第4話 パンツ見たじゃん!

 次の日、学校に着くとすぐに達也はちひろの元へ向かった。

 そして昨日の夜に絶対に忘れないという強い意志とともに鞄に入れた進路指導の紙をちひろに昨日のお礼とともに渡した。ちひろはいつもクラスメイトに囲まれている。一人になるような上手いタイミングを見計らおうとも思ったが、なかなかそんな機会は都合よくは訪れてくれず、一刻も早く自分に課せられた使命を果たしたいと考えた結果、女子生徒の話を割って入る形になってしまった。そのせいで少し奇異な目で見られてしまったが、なんにせよ、達也は先生からの任務を一日遅れではあるがコンプリートしたのだった。とても晴れやかな気持ちだった。

 

 昼休みに入り、母親の作ってくれたお弁当を食べ終わり、自分の席で日課の読書に耽っていると、突然声をかけられた。

「おい、鈴木となんかあったのか?」

「うわ!」

 唐突に視界に入ってきた光一の顔面に驚き、後ろへバランスを崩してしまう。重力に逆らうことなくそのまま達也は教室の床へとダイブを決めた。

「おお……そんなに盛大にころげ落ちるとはな……やっぱりお前パフォーマーとして天下を取れる素質があるぜ。ほらこの手を取れ」

 達也は光一の手を取り、制服についたほこりをぱんぱんと払い、ゆっくりと立ち上がる。盛大に転げた割には全然痛みがないのは幸いだった。

「いらないよ、そんな素質」

 達也は再び椅子に座りながら、光一に言った。

「いや、何かにつけてオーバーなリアクションを取れるのはステージに立つ人間にとってはとても大事なことなんだぜ」

「別にわざとオーバーリアクションをとったわけじゃないよ」

「じゃぁ天性のものってことか。尚さらすごいじゃねぇか」

「いや、そういうことじゃなくてさ」

「だからさ! やっぱ一緒にバンドやろうぜ。お前の歌が必要なんだよ」

「それは何回も断っただろ? 僕には無理だって」

「だって勿体ないんだもんよ。お前歌めちゃくちゃ上手いのに! 夏休み前には文化祭だってある! 良いとこみせるチャンスだぜ。みんなお前に大注目だ。最高の夏休みになるぜ!」

 そういって光一は目の前でガッツポーズをとる。その勢いに達也は一瞬承諾してしまいそうになるが、すぐに正気に戻った。バンドマンよりも宗教の教祖にでもなればよいのにと達也は思う。

 達也と光一は同じ中学出身だ。一、二年のときはクラスも違うし、互いを認知すらしていなかった。そして中学三年生のときに同じクラスになったが、サッカー部のエースと冴えない男子その一。交友関係もスクールカーストも全然違うため、同じクラスになったとはいえ、話す機会は特段増えなかった。

 そんな二人が仲良く、というより光一が一方的に達也に絡むようになったのは、合唱コンクールのときだ。達也たちの通っていた中学では毎年、クラス対抗の合唱コンクールが行われており、優勝すれば街のイベントなどに出演できる。それだけではあまり魅力を感じない生徒もいると思われるが、そのイベントでの出店の無料券などの特典もあり、お小遣いの少ない中学生たちにとっては互いのお財布事情をかけた真剣勝負の場となっていた。

 みんなで合唱している中、いきなり光一が「お前、歌うますぎだろ」と達也に声をかけた。達也は特段目立とうとしていたわけではないし、みんなの音程のサポートに回っていた。だからなぜそんなことを言われたのかは今でもわからない。しかし、光一はそれ以来、ことあるごとに達也に話しかけてくる。そして高校生になり、軽音楽部に入部した今、また同じクラスになった達也に対し、「これは運命だな」と称して、あわよくば自分のバンドのメンバーになれと声をかけてくるのであった。ちなみに光一の担当楽器はギターである。

「僕は絶対にやらないよ」

「ま、それは今後口説き落としていくとして……でよ、鈴木となんかあったのか」

 唐突にちひろの名前を出され、動揺する。返す言葉が片言になってしまう。

「ナ……ナンニモナイヨ」

「え、まじでなんかあったの? なんか今朝、お前が鈴木に話しかけてたってもっぱらの噂だぜ」

「そら話しかけるぐらいいいだろ。クラスメイトだもの」

「でも、女の子が苦手なお前が、あの鈴木だぜ。少しは目立つよ」

 達也が女子が苦手なことはクラス内では有名な話だった。まぁ女の子に話しかけられて緊張でうまく返せないところを光一にフォローしてもらうことが多々あった。そもそも光一と一緒にいると女子に話しかけられる率も上がるのだが。そんな達也が自分から女子に話しかけにいった。ましてや相手はクラスのアイドル的存在の鈴木ちひろだ。退屈を嫌い、刺激を求める高校生にとってクラスメイトの浮いた話はそんな日常を吹き飛ばす最高のスパイスだった。

