1-4 再会
乾いた粘土のような皮膚。手足の長さは不揃いで、頭部は奇妙な楕円形に歪んでいる。四つん這いの子供のようにも、四足歩行の獣のようにも見える様子がいっそう不気味だ。
「この子は未完成の模造品だ。できそこないの亜種。だが、これをかぎりなく本物に近づける方法が見つかった。──三年前にな」
化け物の横に平然と佇むロニが、白衣の内側から何かを取り出した。
小瓶だった。硝子でできた透明な器。暗くてよく見えないが、中を満たすのは液体のようだった。
困惑するカルマの前で、ロニは小瓶の蓋を開け、その中身を床に伏す化け物の頭に垂らした。
すると化け物が痙攣した。ばき、と。関節を鳴らすような鈍い音を立て、灰色のからだが膨れ上がる。
あ、とカルマは吐息のような悲鳴を上げた。自分の身長を軽々と超えるほどに成長した
「あの日。お前が黒血になったと知ったとき、私は絶望した。
わずかに中身の残った瓶をロニが掲げた。恍惚とした表情で彼が見つめるその液体は、どろりと濁った灰色をしていた。
「それ、は」
衝撃のあまり身体が動かなかった。ロニが
そんなものがなぜロニの手元にあるのか。わかっている。理解してしまった。なにせ彼は、とうに答えを示していたのだから。
共犯だと。お前が生んだおもちゃだろうと。化け物に怯えるカルマにロニは言った。
あの瓶の中で揺れる灰色の血は──カルマの黒血でできているのだ。
「エルサさんは……」
「私の妻だ。お前には言っていなかったな。彼女は白血だったんだよ」
叔父に妻がいたことは知っていた。カルマが生まれるよりも前に亡くなったのだと。だが白血であったとは聞いていない。
「お前の血とエルサの血を混ぜてつくったこの血液は、〈灰色の子〉の血にかぎりなく近い性質を宿している。亜種を原種に変える力だ。すばらしいだろう」
「……」
「あのときは失敗作などと言って悪かったな。お前はやはり特別だ。私たちの望みを叶えるためには、お前の力が必要なんだよ」
「……やめて」
聞きたくない。これ以上、何も理解したくなかった。
叔父が恐ろしい研究を行っていたこと。その研究に自分の血が使われていたこと。すべてが悪い夢のように思われた。
信じたくない。信じてはいけないと、脳が警鐘を鳴らしている。
そんなカルマを、叔父の言葉が追いつめる。
「カルマ。お前にはまだやってもらうことがある。血の提供だけではない。もっと大切な、お前にしか果たせない役目が残っている」
一歩、化け物がカルマに近づいた。
「気づいているんだろう。なぜ自分の血にそんな力があるのか。黒血が効かない体質のことも」
灰色の影が目の前に迫る。
泥のように淀んだ眼球に高い位置から見下ろされたとき、カルマの脳裏を怒涛のような記憶が流れた。
慈愛に満ちた叔父の笑み。自分の頭を撫でる大きな手。彼が入れてくれた甘いココアと、ベッドの横に積み重なる大量の本。
涙で頬を濡らす少女。その前で腕を振り上げる灰色の化け物と、とっさに手を伸ばして駆け寄る自分。
宙を切るナイフ。真っ黒な血が飛び散る光景。失敗作という、腕を裂いたナイフよりも鋭い言葉。
いつの記憶だろう。わからない。ずっと夢をみていたような気がする。
ああ、そうだ。カルマは自分がわからなかった。どこにいるのか。なぜ存在しているのか。
──わたしたちは、何者なんだろうね
深い闇が周囲を覆う。灰色の少女の幻影が現れる。
夢か現か区別のつかない世界の中で、叔父の声だけが聞こえている。
「黒血だけではない。白血も効かないんだ。赤であった頃から、お前には黒も白も関係なかった。いまでこそ
はっと息をのむ。地下室の暗がりに思考が戻った。化け物に塞がれた視界の端に、歪んだ笑みを浮かべるロニの姿が映っていた。
