第6話 服がありません

 「服がありません」


 朝食の片付けを終え、洗濯をしようとしたところで萌香が突然そう呟いた。


 「服の替えとか何も持ってきてないのか?」


 尋ねると、萌香は小さく頷く。


 「はい。下着だけです」

 「なるほど……」


 たしかに萌香の持ってきているリュックに衣類を入れてしまったら、それ以外のものはとても入りそうにない。だとしても、衣類を持たずに県外まで家出をするというのは、あまりに無謀過ぎやしないだろうか。


 しかしこうなっては仕方がない。


 俺は一つ提案をすることにした。


 「わかった、なら今日は服を買いに行こう」


 言った途端、萌香が手を顔の前でパタパタと振った。


 「いやいやいや、何か着れるものを貸していただければ十分ですから!」

 「そうは言っても、一式だけじゃまともに出歩けないだろ」

 「それはそうですけど……。しかも私、服を買うお金なんてありません。一文なしもいいところなんです」


 どうやらそういうことらしかった。


 もちろんそのことに関しては俺も承知している。


 「いいよ、金はとりあえず俺が出すから。いつか稼げるようになって返してくれればいいし」

 「本当にいいんですか……?」

 「問題ない。そうと決まれば出かける準備だな。あ、でも、今日の萌香の服……」


 さすがにダボダボかつダサい俺の服を着せて萌香を外に出すわけにはいかない。


 俺はおもむろに丁寧に畳まれている萌香の私服を手に取り、それに自分の鼻を近づけた。


 「……うん、臭くないな。さすがに俺の服を着て外に出るわけにもいかないし、今日はこれを着て……」


 そこまで言ったところで、萌香は少々顔を赤らめて俺から服を奪ってきた。


 「ちょ、おい」

 「他人に目の前で自分の服の匂いを嗅がれるのは、さすがに恥ずかしいです。これでも私、十六歳の女の子なんですよ……」

 「わ、悪い……」


 こればかりは萌香の言う通り、俺にデリカシーがなかった。


 だけども事実として、萌香の服からは嫌な匂いどころか良い匂いがしたので、そのことだけでもフォローしておきたい。


 「でも、ゴミ箱の中で寝泊まりしていた奴が着ていた服にしては、良い匂いだったぞ」


 俺が言うと、萌香は余計に顔を赤らめた。


 「服についての形容が余計です!」

 「ゴミ箱の中で寝泊まりしていた奴っていうのは事実だろ」

 「そ、そうですけど……! あぁ……もういいです……」


 萌香は自ら墓穴を掘るような真似をすることはせずに観念したようだった。


 すると、萌香は何かを思い出したのか、リュックの中を漁って一枚のビニール袋を取り出した。


 「なんだそれ」


 尋ねると、萌香はまたまた顔を赤らめた。


 「……使用済みの下着です」

 「お、おう……」


 あまりに衝撃的なそのフレーズに、俺は何をどうすればいいのかわからず立ち尽くす。


 「これも一緒に洗濯していいですか……?」

 「え、あ、もちろん」


 ていうか逆に、一緒に洗濯していいんですか?


 「ありがとうございます」


 萌香は礼を言うと、早速洗濯機のもとへ向かった。


 そしてそこから、こちらに向けて顔を覗かせる。


 「……あんまり見ないでくださいよ」

 「わかってる」


 俺が二つ返事で返すと、萌香は縛っていたビニール袋を開けて下着を洗濯機の中へ放り込んだのだった。


 ……その後洗濯機を回そうとした際に、白とピンクの下着が視界に入ってきてしまったことは、どう考えても不可抗力だった。




 家から京都市の中心街まではバスでおおよそ三十分である。


 目的地でバスを降りてから、俺たちはスマホの地図アプリを頼りに古着屋へ向けて足を進めた。


 なぜ古着屋なのかというと、萌香いわく普通のアパレル店だとさすがに値が張ってまともに買えないということだった。萌香なりの気遣いでもあるのだろうが、そういう俺も古着屋はよく利用するので特に反対する理由はなかった。