「別にいいだろ。ちょっと用事があっただけだよ」

「そうなのか。なんか真由がちょっといい感じの空気だったって言ってたぞ」

「そんなことないよ。進路希望の紙を渡しただけだし」

「何々、何の話?」

 噂をすれば影といったところで、天真爛漫な女子生徒が話に入ってきた。

 中原真由。背が低く、笑顔がとても愛嬌があり、一部の生徒に抜群に人気がある女生徒だ。さらりと肩で切りそろえた前髪をファサと揺らしながら、達也の机に手をついた。光一と同じ軽音部でベースを担当している。その小柄さからは想像もできない程、派手な演奏をするらしい。光一の幼馴染で二人は小学校からの腐れ縁だ。

「達也と鈴木がなんかいい感じだったって話だよ」

「うん、いい感じだったよ。なんか、秘密を共有している間柄みたいな空気流れてた」

「ちょっと中原さん」

 鋭すぎるだろうと達也は心の中でつぶやく。

「まぁでも、ちひろはライバル多いからね……」

「そだな。鈴木狙ってるやつは多いだろうな」

「だからそういうのじゃないって」

 まぁでもモテるだろうなと達也は思った。ちひろは可憐な見た目をしているし、性格もいい。そしてよく笑う。端から見ていたときにも思っていたけれど、昨日実際に話をしてみて実感した。彼女と話していると不思議と気分が明るくなるのだ。そんな雰囲気をまとっている。そんな彼女に人気がないわけがない。実際、サッカー部の先輩が告白したとか今日は誰に呼びだされたとか、そんな話は何回か耳に飛び込んできたこともある。正直、そんなに興味をもっていなかったし、別の世界の人間の話だと思って聞いていたが、今は納得できる。彼女はモテるのだ。

「でも田中君あきらめちゃダメだよ! ファイト! 中原真由は田中達也を応援しています」

 そういって真由が胸を張る。背丈に似つかわしくないぐらい成長した身体の一部分が強調され、達也は咄嗟に目を逸らしてしまう。

 そして一度あることは二度あった。噂をした影は再び達也の元へやってきた。

「田中君、今日放課後時間ある?」

 女子の輪の中にいたはずのちひろが達也に話しかけてきた。普段接点のない二人の会話に聞き耳をたてるよう周囲の意識がそこに集まっていく。横にいた光一と真由も例外ではなく、突然の訪問に驚いたようで、目をぱちくりさせていた。あまり注目されることをよしとしない達也は最低限の返事で時間があることだけを伝えた。

「よかった! それじゃぁ放課後付き合ってください」

 そういってちひろはまた元いた輪の中に戻っていった。周囲の女子たちが達也との関係を囃し立てるが「そんなんじゃないよー」と軽くかわす。対し、男子の方もそうだった。周囲のざわつきの中、何人かの男子がちひろとの関係について、達也に尋ねてきた。

「おい田中! どういうことだよ!」

「まさかお前、鈴木さんと……?」

「諏訪原だけじゃなくて……お前もそっち側だったのか……」

「違うって! なんもないから!」

 一様に見当はずれなことを言ってくる男子たちそれぞれにきっちりと否定の言葉を真摯に伝える。光一はそんな達也の様子を見て、「真面目だねぇ」と呟いた。

 

 午後の授業はあっという間にずぎていった。数学と古典の授業だったのだが、達也の頭は放課後、ちひろに何の話をされるのかということで頭がいっぱいで、普段面白いと思っている先生のジョークも小難しい数式も一切入ってこなかった。普段話をしない女子生徒と話をするだけで、授業を疎かにしてしまう自分を自己嫌悪している間に、ホームルームも終わり、気づけば放課後になっていた。

「ごめん、田中君! 職員室行ってくるから、ちょっとだけ待ってて!」

「え、あ、うん。わかった」

 そうちひろに言われた達也は主人を待つ犬のようにおとなしく自分の机で彼女の帰りを待った。

「じゃあな、達也。また何の話だったか教えろよ」

 そういって光一も教室を後にした。気づけば教室にいるのは達也だけとなっていた。午後の授業とはうってかわって、何もせずにただ待つ時間というのは永遠のように感じられる。

