残し、そこから黄衣の王に敢えて接近させる。その上で犬養に呪われた戯曲を与え、恋に二者択一を迫るように仕向ける。全て、冷に躍らされていたのだ。黒木カズラと神威歌劇団を巻き込んだ、盛大な筋書き通りに。

 このままどちらかの道を選べば、冷の思惑通りになってしまう。それを避けるには、邪神の降臨を防いだ上で、無事に公演を終わらせるしかない。そんな玉虫色の解決法があるのだろうか──頭に過ぎった不安を振り払う。あるかはわからないが、逆を言えばないと決まったわけでもない。

「ルルイエ教団が祀るクトゥルフと、黄衣の王が祀るハスターは対立する存在だって言ったわよね。ハスターに対抗する方法とか、心当たりはない?」

「確実ではありませんが、一つだけ当てがあります。僕の本来の目的である、ルルイエ異本です」

「ルルイエ教団にとっての教典ね」

「教典にするくらいですから、仮想敵であるハスターへの対抗方法が記されていてもおかしくはないと思います。ただ、書かれている言葉が古ラテン語なので、翻訳作業が必要です。それは僕ができると思うので、協力することにやぶさかではありません。見返りを頂けるのであれば」

「できることならなんでもするわ。望みは?」

「貴方はライターさんですよね」

今度は、小田牧が身を乗り出す番だった。

「僕を出版業界の人に紹介していただきたいんです。作家を志す身としては人脈が欲しいし、欲を言えばライティングの仕事もしたい。学生というのは、金に困っている生き物なので」

「お安い御用だわ」

 最近の若者は抜け目なく、交渉上手だ、と内心舌を巻く。事態が解決した暁には、緑川に窓口となってもらおう。彼の頭痛の種が増えるかもしれないが、恋も一応仕事で実績は出しているので目を瞑ってもらうことにする。

「それともう一つ。僕に神威歌劇団の公演チケットを手配してください。黄衣の王の原書を読むより参考になりそうですが、流石に発狂したり死んだりしては元も子もないので」

 つまりは、必ずハスターに勝つ方法を見つけ出せ、ということだ。

「わかった、約束しましょう。でもルルイエ異本そのものを手に入れることはできるの? 教典扱いされているなら、厳重に保管されているんじゃ?」

 いくら協力してもらうとは言え、未来ある若者の身を危険に晒したくはない。しかし、彼はこともなげに食事を飲み込んで答えた。

「それは大丈夫です。僕は教団からルルイエ異本を多国籍語に翻訳するという仕事を請け負っているので」

「だから教団と行動していたのね」

「見返りにお酒を奢ってもらっていたんですが、その帰りに黄衣の王に見つかってしまって。まあ、その時僕はもうべろべろだったのでなんにも覚えてないんですけど」

「豪胆というか、破天荒というか。大人しそうな顔してるのに、とんでもないことするのね」

「全部小説の糧にするためです。貴方だって、なにか目的があるからこんな風に探偵みたいなことをしているんでしょう」

「それはそうだけど」

 それとこれとは話が違うだろうと思ったが、何も言わないでおいた。最近の優秀な若者の考えることは、よくわからない。

「そういえば、ルルイエ教団の教祖ってどんな人?」

 ルルイエ教団の教祖。つまりは、実質的に冷の敵対者だ。話が通じる人間であれば、協力を取りつけることができるかもしれない。

「僕も直接会ったことはないので、よくわかりません。教徒の中にも、直接会ったことがある人間はほぼいないんじゃないでしょうか」

「姿を現すことがないってこと? 名前も名乗らずに?」

「ええ。一応自分のことはクティーラと名乗っています。教えによれば、クトゥルフの娘に当たる神格の名前のようです。男が女神を名乗るのはちょっと考えにくいので、女性であることは間違いないんじゃないでしょうか」

 確かに、男であれば娘よりも主神であるクトゥルフを名乗るだろう。よほど警戒心が強くて、正体を誤認させるために性別を誤認させている可能性も、一応頭に留めておいた。

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