22 隠していたこと




築ノ宮は急いでマンションまで走った。

そしてその扉を開ける。

部屋には波留が立って待っていた。

そして彼に近づく。


二人は何も言わないままそっと抱き合った。


築ノ宮の前に綺麗な彼女の髪が見える。

桜色の艶やかな髪だ。

彼はそこに唇を寄せた。


ずっと触れたかった何かが今ここにある。


「ハル、」

「アキ……。」


波留が顔を上げて二人の目が合った。

彼女の目には涙がいっぱいに溜まっていた。

築ノ宮は彼女の瞼に唇を寄せると波留は目を閉じ涙が流れた。


「ハル、ごめん。色々隠していた。」

「……私も知らない事が多過ぎたの。もっと聞けば良かった。」


二人はしばらく抱き合っていた。

そして並んで椅子に座った。


「アキ、怪我は?」


波留が築ノ宮を見た。

頬に小さなかすり傷がある。

彼は自分の手を出した。


「頬と手に擦り傷が出来た。」


波留が頬の傷に触れると

そこがじわりと熱くなるのを築ノ宮は感じた。


「あっ、」


波留が驚いた声を出す。


「傷が消えたわ。」

「えっ。」


波留が築ノ宮の腕の傷を手で押さえる。

そしてその手を離すと傷は消えていた。

築ノ宮は思い出す。

以前頬にあった闇の傷が治っていた事を。

あの時も波留に触れた後だった。


「前に頬に傷があったのを覚えている?」

「ずっと前よね。」

「ああ、あの傷もハルに触れた後に治っていた。」


築ノ宮が彼女の耳元に口を寄せる。


「初めてキスした時だ。」


築ノ宮には治癒能力はない。

だが波留といると何かが起こるのだ。

二人が揃うと何かを生み出す力が現れるのかもしれない。


波留がじっと築ノ宮を見た。

そして優しくキスをした。


「電話、聞いてくれた?」


二人でキスを交わしながら築ノ宮が波留に言った。


「ええ。渡辺さんはどんな方なの?」


築ノ宮がふっと笑う。波留が彼の胸に顔を寄せた。


「秘書の方だけど私の事をよく考えてくれる人だ。

お姉さんのようなものかも。

今度もすごく心配してくれて、

話したら私が電話すると言ってくれたんだ。」

「すごく悪い子だったって言っていたわね。」


以前に彼は修行に出たのを

自分の性根を叩き直すものだったと言っていた。


「そう。」


築ノ宮が彼女の髪の香りを嗅いだ。

柔らかな甘い香りだ。


「色々と隠してた事を話すよ。」


波留が無言で頷いた。




「私は三五さんご商社と言う所で働いている。

普通の商社の仕事もしているけど、

裏ではいわゆる世の不思議や物の怪などを祓ったり封印する仕事をしている。

大昔からそんな家系なんだ。」

「そんな事をしている人がいるってみんな知ってるの?」


築ノ宮が首を振った。


「いや、知らない。

誰も知らない所でこの国と人々を守っている。

だがそれで良いんだよ。

誰も知らなくても私はこの仕事に誇りを持っている。」

「今日もそれで怪我をしたの?」

「そうだよ。闇の傷だ。だがハルが触ると治った。

きっと私とハルがいると何かが起こるんだ。」


波留が彼を見上げた。


「でも私は半分は物の怪よ。アキは祓おうと思わなかったの?」

「いきなりそんな事はしないよ。でも最初は様子を見ていた。」


築ノ宮が彼女の頬を指で辿った。


「でもそのうちそんな事は忘れていた。

ハルの中の物の怪の血は薄い。

人の間で長く暮らしているからだと思う。

だからハルが知らないのならそのまま告げずに

付き合いたいと思っていたんだ。」

「アキ……。」

「だからハルが自分の生まれや私の素性を知ったら

どこかに行ってしまうのではないかと……、

だから怖くて何も話せなかった。」


波留は彼と出会った頃は身分の違いで

彼は去ってしまうかもと恐れていた。

そして自分の中に得体の知れないものがあると

気が付いた時も。

だがその彼も波留がいなくなる事を恐れていたのだ。


「それで叔父がハルのお母さんを祓ってしまったのは、

もう何も言い様がない……。

お詫びをしようにもどうしたらいいのか……。」


波留は首を振った。


「アキがしてしまった事ではないから。

それにあの叔父さんとアキは全然違うわ。」


波留は橈米を思い出す。

築ノ宮が背負っている闇を彼女は橈米からも感じた。

彼はその闇をあからさまにその身に纏っていた。

だが築ノ宮は光の奥に闇がある。


同じような恨みの闇だ。


しかし、築ノ宮は光がその闇から彼を守っている。

その上で彼はそれを背負っているのだ。

宿命として恨みも受け入れている。


「お母さんが今どう言うか分からない。

もしかすると怒るかもしれないけど、

私はアキと別れるなんて考えられない。

叱られても何万回も謝って許してもらう。」


