第7話 街

 グリア王国で唯一栄えていると言っていい城下街は賑やかで、午前中から人の往来が多くあった。道行く人に呼び込みをする店主、横並びで楽しげに喋る女性たち、レンガ道に座り込んで遊ぶ子供。アグニは次々と目に入ってくるものを恐々と眺めながら、臆さず歩くコガの背中について行っていた。


「コ、コガはよくこの辺り来るの……?」

「うん! ごはん買いにきたりする」


 コガはキョロキョロと周囲を見回しながら言った。どこか上の空なのは、肉屋の看板からお買い得品を確認し、八百屋に並べられた野菜の品質に目を光らせているからだろう。アグニはコガの視線を追いながら、ガックリと肩を落とした。コガは帰路で食料を買い込むつもりのようで、アグニがなるべく情報を遮断しようと縮こまるのに対し、全身で情報を拾いに行っている。


(僕、今すごく情けないかも……)


 アグニは背中を丸めてフードを被り、はあ、とため息をついた。その息に熱がこもっていないのが幸いだった。街を歩き慣れている友人がそばにいると、抱えていた不安は霧散していく。

 あれから二人は、散らばったゴミをかき集めて捨てたあと、一度家に帰って家族に昨日からの経緯を報告することにした。セシルは特に口出しせず、早々に仕事に戻った。『保持』という無骨な言葉に対し、監視体制は比較的緩いらしい。それぞれ城に持ち込む荷物を携え、日が沈む頃には戻る予定だった。

 アグニは緊張から気を逸らすため、母親にどう説明するか考えていたが、ぶつぶつと献立を呟くコガを見てふと尋ねた。


「コガは毎日ご飯作ってるの?」

「うん。わたし……何て言うんだっけ、サトオヤと暮らしてるの。その人は料理できないから」

「里親……そっか、コガは偉いんだね」


 アグニは心底そう思いながら、無意識に目で追っていた本屋から目を逸らし、地面に視線を落とした。背はますます丸まり、コガの背に隠れるほど小さくなっていく。


「ふふ、好きだからできるんだよ。今晩アグニにも作ってあげる! アグニ、料理は?」

「僕、料理はほとんどしたことない……母さんに頼りきり。コガを見習わなきゃいけないこと、沢山あるなぁ」


 コガは口の端に笑みを浮かべると、しょんぼりと頭を下げたアグニを覗き込んだ。


「『おぎないあえばいい』って、アグニが言ったんじゃん! 昨日みたいなむずかしい話はアグニに任せるから、料理はわたしにやらせてね」


 ニコニコと笑いかけるコガを、アグニは目を細めて眺めた。矢継ぎ早の肯定はくすぐったく、コガの背後から光が差しているような気がした。


「お言葉に甘えるよ……」

「あ、あっちのお店も見てみよ!」


 コガは突然そう言うと、ダッと駆け出した。足取りは軽く、黒髪は踊るように跳ねている。朝から大掃除をしたにも関わらず、どうやら元気が有り余っているらしい。


「待っ……‼」


 アグニは言い切ることもできないまま走り出すと、食料品店の店頭で小首をかしげるコガに何とか追いついた。箱のまま並べられている調味料類には、安さを強調するような値札が貼られている。コガは息を上げてすらおらず、まじまじと商品を眺めている。頭の中ではどんな料理を作るのかイメージできているのか、口角は上がり、鼻歌交じりだ。アグニは息が整うまで、そんなコガを微笑ましく眺めていた。

 食料品店は街角にあり、隣は広場になっていた。城が展望できるロケーションであり、大時計やベンチが設置されているところを見ると、ここがこの街の中心なのだろう。


(何年も住んでるのに、こんなことも知らないなんておかしいけど……)


 アグニは肩をすくめると、大時計の下に立っている人々を眺めた。本を読む人や、隣の友人と雑談する人。待ち合わせをしているのか、ただ時間を潰しているのか、彼らは周囲に目もくれず、それぞれの用事にだけ集中している。

 アグニは、額縁に入った絵を鑑賞するような気持ちでそれを見ていた。コガが調味料のボトルを手に取るのを視界に捉えながら、ぼんやりと呟く。


「なんか、不思議な感じがするな」

「え?」


 産地の違う塩を見比べていたコガは、アグニが零した一言に振り向いた。


「だって、予想してなかったことが次々起こってて……あんなに外に出るのが怖かったのに、こんなにあっさり……」


 アグニはどこか浮ついた気分のまま、そこで言葉を止めた。コガはきょとんとしていたが、じっとアグニを見つめたあと、少し眉を下げて笑った。ボトルを箱に戻して道の端に移動すると、アグニに向かって手招きする。

