第3話 誘い
二人は同時に声の方を向くと、すぐに離れて立ち上がった。
いつの間に部屋に入って来たのか、ドアにもたれかかった眼鏡の男……セシルは、アグニが最後に見たときと全く同じ格好で、二人に冷めた視線を向けていた。
(そうだ、僕たちはまずこの状況を解決しないといけないんだ)
アグニはぶり返しかけていた涙をパーカーの袖で拭ったあと、セシルをきっと睨みつけた。コガもアグニの横に並ぶと、一瞬だけ目を合わせて頷き合う。言葉にせずとも目的は共通していた。協力してここを抜け出すのだ。
セシルはその様子を観察すると、二人の警戒など何でもないかのように息を吐いた。面倒そうでも、嫌そうでもない。一つ一つの動作に感情がないのが不気味だった。
「セシルだ。君には挨拶をしていなかったから———」
「コガって呼んで!」
コガはセシルに向けられた視線に気づき、すかさず言った。眉根を寄せ、敵意を隠さずに続ける。
「わたし、あなたの顔を見てから何も覚えてないんだけど。わたしに何したの?」
「……コガ、手荒なことをしたのは申し訳ないと思っている。そこのアグニが、連行する際に酷く抵抗したので。君にも抵抗されるわけにはいかなかった」
突然責任の一端を負わされたアグニは、全く悪びれないセシルの主張を苦い顔で聞いていた。
(コガには挨拶もなしに、そのまま気絶させて拉致したってことか……)
当然、まともな人間がするやり口ではない。この男に監禁されている今の状況が、より一層深刻なものに感じられた。
セシルは形式的な謝罪を終えると、部屋の奥に歩みを進めた。思わず体を固くするアグニたちには目もくれず、長いコートを翻してさっさと窓辺に近づく。
「警戒するな。君たちに逃亡の手段はないが、危害を加えるつもりもない」
「ま、待って」
アグニは慌てて口を挟んだ。
「逃亡の手段はない……って、僕は、僕たちは、家に帰れるの?」
セシルは窓の方を向いていた椅子をアグニたちの正面に置き直すと、浅く腰掛けた。そして、あっさりとした口調で返答する。
「今その質問は意味がない。長くなるが、先に私の話を聞いてもらおう」
「い、意味って」
アグニはさらに食い下がろうとしたが、陶器のような瞳にじっと見つめられて口を閉じた。ただでさえ状況が掴めない上、質問さえ許されないのなら、確かにこの危険な男の話を聞くしかない。
セシルはアグニが閉口したのを確認すると、黒い縁の眼鏡を押し上げる。動作はゆったりとしており、全く警戒している様子はなかった。
「簡潔に言おう。君たちの能力を、グリア王国に保持させて欲しい」
「……ほじ?」
コガはきょとんと繰り返した。セシルは頷くと、薄い唇を開いた。
「この国は先進国に大きく遅れを取っている。公共事業は国民の生活レベルに追いついていない。制度や施策は運用が安定する前に形骸化している」
「けいがいか……?」
「そ、それは知ってるけど……」
コガは言葉の意味が分からず、頬を赤くして首をひねる。アグニは眉をひそめて相槌を打った。
アグニが生まれるより前の話になるが、グリア王国が興った当時は、大洋にぽつりと浮かんだ島国として、主に観光事業が目玉になる予定だったらしい。しかし現在は、城下を除いて賑やかな街などなく、郊外には電灯も舗装もない。人口は減る一方だった。
「確かその原因って、国王がずっと病気だからだよね?」
「そうだ」
アグニの質問を、セシルは窓の外を眺めながら肯定した。視線の先には一際大きな塔がある。あそこに国王がいるのかもしれない、とアグニは思った。
「王政であるこの国で、国王の政治権力は強い。しかし君の言う通り、国王は長年病で伏せっていて、十数年最高権力者が不在になっている」
「さいこうけんりょく……?」
「さすがに色々問題があるんじゃ……」
アグニは気が滅入りそうになりながら言った。引きこもりながらも、この国の機能に問題があるのは認識していたが、そこまで酷い状態とは思っていなかった。
