第20話 何気ない会話

 その日は萌香とバイトの終わる時刻が一緒だったので、店の前で待ち合わせて一緒に帰った。


 時刻はすでに午後の十時を回ったところだったので、夜ご飯はコンビニで適当なものを買って帰ることにした。


 家へ到着するなり、俺は電気ケトルで湯を沸かした。湯はものの一分で湧き上がり、あらかじめ開けておいたカップ麺に注ぎ入れた。


 五分ほどもどかしい時間を過ごした後、俺たちは満を辞してカップ麺を啜った。


 この前食べた天丼なんかには到底及ばないクオリティなはずなのに、その日啜ったカップ麺はまさに極上だった。仕事終わりというスパイスに勝るものはない。


 一緒に買ったおにぎりまでたいらげると、それから俺たちは自由気ままな時間を過ごした。

 俺は文庫本とスマホを行き来し、萌香はひたすらスマホでYouTubeを観ている。なんだかんだ、こういうなんでもない時間が日常には必要不可欠なのだ。


 しばらく経ったところで、俺は一旦文庫本を机の上に置き、椅子に腰掛けたままベッドでうつ伏せになってYouTubeを観ている萌香に声を掛けてみた。


 「今観てるのって、カップルチャンネルってやつか?」


 そう尋ねると、萌香はうつ伏せている体勢からこちらに顔だけ振り向かせた。


 「そうですけど、どうしたんですか急に」

 「いや、カップルチャンネルって何が面白いのかなーって。俺はそういうの観てるとイライラしてくるから」

 「まあ、圭太くんはそうでしょうね」

 「萌香はイライラしないのか?」


 萌香は再生していた動画を一時停止させてから悩ましげな顔をした。


 「そうですね……全くイライラしないと言えば嘘になります」

 「じゃあなんで観てるんだよ」

 「なんて言うか、定期的にこういう男女の仲睦まじい映像を摂取したくなるんですよ。女の子ってそういうもんじゃないですか」

 「わからんなぁ」


 男の俺からしてみれば、そんなものを摂取したところで嫉妬心に駆られる未来しか見えない。どうしてわざわざ自分の寂しさを再確認しなけらばならないのだろうか。


 「でも圭太くんだって、カップルチャンネルのようなシチュエーションには憧れますよね?」

 「そりゃあ、まあ。だからこそ観ていて虚しくなるから観ないんだけど」

 「ちなみに圭太くんは誰かとお付き合いしたことはあるんですか?」

 「急だな」

 「教えてください」


 俺は答えるのを渋ったが、打ち明けない道理もないので全て話すことにした。


 「一応、中学の時に彼女がいたことはある」

 「まじですか!?」


 よっぽど驚いたのか、萌香は勢いよく起き上がってベッドの上で正座をしてきた。


 「そんなに驚くかよ」

 「そりゃあ驚きますよ! だってほら、童貞って言ってたじゃないですか」

 「それは事実だから安心しろ。なんせ中学生の恋愛だからな。それはもうピュアそのものだった」

 「へぇ……。いいなぁ……」


 萌香は心底羨ましそうに俺の顔を見ていた。


 「そう言う萌香は誰かと付き合ったことはないのか?」

 「全くありません」

 「そうか。意外だな」


 これだけの美貌を兼ね備えているのだから、元カレの一人や二人はてっきりいるものだと思っていたが、そうでもないようだった。


 「それでそれで、その彼女さんはどういう方だったんですか!?」

 「そうだな……比較的活発な子だよ。当時は俺もスポーツ少年やってたから、それなりに馬が合ったんだと思う」

 「なるほどです……。未練とかないんですか?」

 「未練? あー、ないない。別れた時も高校が別々になってほとんど自然消滅みたいな感じだったから。もう少し振られたショックとか味わってれば良い人生経験にもなったんだろうが、所詮は中学生の恋愛だからしょうがないな」

 「そんなもんですかぁ……。えーいいなー。私もそういう恋愛がしたかったです」


 萌香は再びベッドに寝転がり、足をばたつかせながらそう言った。


 「まだまだ可能性はあるだろ。十六なんだし」

 「私はもうそういう学校での甘酸っぱい恋愛はできないんですよぉ。おまけに十六歳にして同棲ですよ? もう正規ルートに戻れる気がしません」

 「それは悪いな」

 「本当ですよ。責任取ってもらわないと困りますっ」

 「へいへい」


 なんとなく頷いてはみたものの、どう責任を取ればいいのだろう。よくよく考えてみれば、あまり容易に頷く場面ではなかったのかもしれない。


 「ちなみに圭太くんが彼女に求める条件ってなんですか?」

 「話が飛躍し過ぎじゃないか?」

 「いいから教えてください」

 「えぇ……」


 急にそんなことを聞かれても、今まで彼女に求める条件なんて考えたことがない。


 俺はしばらく考え込み、一つの答えを出す。


 「うーん……。強いて言うなら、対等に会話ができる人とか」


 すると萌香は首を傾げた。


 「というのはつまり、知能が同等という意味ですか?」

 「いや、そういうわけじゃない。教養がある人っていう意味だ」

 「あー、なるほど。それは確かに重要かもです」

 「結局俺は、生産性のない会話をしたくないんだよ。ていうかできない。場を持たせられる自信がないからな」


 俺がそう言うと、なぜか萌香は軽蔑するような眼差しを向けてきた。


 「生産性のない会話をしたくないって、なんだかひねくれてるというか、いかにもモテなさそうな回答ですね」

 「言うな」


 萌香に言われ、俺は思わず目を逸らした。


 「でも実際、今こうして私としている会話に生産性ってあります?」

 「ないな」


 俺が即答すると、萌香は微笑んだ。


 「圭太くんはひねくれているようで、案外ひねくれてないのかもしれませんよ?」

 「さあな」

 「私は圭太くんとする生産性のない会話も好きですけどね」


 萌香は俺にそう告げると再びベッドにうつ伏せになり、スマホの世界へと戻っていった。


 俺はそんな萌香の背中を見ながら、どこか物足りない気持ちに駆られる。


 ————もしかしたら俺は、知らず知らずのうちに萌香との生産性のない会話を楽しんでいたのかもしれない。


 そう思った時、俺はなんとなく今あるこの空間を尊く、愛おしく感じた。

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