一体何の話をされるのだろうか。達也は頭を巡らす。十中八九昨日の出来事関係しているだろう。他に思い当たる可能性は皆無だ。

(いや、でも……なんだ? 全然わかんないや)

 少ない可能性を絞り出した結果、筆頭候補に挙がったのは口止めだった。昨日のできごと、ラップをやっていることをクラスメイトや他の人にはやはり知られたくないと思った結果、とりあえず達也からその情報が漏れるのを防いでおこうと、放課後話をする機会を設けた。でもそれならラインでの連絡でもいいのではとも思う。

 もう一つはラップの話をもっと一緒にしたいという可能性。昨日の彼女のリアクションから察するにこれまで周囲にそういう話しができる人間がいなかったようだった。達也の受け答えのせいでもあるのだが、やっと見つけた趣味のあう仲間と思われている可能性が高い。だがこちらも、それだとしてもわざわざ放課後呼び止める程かとも思う。

 結局、もう少し待てばわかるだろうとぼんやりと窓の外を眺めながら、達也はちひろを待つことにした。思えば放課後の教室に一人きりなんてのは初めてかもしれない。窓の外からは様々な音が聞こえてくる。蝉の鳴き声。生徒たちが部活に励む声。グラウンドを駆ける音。また管楽器の練習音。そのどれもが少しずつ入り混じって達也の耳に微かに聞こえてきて、なんだか心地よい気持になった。


「ごめん! お待たせ!」

 そんな音たちをぶった切るようにちひろが教室に飛び込んできた。達也を待たせまいと走ってきたようで、その肩は呼吸に合わせて上下に小刻みに揺れている。

「ゆっくりでよかったのに」

「いや、そういうわけにはいかないよ! 私が引き止めてるんだし、田中君の時間を一秒でも無駄にしてはいけないと思い、走ってきました! でもごめんね。それでも待たせちゃって。いや、先生全然動いてくれないんだよ。話も長いし。今日、用事とか大丈夫だった?」

「うん、全然。何にも予定はないよ」

「そっか、よかった! ありがと」

「先生の用事はなんだったの?」

 真面目なちひろが呼び出される理由は達也にはピンとは思いつかなかった。しかし、進路志望の紙を出し忘れるなど、抜けているところもあることを知ったため、何かしら知らない事情もありそうだなとも思った。達也は段々と息が落ち着いてきたちひろに尋ねた。

「うん、部活の申請」

「部活動?」

「そう、部活動」

「鈴木さん、何か部活入ってたっけ?」

 達也の疑問にちひろがぽかんとした顔をする。そしてふふと笑った。

「もう、田中君、何言ってんの?」

 達也は頭に疑問符を浮かべた。

「部活作ったらって言ってくれたの田中君じゃん」

「……あぁ!」

 昨日の記憶を呼び覚ます。確かに帰り際にそんな提案をした。本当に軽い気持ちの提案だったのだが、それで今日早速教師の元へと申請に行く行動力に驚いた。

「もう忘れないでよ」

「ごめんごめん」

 ちひろがわざとらしく、頬を膨らませる。

「それで先生のところに行ってたんだ」

「うん、部活ってどうやって作ったらいいかわかんなかったから、とりあえず先生に聞こうと思って」

「なるほど」

「で、部活を作るのにはまず部員が五人必要なんだって。あと顧問。顧問はごっちが引き受けてくれるからあとはメンバーなんだけど、田中君、誰か興味ありそうな人知らないかな」

 ちひろが机に頬杖をつきながら達也に尋ねる。ちなみにごっちというのは達也たちの数学担当の先生だ。生徒からの質問に答えるとき、考え込んでいるのか必ず目を閉じることが特徴であり、よく生徒にもいじられ、慕われている。後藤勝でごっち。

「いや、思い当たらないな……」

(なるほど、これが僕を引き止めた理由か……力になってあげたいけど、頼る相手を間違っているような気もするよ……)

ちひろの期待に応えるべく、頭を巡らせた。友人の顔が思い浮かんでは、消えていく。そもそも友人の数が多くないため、結論に至るまでに時間はかからなかった。せっかく頼ってくれたのに、何の力にもなれそうになく、なんだか申し訳ない気持ちになる。

「そっか……ありがと!」

 ちひろは一瞬表情に影を落としたが、すぐに笑顔になり、達也に向き直った、

「地道に増やしていくしかないよね! 徐々に注目を集めないと!」

(注目か……そういや諏訪原がなんか言ってたな)