国王に兄弟はおらず、早くに妻を亡くして子もいないため、王位継承者がいないというのは聞いたことがある。それがこの現状を招いていると言うのなら、やはりこの時代に古典的な王政は難しかったのでは、と思わざるを得ない。
セシルは何か言いたげなアグニを見ると、「とにかく」と続けた。
「この国の海域は資源も豊富で、周辺国からの圧力も強い。それにも関わらず、これほど国力がないようでは、数年のうちに立ち行かなくなるのは目に見えている」
「こくりょく……?」
コガがぼんやりと復唱するのを聞きながら、アグニは顎に手を当てて考え込んだ。自分が住んでいる国の話だと思うと末恐ろしいが、言っていることはよく分かる。
しかし、肝心なところが掴めなかった。横でコガが頭から湯気を出しているのを捉えつつ、アグニは不思議そうに尋ねた。
「でも、それって僕たちと関係あるの?」
「ある」
セシルは淡々と言った。眼鏡の奥で、グレーの瞳がちらと光を持つ。
「君たちには抑止力になって欲しい」
怪訝な顔をするアグニを、セシルは品定めするようにじっと見つめた。
「君たちのような、特別な能力を持つ人間は、既に存在自体は認識されている。非現実的かつ人道に反するために手出しされていなかっただけで、ずっと利用価値は測られていた」
「そ、それって」
「始めに言った通り」
動揺したアグニの声を、セシルは強引に遮る。
「約束しよう、君たちに危害は加えない。ただ、グリア王国の抑止力として、未知の存在のまま保持されてくれればそれでいい」
アグニはセシルを見つめ返しながら考えた。アグニたちに協力を求めている割には、全く下手に出ず、随分と余裕そうだった。
(たぶん、言っていることは本当……)
隠していたはずの能力が、実は周知のものだったというのも、驚きこそするが意外ではなかった。事故的に外で能力を使ってしまったことは何度かあるし、コガも同じではないかと思う。
「こういう連れ去り方をしたってことは、拒否権はないんだよね?」
「少し違う。拒否する理由がないと思っている」
セシルはおもむろに立ち上がると、細長い指で部屋を示した。
「気がついていると思うが、ここはグリア王国の城だ。君たちには、先ほどの話を了承した上で、ここに移り住んでもらいたい。その間の生活は保証する」
「く、暮らすって、ここで!?」
アグニは、「何か問題が?」と言いたげなセシルの顔を見て肩を落とした。少し話して分かったが、まともに話が通じる相手ではない。彼の中では全て確定事項で、了承以外の選択肢は鼻からないのだろう。
感情を度外視して理屈だけで考えるのなら、アグニがこの城に移り住むことに障害はない。何しろ、単に引きこもる場所が変わるだけだ。何ら問題はないように思える。もちろん、今までの話をそのまま信じるならの話だが。
(でも、この人)
眉を寄せて考える。
(良い人ではないけど、悪い人でもなさそうなんだよな……って、そんなのおかしいけど)
アグニは、銃で脅されて拉致された立場でありながら、妙な信頼を抱き始めている自分に奇妙な感覚を覚えた。そしてふと一番の懸念に思い至り、さらに質問を重ねる。
「僕の母さんには、何もしないんだよね?」
「ああ」
セシルは思い返すような素振りをしたあと、すぐに頷いた。しばし間を開け、至極真面目な顔で尋ね返す。
「この質問は二度目だが、なぜそんなことが気になる? 君に用があると言っただろう。母親には全く興味がない」
「あ、あの『さあ?』って、本当に言葉通りの意味だったんだね……」
アグニはすっかり肩の力を抜いて苦笑した。何となく、セシルという人間の性質が掴めてきた気がした。ロボットみたいな人だ、と失礼なことを思いながら、アグニは思い出したようにコガの方を振り返った。
「コガ、今の話だけど———」
「わ、わたし」
被せるように、コガがぽつりと呟いた。
「わたし、この国がどうとか、今のはなし、全然わからなかったんだけど」
恥ずかしそうな、小さな声だった。
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