 レンガ造りの建物の壁にもたれかかり、二人はしばらく往来を眺めていた。誰とも目が合わず、声をかけられもしない。壁と同化しているような感覚だった。

 コガは青い目を瞬かせて、アグニの方をちらりと見た。建物の影で仄暗い中、その瞳は一層輝いて見えた。


「わたしも、たまに不思議に思うの。ここにいる人たちの誰とも同じじゃないのに、何でもない顔してここを歩けるのって、不思議だなーって」


 コガはそっとアグニの指先を握った。風をふわりと感じる。アグニはコガの気遣いを察して、そして初めて自分の手が震えていたことに気がついた。


「街に出るのが苦手なの、分かるよ。今は『ふつう』のフリができてるけど、何かのきっかけでバレちゃうかも。そうしたら、ここでは暮らせなくなっちゃうかもって」


 コガの声は尻すぼみになった。アグニは指先を握り返す。


「コガも……バレちゃったことあるの?」

「アグニも? じゃあわたしたち、やっぱり同じだね」


 コガは少し寂しそうに言うと、気を取り直すように背筋を伸ばした。


「でもやっぱり、わたしはがまんできなかったの。街もお買い物も好きだから、家にいるともったいないって思っちゃって」

「確かに、今のコガは楽しそうだね」


 アグニはくすくすと笑った。コガは長い袖を口元に当てて目を細める。


「すっごく楽しい! どんなごはんを作ろうかな、何を買おうかなって考えてるから、『怖い』より『楽しい』が大きいんだ」


 コガはすぐに笑顔を忍ばせ、「でも」と続けた。


「アグニのこと、あんまり考えられてなかったかな……自分の『楽しい』ばっかりだったよね」

「そんなことない!」


 アグニは焦って否定した。思ったより大きな声が出て、慌てて身をかがめる。


「何年も街から逃げてきた僕が、こうやって歩けているのは、コガがそばにいて楽しそうにしてくれるおかげだよ!」

「そう?」

「そうだよ!」


 コガは上目遣いで首を傾げていたが、アグニが必死に主張するのを見て顔を綻ばせた。アグニは繰り返し頷いたあと、おどおどと口を開いた。


「それに、もったいないって気持ちも少し分かった。僕は心のどこかで、街に一歩出たら、石を投げられるんじゃないかって思ってたんだ。そうやって一人でストレスを溜めて、いつのまにか一歩も踏み出せなくなってた」


 一呼吸置いて続ける。


「でも、コガと一緒に一歩踏み出せて、今の僕は街を歩けるんだって分かったから……それに、さっき通りすがった本屋も気になるし、広場のお兄さんが読んでいた本も気になるんだ。って、本ばっかりだけど……」


 アグニは言葉を止め、困ったように笑った。喋りすぎたかと内心焦りながらコガを伺うと、コガはいたずらっぽいにやけ顔でアグニを見つめていた。


「ふふ、わたしが思ったよりも大丈夫そう?」

「そ、そうかも……」

「じゃあ、わたしの家はこっちだから、一人でがんばれる?」

「ええっ⁉」


 アグニは声をあげたが、コガはぱっと手を離して一歩飛び退いたところだった。汗を浮かべるアグニの顔を面白そうに眺め、ぺろりと舌を出す。


「だってわたし、本屋さん興味ないもーん」

「ほ、本屋は今行きたいってわけじゃなくって……」


 コガは広場に向かって歩き始めると、ひらひらと手を振った。


「だいじょうぶだよ! アグニが自分で思ってるよりずっと大丈夫!」


 アグニは、やたらと自信満々なコガを縋るような気持ちで見ていたが、ぐっと歯を食いしばって頷いた。実際家の方向は違うのだし、いつまでもコガに付き添ってもらうわけにもいかないのだ。


「う、うう、頑張るよ……」

「がんばって!」


 コガを見送りながら、アグニは自分を叱咤するように背筋を伸ばした。先ほどまで繋がれていた指先を胸に当て、大きく深呼吸をする。胸の高鳴りはあるものの、心に負荷がかかっているような感覚はない。


(うん、大丈夫だ)


 そうして、郊外の自宅に向かって歩き始めた。日が眩しかった。

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