第17話 約束

 家に帰ると、萌香が生姜焼きを作ってくれていた。


 時刻はすでに午後十時を回っているいるというのに、どうやら萌香はまだ夜ご飯を食べていないようだった。俺が帰るのを待ってくれるのは嬉しいが、さすがに萌香がそのために空腹を我慢するというのは申し訳ない。


 「作ってくれるのは本当にありがたいし嬉しいけど、俺が帰って来るまで萌香が食べるのを我慢する必要は全くないぞ」


 俺はせっせと食卓の準備を進めてくれている萌香に対してそう言った。


 「我慢はしていませんよ。一人で食べるより、二人で一緒に食べた方が美味しいじゃないですか」

 「それはそうだけど……。無理はしないでくれよ」

 「わかりました」


 萌香は理解してくれたようだった。


 それから俺たちは、二人で一緒に手を合わせてから夕食を食べ始めた。


 萌香の作った生姜焼きはやはり格別に美味しく、みるみるうちに箸が進んでいく。


 食べている間、萌香はバイトの研修であったことを色々と話してくれた。店長がちょっと怖かったこと、スタッフがみんな優しかったこと、おそらく池田くんだと思われる若い男性スタッフに質問攻めされたことなどなど……。萌香にとって今日という一日は、俺が思っている以上に刺激的な一日だったのだろう。


 やがてご飯を食べ終え、一通りの片付けを終えると、萌香はドリップコーヒーを淹れてくれた。一人暮らしを始めてからというもの、ドリップコーヒーを淹れることすら面倒だと思っていたので、俺は久しぶりの質の良いコーヒーに舌をつづんだ。


 部屋にはコーヒーの香りが充満しており、その空間はまるで俺の家とは思えないほど安らぎの空間と化していた。


 思えば、萌香が来てからというもの、間違いなく俺の生活の質は向上している。部屋は散らかっていないし、洗濯物が溜まることもないし、無意味に昼過ぎまで寝るということもない。それもこれも萌香が来てくれたおかげなので、萌香に対しては本当に感謝の気持ちしかなかった。


 ……だからこそ、俺は今日ここで、萌香に一つ大きな提案をすることに決めていた。


 俺はタイミングを見計らい、満を辞して口を開く。


 「なあ萌香、一つ提案があるんだが」


 かしこまった感じで言ったので、萌香は少々不思議そうな顔を向けてきた。


 「なんです?」


 俺は唾を飲み込んでから続ける。


 「今週末、母さんが家に来るって言ったよな」

 「はい。私はその間、外出していればいいんですよね」

 「そのことなんだけど。俺たちのこと、母さんに打ち明けないか?」

 「え……」


 案の定、萌香は驚きのあまり目を丸くしていた。


 「どうしてそうなるんですか」


 萌香が尋ねてきたので、俺は説明する。


 「考えたんだよ、俺たちのこの関係は果たしてこのままずっと続けられるのかって。今はこうしてとりあえずなんとかなってて、多分今後もしばらくはなんとなると思う。でも長い目で見た時、このままこの関係を誰にも打ち明けずにいると、どこかで壊れてしまう気がするんだ。もちろん俺はこの関係をこれからも続けていきたいと思っている。だからこそ誰かにサポートしてもらう必要があると思うんだ。だって俺たちはまだ子どもだ。一応法律上だと俺は成人しているが、実際はまだ子どもなんだよ。そう考えると、少なからず大人の力が必要だと思う」


 一通り言い終えると、萌香は俯いて少しの間黙った。


 十秒ほど沈黙が流れた後で、萌香は顔を上げる。


 「……私、怖いです」

 「怖い……?」

 「はい。もしこのことが大人にバレて、圭太くんから離れなきゃいけないってなるのが……怖いんです。自分勝手なことはわかっています。そもそも私は圭太くんに無償でかくまってもらっている身なので、追い出されても文句を言う資格なんてはどこにもありません。でも、怖いんです……」


 萌香は声を震わせていた。


 そんな萌香を見て思う。


 俺は萌香をそんな風に怖がらせたくはない。

 むしろ安心させたいからこそ、そんな提案をしたのだ。


 「大丈夫、怖がる必要はない。大人だってちゃんと話せばきっと理解してくれる。ましてや俺の母さんなら、おそらくなんとかなる。これは俺が保証する。もちろんいずれは萌香の両親にも事情を説明しなくちゃいけない時が来るだろうけど、その時も大丈夫だ。少なくとも俺が側にいる。萌香を一人にすることは、絶対にしない。それだけは約束する」


 俺は身を震わせている萌香の目をしっかりと見ながら言った。


 それを聞いた萌香は、次第に目を潤また。


 しばらくすると、その白い肌に涙が滴っていく————。


 「私は……私は、本当にここにいてもいいんでしょうか……。こんなに幸せでいていいんでしょうか……。本当なら、もっと色々苦労する予定だったのに、こんなんじゃまるで計画が破綻ですよ……」


 萌香の言葉に、俺は失笑してやった。


 「何言ってんだよ。そんなめちゃくちゃな計画、捨てちまえばいい」

 「そんなっ……。だって私は、自分の都合で勝手に家を出ているんですよ……多少の対価は支払われるべきなんです……」

 「そんなの誰が決めたんだ。夢を追うのに対価なんていらないだろ。その勇気と行動力だけで十分だ。無理に自分を卑下する必要はない。萌香は十分立派だ」

 「そんなっ……」


 萌香は嗚咽混じりに泣き始めた。俺はそんな萌香の背中をそっとさすりながら言う。


 「いいんだよ。誰かを頼ることは悪いことじゃない。萌香は俺を頼ってくれればいいんだ。……だから俺にも、誰かを頼らせてほしい。大丈夫、母さんならきっとわかってくれるから」


 俺が言うと、萌香は手で涙を拭いながら顔を上げる。


 「……わかりました。圭太くんがそう言うのなら、圭太くんのお母さんに真実を伝えましょう。……正直怖いですけど、私は圭太くんのこと、信じていますから」


 萌香は多少声を震わせながらも、確かに俺の目を見ながらそう言ってくれた。


 「ありがとう。今は俺のことを信じてくれ」

 「……はい」


 弱々しく頷く萌香の姿を目の前にして、俺は抱きしめたい気持ちを抑えるのに精一杯だった。

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