「黒になれるなら白にもなれる。どちらにもなれるなら、どちらでもないものにだってなれるはずだ。そうだろう。お前は、お前だけがすべての色を持っている。だから私は、お前を彼女の器として育てることにきめたんだ」
ドクン、と。大きな音がした。左の胸の、下のあたりが焼けるように熱い。身体を内側から燃やされているような感覚。
にもかかわらず、手足の先は凍ったように冷たいのだ。
「世界に拒絶された哀れな少女をお前は受け入れた。いいかカルマ。お前の中には〈灰色の子〉の──」
「伏せて!」
金属がひしゃげる音が鳴り響くのと、今日初めて耳にするだれかの声がカルマの鼓膜を揺らしたのは同時だった。
何かが目の前を通り過ぎた気がした。空間を削るような風圧と激しい振動に、身体が傾く。
二度目の轟音。部屋の入り口と向かい合う奥の壁が崩れたらしい。
見ると、先程までカルマの前にいた
「──ああ、よかった。やっとみつけた」
凛とした声が地下室に反響する。
扉が外れた入り口の前。上階からわずかに差し込む光を背に受けた人物が、呆然と立ち尽くすカルマに、真っ直ぐな視線を向けた。
「あなたカルマでしょう? 怪我はない? 私たち、あなたのことを助けにきたの」
長髪の少女だった。
透き通るように輝くプラチナブロンド。暗がりの中でも目立つ、晴れた空のような青色の瞳。淡い象牙の色をした膝丈のジャケットに、黒のタイツを履いている。女性らしいすらりとした体躯。おそらく身長はカルマより高い。
何より目立つのは、その肩にかかる丈長の
闇よりも深い漆黒。その色が持つ意味を、カルマは知っていた。
「黒十字騎士団のエリー・オペラよ。ロニ・セロー。心臓は返してもらうわ」
エリーと名乗った少女の言葉にカルマははっとした。
ロニの顔を見る。彼は特にあせった様子もなく、この状況を嘲笑うように口角を上げている。
「ようやくこの場所を突きとめたか。ずいぶんと遅かったな。……だが、ルルーの娘とは。これは少々厄介だ」
少女から距離を取るようにロニが退く。
瞬間、部屋中でけたたましい音が響いた。硝子が割れる音だった。
ぞっとする気配がカルマを襲う。形も大きさも不揃いな灰色の塊が、どさどさと床に落ちた。地下室のいたるところに浮かんでいた
不出来な操り人形のように蠢く数多の影が、乾いた関節をぱきぱきと鳴らして立ち上がる。
「あ……」
息をとめて後ずさった。両手で胸を強く押さえる。苦しい。痛い。怖い。自分は彼らに殺されてしまうのだと思った。
「カルマ!」
エリーの叫びが耳を衝いた。床に伸びた自分の影に重なるもう一つの影。はっとして後ろを向いたときには遅かった。
細長い腕を大きく振り上げた化け物が、目の前にいた。
やられる。そう確信した。同じ光景を見たことがある、とも。
そんなわけはないのに。
鳥籠の中の雛鳥のように。文字どおり、叔父の研究の血肉になるために。
(おれは──)
瞬きすらできずに硬直した。迫りくる死を、黙って受け入れるしかないと思った。
カルマの眼前を一閃が横切ったのは、そのときだった。
「え……」
ザン、と空気を裂いた風。途端に視界が鮮明になる。上下真っ二つに斬られた灰色のからだが、目の前でぐしゃりと崩れた。
呆気に取られるカルマの向かい側。本物の灰となった屍の先に、人間が立っていた。
──カンパニュラだ。
時がとまったような光景の中。カルマの脳裏をよぎるのは、ある物語の主人公の名前だった。
ばさりと翻される黒い
逆光に照らされるその顔を、正面からとらえた瞬間。
「──ナナギ?」
この日もっとも大きく、カルマは目を見開いた。
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