第3話 その頃の姉1
私は鈴木日向、何故か40歳になった所まで記憶がある。そして、気が付けば8歳の頃の自分に戻っていた。最初は何が起きたのかまったく判らず、思わず今の自分を見て叫び声をあげた。
私の叫び声を聞きつけて駆けつけてくれたのは、母方の祖母だ。私には妹がいて、二人ともこの母方の祖母には非常に懐いていた。
「日向! どうしたの! 何があったの?」
「お婆ちゃん?」
記憶にある祖母よりも全然若い。それでも祖母は祖母で、心配そうに私を覗き込んでいた。
「どうしたかね? お母さんが居なくて寂しくなったのかい?」
「う、うん。怖い夢を見た」
「そうかい、怖かったねぇ。大丈夫だよ、お婆ちゃんがいるからね」
祖母はそう言って私を抱きしめてくれる。ただ、そもそも私は状況がまったく判っていない。何が起こっているのかまったく理解が追い付かない中、時間だけは過ぎて行く。
何が起きたの? 小春はどうしたの? 小春はどこ?
娘の小春の事が真っ先に頭を過る。まだ10歳だけど、私と違って真面目な良い子だ。母子家庭と言う事で、何かと揶揄われる事も多い。幸い、虐めなどの深刻な事態にはなっていないみたいだけど、親の都合で小春に色々と負担を掛けてしまっている事に負い目を感じている。
そもそも、何でお婆ちゃんが生きているの? っていうか、ここは何処? 何が起きているの?
今自分の身に何が起きているのかが理解できない。祖母を見て、部屋の中を見回して、漸く自分の体が可笑しい事に気が付いた。
子供の体? え? 若しかして過去に戻った? どういう事?
心配そうに背中を撫でてくれる祖母にトイレへ行くと告げ、記憶に残る祖母の家をついつい眺めながらトイレに入る。そして、その鏡には懐かしくも幼い自分の姿が映っていた。
「子供の姿だ、え? うそ! 本当に過去に戻った?」
今までに何度も過去に戻ってやり直したいと思った事はある。
何で学生時代に真面目に勉強しなかったんだろう。そんな後悔は大人になってから日常茶飯事だった。
小学生の頃はまだ真面だった。だけど、中学に入ってから遊ぶことを覚えてしまった。
私が中学に入って仲良くなった友人達は、みんなが会社の大小はあれど社長令嬢だったり、医者の娘だったりとお金持ちばかりだった。そんな友達達に釣られるように、私は勉強よりもファッションやブランド品などに興味を持ち、次第に勉強を疎かにするようになった。
特に私が中学受験して入学した学校は、何もしなくとも高校から女子大までエスカレーターで進学できる。
その為、勉強する人としない人での差は、どんどんと広がっていった。私自身もご多分に漏れず、高校生になる頃には格好もどんどん派手になり、他校の同じように派手目な男子と付き合うようになった。そして、結局はその男子と結婚する事になるのだが、結婚して直ぐに何でこんな奴と結婚しちゃったんだろうと後悔する事になった。
私も、あいつもお互いに子供だったんだ。そして子供が生まれてから、私は漸く此の侭では拙いと自覚をした。しかし、旦那になったあいつは、子供が生まれてからも変わらなかった。
赤ん坊が中心の生活に変わって行くにつれて、だんだん不満を言い始める旦那。子供の将来を気にし始める私。そこから次第に擦れ違いが始まり、喧嘩が多くなっていった。
我が家は、普通のサラリーマン家庭だ。両親共働きで、必死に子供二人を育ててくれた。この時、如何に子供を育てる事が大変な事か痛感した。授乳、夜泣き、まともに夜眠れない日が続く。しかし、父親となったあいつは、土日の休みで有ろうと子供の面倒は見てくれない。
結局、子供が生まれて2年が過ぎて私達は離婚する事となった。
結婚し、子供を産んで、その後離婚をして、そんな中で子供を育てる事がどれ程大変な事なのかを離婚後に痛感した。
私は大学を卒業して早々に結婚した。そして、その1年後に小春を産み、その後2年半で離婚、実家へと2歳になる娘を連れて出戻った。結局最後の決め手になったのは旦那の浮気だった。家庭裁判所まで話は縺れたが、何とか毎月の養育費5万円という所で話は付いた。
ただ、此処からも簡単では無かった。離婚して3ヵ月後に早くも養育費が延滞するようになる。何度督促してもお金が無いの一点張り。
弁護士に相談しても、再度裁判をして勝っても支払われない事は多いらしい。そんな中、両親と独身だった妹の手助けも有り、正社員で働きはじめ、みんなの協力の中で幼い小春を育てながら、如何にか生活の目途が立ち始めていたのだ。
「嘘・・・・・・、小春が居ないよ」
依存と言われても可笑しく無いくらいに、私は小春にすべてを注いでいた。
再婚など欠片も考えず、自分がした失敗と同じことを小春がしてしまわないように。そんな思いで小春には、小学校へ入学と同時に英会話教室へも通わせ始めた。4年生からは塾へも行かせ始めた。そして、もうじき6年生になる所で、中学校をどうするか考え始めていた。
幸いな事に、小春は素直な良い子に育ってくれている。色々と我慢させているだろうが、両親が定年したあとは小春の面倒を見てくれた。ただ、安易にお菓子などをあげないよう父には強く言っている。子供が太るのは親の責任だ。そう思って絶対に太らせてなる物かと、食事やおやつにも気を配っていたんだ。
そんな大事な小春が突然奪われてしまった喪失感に、私は暫しトイレに座ったまま呆然としていた。
何が起きているの? 夢? 夢なら醒めて欲しい。でも、どっちが夢?