 ちひろのその言葉に、ふと昼休みの光一との会話を思い出す。

「文化祭とかは?」

「文化祭?」

「いや、出し物で注目を集めるとかさ。もうあんまり期間ないかもしれないけど」

 達也たちの高校はクラス単位での出し物、部活単位での出し物の他に有志でそういったパフォーマンスを行う時間も設けられており、申請すれば誰でもステージ上で発表ができる。勿論時間の限りはあるため、応募多数の場合は抽選などになるのだが、例年は申し込みがゼロのため、実質当確だった。

 尚、達也たちのクラスの出し物は売店でたこ焼きを販売する予定だ。そのためシフトを調整すればちひろが今からパフォーマンスをすることも可能に思えた。

「有志の枠で出て、昨日みたいなパフォーマンスをすれば興味を持ってくれる人も出てくるんじゃないかな」

「なるほど……え、それめっちゃいいじゃん! 田中君、やっぱ天才だよ!」

「いや、ほめすぎだって」

 ちひろの顔が達也の提案で一層笑顔になった。

「えー! 全校生徒の前ってことでしょ! きっと見つかるよね、仲間!」

「うん、昨日、鈴木さん本当に格好良かったし、いけると思う」

「そう? えへへ、照れますなぁ……。でももっと練習しなきゃ……あと三人、興味持ってもらわないとね」

(……あと三人?)

 既にちひろが誰かあたりをつけているのか。ちひろの交友関係を考えればあり得る話ではあったが、なんだか嫌な予感がする。

「あと三人って……誰か既に誘ったの?」

 達也の問いかけにちひろはにんまりと笑う。そしてゆっくりと指を指した。

「私と田中君、で、あと三人だよ」

「……いやいやいやいや!」

 あまりにも屈託のない笑顔で言うため、一瞬自分が間違っているような気持にさせられたが、すぐに拒否の意を示す。その笑顔を見るタイミングがこんな状況でなければ、きっと幸せな気持ちになれただろう。しかし、ちひろは達也の言葉を遮り、話を続けた。

「だから、今日から一緒に練習しよ! あと三週間だよ! ファイト、オー!」

「え、僕もでるの? 文化祭に?」

「当たり前じゃん! 一人でバトルはできないよー、もう」

「無理だよ! 無理! 絶対に無理!」

 あまりの強引さに先ほどよりもはっきり拒否の言葉を述べた。MCバトルは昨日見ただけだけど、とても自分にできるとは思わない。台本のない即興力、ステージ上で堂々と自分の意見を主張する度胸、相手を貶す精神力、そのどれもが自分に向いていない。ましてや文化祭まであと三週間しかない。誰がどう言おうと無理なものは無理なのだ。それにラップといえど、歌は歌だ。人前でまた歌うなんて考えただけで吐きそうになってしまう。

「大丈夫だよ! 私が教えるし! ……っていっても教えられる程上手くはないんだけどね……いや、でも大丈夫! だから一緒にやろ」

 ちひろが根拠も何もない大丈夫という言葉を武器に勧誘してくる。ちらと彼女を見ると上目遣いになっており、達也以外の男子なら脳死でオーケーをしてしまう破壊力があった。実際、達也も違うお願いだったら二つ返事で了承していただろう、しかし、今回ばかりは安請け合いはできない。達也は相手の妥協点を探る。

「メンバー集めは手伝うからさ、ね?」

 これでなんとか手を打ってくれと、達也が言いかけた時だった。

「きゃっ!」

 窓から急に突風が教室内に入ってきた。そしてその風がちひろのスカートの裾を華麗に舞い上げる。前方の視界から入ってきたその光景の情報が達也の脳内を支配する。水色、水色、水色。次の瞬間、それは見てはいけないものだ頭が判断し、達也は顔を逸らした。