 そして目的地である古着屋に到着すると、萌香はさっそく服を物色し始めた。俺はそんな萌香を後ろから眺めている。


 「あっ、これ可愛い!」


 萌香は紺色で花柄のワンピースを手に取ると、それを俺に向けて満面の笑みで見せてきた。


 「これ良くないですか!? しかも見てくださいよこの値段!」


 値札を見てみると、二九八〇円となっていた。普通に買えば五千円は優に超えそうだが、さすがは古着屋である。


 「良いじゃん。試着してみたらどうだ?」

 「はい!」


 それから萌香は足早に試着室へと向かったので、俺もその後を付いていった。その弾むような足取りからして、萌香が今かなり上機嫌であることが見て取れる。


 しばらく試着室の前で待っていると、やがてカーテンが開かれ、ワンピース姿になった萌香が現れた。


 「どう……ですか……?」


 萌香はぎこちない様子で少し首を傾げながら聞いてきた。


 俺はその姿を見て、改めて萌香が美少女であることを思い知らされる。


 そのワンピースはノースリーブということもあって肩周りは露出されており、夏らしい爽やかな印象を与えてきていた。また、ウエストの部分が絞られていることによって上半身のラインが露わになり、決して小さくはない胸の部分も少なからず強調されていた。


 「うん、すごく似合ってる」


 素直にそう思った。そのポテンシャルを持ってすれば、基本的に何を着ても似合うんじゃないかという気さえしてくる。


 「ありがとうございます……って、そんなに感心したように見られても恥ずかしいです……」

 「ああ……悪い。いや、だって、普通に可愛いから」


 すると、萌香は頬を赤らめた。


 「女の子にやすやすと『可愛い』なんて言うもんじゃないですよっ」

 「そう、なのか……? でもしょうがないだろ、事実としてそう思ったんだから。……あっ、言っとくけど、俺はなりふり構わず『可愛い』を連呼するようなチャラ男じゃないからな」

 「童貞の時点でそんなことはわかってますよっ。……まあ、嬉しかったのでいいですけど。 着替えますね!」


 そう言って萌香は勢いよくカーテンを閉めた。


 萌香が着替えている間、俺は辺りを物色してみることにした。


 なんとなく見回していると、ふと白い真珠のネックレスが目に入ってきた。値段を見てみると九八〇円だったのでもちろん本物の真珠のネックレスではないが、さっき萌香が着ていたワンピースに似合いそうなので手に取っておいた。


 そして萌香が試着室から出てきたところで、俺はそのネックレスを萌香に手渡す。


 「これ、そのワンピースに似合うかなと思って」


 萌香はネックレスを受け取ると、少々驚いた様子で俺を見た。


 「……本当に童貞ですか?」

 「なんで最初に出てくる言葉がそれなんだよ」

 「いや、思いのほかセンスいいなぁと思って」

 「お、おう。それはどうも」


 どうやら悪いチョイスではなかったらしい。俺としては完全に直感で選んだつもりだったが、こうして褒められると嬉しいものだ。


 「じゃあこのワンピースとネックレスを買います!」


 萌香はその二つを抱えながら嬉しそうに言った。


 「いいと思う。でもさすがにそのワンピース含めて二着だけじゃ着回し厳しいだろうから、せめてあと二着くらいは買ったらどうだ?」


 提案してみると、萌香は少し悩ましげな顔をしてから、結局は納得してコクコクと頷いた。

 「それもそうですね。じゃあもうちょっとだけ付き合ってください。女の子の服選びは時間かかりますよ?」

 「構わん」


 ちょっと意地悪そうな顔で言われたが、さすがの俺も女の服選びに駄々をこねるような愚かな童貞ではない。


 「ていうか、圭太くんもせっかく来たんですから一着くらい買ったらどうですか? クローゼットを見た限り、地味目な服しか持ち合わせていないようでしたし」


 不意にそんなことを言われて、顔を引き攣らせずにはいられなかった。


 「ま、まあ、否定はできないけども……。しょうがないだろ、ファッションには疎いんだから」

 「なら私がコーディネートしてあげますね!」

 「えぇ……」

 「ほら、早く早く!」


 萌香はあまり乗り気ではない俺のことなどお構いなしに、腕を掴んで引っ張ってきた。


 俺は多少の気恥ずかしさを抱きながらも、結局は萌香に付き合わされるのだった。

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