波留はまっすぐに彼を見た。


「なら私も頭を下げるよ。

ハルと一緒にいる事を許してもらうまで。」


二人の目が合う。


「私もずっとアキがいなくなるのが怖かった。

本当に最初から。」


築ノ宮を見た波留の瞳に光が走る。

彼はそれを見た。


「ハルは気持ちが動くと瞳に光が走るんだ。

知らない人には怖いかもしれない。

でもそれはハルの心が光らせているんだよ。

正直でまっすぐな心だ。」


築ノ宮が波留にキスをした。


「物の怪は人の心を読みそれにすぐ影響されてしまう。

純粋なんだ。

それをハルは持っている。

人であって物の怪でもある。私にとっては理想の人だ。」


彼は強く彼女を抱き締めた。


「放したくない。離さない。

行っちゃだめだ、ずっとそばにいて。」


耳元で囁く彼の声をハルが聞く。

なんて我儘な言葉だろうと。

まるで子どもだ。

波留の意志など全く考えていない。


お金持ちで洗練されていて

端正な顔立ちで堂々としている。

その男のなんと自分勝手な物言いだと波留は思った。

衣料品店のマダムは独占欲が強いと言った。

築ノ宮はその通りだった。


彼女は彼の首筋に腕を回した。


「行かない。」


彼の有無も言わせぬ我儘が波留にはとても心地良かった。

自分の場所が確実にここに出来たのだ。

彼の心から自分が消える事はもうない。

そして自分の心にも彼は永遠に存在するのだ。


「絶対?」

「絶対。」


二人は顔を合わせて微笑み合う。

もう隠し事は無いのだ。


波留は彼の耳元に口を寄せた。


「アキ、赤ちゃんが出来たの。」


一瞬築ノ宮の動きが止まる。

そしてぽかんとした顔で波留を見た。

しばらくその顔のまま彼女をずっと見ているので、

波留は恥ずかしくなり顔を伏せてしまった。


「あの、ハル……、赤ちゃんって……、」

「……そうなの、だから連絡しにくくなって。」


築ノ宮が強く彼女を抱いた。


「痛い、痛いわ……。」

「ご、ごめん。」


彼の力が緩む。

しばらく彼は彼女の肩に顔を当てていた。

そして顔を上げるとその目が少し赤かった。


「どうして言ってくれなかったんだ。」

「あの、話したらどう言われるか分からなくて。」


築ノ宮がため息をついた。


「それも私が悪かったんだな。ごめん。」

「そ、そうじゃなくて……。

私もはっきりしなかったから、ごめんなさい。」


二人は黙ってしまったがすぐにふふと笑い出した。


「謝ってばっかりね、私達。」

「そうだな、遠慮ばかりだ。」


築ノ宮が波留の髪を撫でた。


「今でも心臓がどきどきしているよ。

こんなに驚いたのは初めてかもしれない。

いつ分かったの?」

「ついこの前、家で調べたの。」

「調子は良いの?」


波留が俯く。


「つわりがあって気持ちが悪いの。

でもこの前モンちゃんから梅干しを貰って。」

「梅干し?」

「白粥と一緒に食べたら大丈夫だった。」


築ノ宮が少し笑った。


「モンちゃんには世話になりっぱなしだ。」


波留が築ノ宮を見上げた。

優しい顔で彼は微笑んでいる。

それを見て彼女は分かった。


もう何も心配はないのだ。


二人の顔が重なった。

軽く優しい波が少しずつ深くなっていく。


「ハル、良いの?調子が。」

「良いの、私が欲しいの。アキ……。」


それは静かで穏やかな夜だった。

お互いを改めて確かめ合う行為だ。

脆く儚いものに触れるように

全てが優しく労わりに満ちていた。


そして辿り着くものを二人は分かっていた。

それは既にこの世に存在しているのだ。


暖かい中で二人は抱き合う。

築ノ宮が波留の耳元に囁いた。


「明日は水曜日だよね、仕事は休みだろ?

どうしてもハルを連れて行きたい所がある。」


彼の胸に顔を乗せて波留がその言葉を聞く。

もう調子の悪さはどこにもなかった。

彼の声が耳に響く。

その振動が心地良かった。


「どこ?」

「聖域だよ。」


由美子の電話で聞いた場所だ。


「物の怪達の聖域だ。そこに私の父がいる。」

「お父さんが?」

「紹介したいんだ。」


波留が顔を上げた。


「体調が良ければだけど。」

「多分、良い気がするの。

何だかお腹が空いた気がする。」


すると築ノ宮がくすくすと笑い出した。


「じゃあ何か食べよう。私が作るよ。

いつもハルが作ってくれたけど私もそれなりに出来るんだよ。」

「でもずっと調子が悪かったけどどうして今は良いのかな。」

「多分、」


築ノ宮が波留を見た。


「二人に隠し事が無くなって

心の重荷が無くなったからだよ。私もそうだ。」


二人は顔合わせてにっこりと笑った。







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