 突風はどこかで過ぎ去り、静寂の中、じじじじと蝉の鳴き声が再び響き渡った。

「……えへへ……見えたよね」

「あ、いや……その……うん、ごめん。あ、でも一瞬だったから、あんまりわかんなかったっていうか……うん、ごめん」

 正直に言うべきだと思ったし、フォローもするべきだと思った。しかし、達也の経験値ではそれを上手く実行することができず、ぎこちない返事になってしまう。

「いや、田中君が謝ることじゃないよ! あはは、恥ずかし!」

 ちひろが手を顔のところにもっていき、小さくうちわのようにパタパタと動かす、その顔は恥ずかしさから少し赤らんでいる。

「え、ええっと……話戻すけど、どうしてもだめ?」

 スカートの裾をぱんぱんとはたきながら、再び上目遣いで言う。しかし達也の意志は固い。

「うん、ごめんね……申し訳ないんだけど……」

 そう返すと、ちひろは達也の目をまっすぐ見据えていた。その目はまるで捨てられた子猫のようで思わず、意志が揺らいでしまいそうになる。ふと窓の外に視線を逸らすと、白球を追っている同級生の姿があった。遠くの山まで見通せそうな晴れ晴れとしたとても良い天気だ。そんな外の快晴ぶりとは裏腹に達也の心はどんよりと曇っている。別に自分が悪いわけではないが、人の頼みを断るというのはすごく気が重くなる出来事だ。でもこればかりはどうしようもない。贖罪という言い方は違う悪いことをしているわけではないため、違うかもしれないが、せめてメンバー集めなど、自分にできることはせいいっぱいやろうと達也が考えていたときだ。

「……見たじゃん……」

「え?」

 ちひろが何かをつぶやいた。蝉の声に消されてしまい、何を言ってるのか聞き取れなかった。

「……見たじゃん」

「え、何を?」

「……パンツ見たじゃん!」

「ええ!」

「言いふらしちゃうよ! 田中君が私のパンツを見たって!」

 ここにきて強硬手段を取ったちひろに、達也は戸惑いを隠せない。だがパンツを見たのはまぎれもない事実だ。もしそんな話がクラスに知れ渡ったら、女子からの非難と男子からの嫉妬の嵐に襲われることは確実だった。何せ達也とちひろの発言力、クラスでの立ち位置には大いなる差があり、一度広まってしまえばその汚名を返上することは難しいだろう。

(まさか、そんなことを言われるなんて……)

 困りはてた達也はちひろを見る。その目は既に潤んでいるどころではなく、半泣き状態だった。目の回りが赤くなっており、子犬を連想させられた。

「いや、それはちょっと……」

「だったら付き合って! 本当にどうしても無理ってなったらそんとき考えるから! 文化祭まででいいから!」

「ていうか、どうしてそんなに僕を誘ってくれるの? 鈴木さんだったら他にもいっぱい協力してくれる人いると思うよ」

「……だって……」

 ちひろが目からあふれ出そうな涙を必死にこらえながら言う。

「ラップ好きって言ってたし、それに初めて仲間ができるって考えたら……嬉しくて……でも誰でもいいってわけじゃなくて……田中君とならきっと楽しいって思っちゃったから、それで……あぁもうごめん……迷惑なのわかってるんだけど……」

「あ、いや……」

 ふと昨日のちひろを思い出す。サイファーに交じりたい、仲間が欲しいと言っていたときの寂しそうな顔や、達也がラップやクリーピーナッツを好きといったとき心の底から喜んでいた笑顔が心の中に浮かび上がってくる。それに部活の提案をしたときもすごく嬉しそうな顔をしていた。

まさか自分が誘われるとは予想外だった。でもこの状況を作ったのは自分だ。彼女はきっと足掻いているのだ。孤独の中で一人戦っていたところに飛び込んできた一筋の光明を逃さまいと今、必死なのだ。それに昨日、確かに達也はちひろにラップを好きと言ってしまった。

(自分の発言に責任は取らなきゃいけないか……)

 思わずため息が漏れる。決して後ろ向きな意味ではなく、決意を固め、覚悟を決めた後の不安をかき消すためのため息だったのだが、ちひろにはそう見えず、なりふりかまわず勧誘を続けてきた。

「もしかして足りなかった? もう一回、見せるから……」

 顔を真っ赤にし、スカートの裾に手をかける。

「いやいやいやいや! そういうことじゃない! やるから!」

「……ほんと⁉」

 ちひろの顔がぱぁと晴れる。身から出た錆とは言え、完全に達也の負けだった。ちひろは全身で喜びを表すかのようにぴょんぴょんとその場で跳ねる。

「やった! やったー!」

「でも文化祭までだからね」

「えー……ま、それでもいいや! きっと田中君もラップの楽しさにどっぷりはまるから! とにかく仲間になってくれたんだもんね。えへへ!」

 そんな未来がくるのかはわからないし、正直、自分にできるのかという不安は消えていない。でもその笑顔を見てるとこれでよかったのだと思えた。あとは自分の頑張り次第だ。何をどう頑張ればよいのか正直全くわからないけど。

「田中君!」

 呼ばれた方を見ると、ちひろの拳がまっすぐこちらに向かって伸びていた。気恥ずかしさを感じながら、達也はその拳に応じる。拳と拳がぶつかり、こつんと小さい音を立てた。

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