私が小春を生んだことが夢だったのだろうか?
気が付けばボロボロと涙が零れ続ける。どれくらいトイレに籠っていたのか、遠慮がちにトイレの扉をノックする音が聞こえた。
「日向? 大丈夫かい?」
「ヴン」
涙と鼻水のせいで変な声になってしまったが、何とか返事を返す。
「大丈夫だよ、日和も明日には退院するからお母さんも帰って来るからね」
「ヴン」
まだ止まらない涙を袖で拭って、漸くトイレから出る。すると、そこには心配そうな表情をした祖母が待っていた。
「ほれほれ、美人さんが台無しだ。お婆ちゃんがいるから大丈夫だよ。ほれ、お鼻をかみなさい」
そう言ってティッシュを渡してくれる。私はそれで鼻をかんで、祖母にぎこちなく笑いかけた。
「お婆ちゃん、ありがとう」
「なあに、大きくなったと思っていたが、まだまだ子供だね。お婆ちゃんと御菓子を食べようか」
そう言って居間へ連れられて行く。そして、祖母の家にいつもある瓦煎餅をかじりながら、今後の事を考えるのだった。
「明日には日和も退院できるそうだし、お母さんも帰って来るからね。それまでお婆ちゃんと二人だけど頑張ろうね」
「うん、お婆ちゃんごめんね」
私が謝ると、祖母は笑いながら頭を撫でてくれた。
その手があまりに温かくて、また私は涙が流れそうになる。
ああ、こんな時代もあったんだ。
そんな思いが胸の中の寂しさを、少しだけ温めてくれた気がした。
翌日、祖母の家まで父が迎えに来た。
「日向、お母さん達を迎えに行くから車に乗りなさい」
祖母に簡単に挨拶した父は、あっさりと車に乗る様に指示をして、さっさと自分も運転席に乗り込んだ。
ああ、そうだった。父はこんな人だったな。
「お婆ちゃん、また来るからね。ありがとう」
「いつでもおいで、また一緒にお菓子を食べようね」
笑いかける祖母に手を振って、私は助手席に乗り込んだ。
「シートベルトをしなさい」
「は~い」
「お義母さん、お世話になりました」
父は車の窓越しに挨拶すると、早々に車を出発させた。
私の知っている父とは明らかに若い姿。ただ、今になって思うが、あまり子供の事を考えなかった父だったかもしれない。家族以外の人がいる時には、如何にも優しい父親っぽい言動をする。ただ、私も妹も物心ついてから父にどこか連れて行って貰った記憶は無い。
暴力を振るわれる訳じゃ無いし、浮気をする訳でも無いから問題無いと言えばないか。
ついつい自分の旦那だった男と比較してしまうが、これはお父さんに失礼なんだろう。高校生の頃はこっそりお小遣いを貰っていたし、結局は娘に甘々な父だった。
そして、そのまま病院へと向かう。この段階で私は妹が小さい頃インフルエンザで入院した時だという事に気が付く。
「お母さん……」
車を降りて妹の病室まで行くと、そこには記憶と違うまだ全然若い母の姿があった。思わず涙腺が緩みそうになるのを我慢して、私は母に抱き着いた。
「あらあら、ごめんね。寂しかったよね」
母の言葉にコクンと頷いて、母の温もりに安堵する。
上目遣いに見る母もまた、随分と若く感じる。この頃には40歳になっていたはずだけど、贔屓目に見て30代半ばと言われると信じてしまうかもしれない。
その後、家に帰る車に乗る時についつい母の隣が良いと我儘を言ってしまう。
「私は助手席にのる!」
私の気持ちを慮ってくれたのだろうか、妹はあっさりと助手席に乗り込んで行った。
前の時はどうだったっけ?
妹がインフルエンザで入院した事は覚えているが、流石に其処迄は覚えていない。ただ、後部座席でお母さんにひっつきながら、これからの事を考える。
まずは真面目に生きよう。可能であるならば前の人生に、小春の下に戻りたい。あの子は今どうしているのだろうか? 私はもしかすると、小春を置いたまま死んでしまったのだろうか?
記憶がないが故に色々と考えてしまう。ただ、原因が判らない中、何が出来るのだろうか? 昨日の夜から一晩中考えた。考えたけど、何一つ原因すら思い当たらない。
戻りたい。戻りたいけど、戻れないのだったら最低限、前の人生と同じ失敗は繰り返さないようにしよう。
漸くそう思えるようになったのは、今日になってからだった。
みんなに苦労を掛けてばっかりだった人生だけど、今度はみんなに恩返しできるように。
そして、もし帰る事が出来ないなら、結婚して女の子が生まれたら小春と名付けよう。
前の人生と同じ小春ではないかもしれないけど、勝手かもしれないけど、前の何倍も、何倍も幸せにしてあげよう。それが今の自分に出来る唯一の贖罪だと信じて。
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