3 宇宙人




「おはようございます。」


由美子が執務室に入ると築ノ宮が書類を渡した。


「昨日は失礼しました。

これが昨日の案件の調査方法となります。

クライアントに届けて頂けますか?」


築ノ宮が頭を下げる。


「はい。早速。」


ちらりと由美子が彼を見た。


「これはご自宅で。」

「はい。」


昨日から築ノ宮の様子がいつもと違うのは彼女も感じていた。

そして今朝も雰囲気が違う。

彼女が書類を受け取り彼を見た。


「昨日はまたいつもの物を買いに行ったのですか?」


彼の唯一の趣味はいわゆるカプセルトイを買う事だ。

月に一度あるかないかの彼の休日は大抵それを買うために費やされる。

そしていらないものは由美子の元に持って来る。

その後彼女は段ボールにそれをまとめて廊下に置くのだ。

すると知らないうちにほとんどが無くなっている。

昨日はそのカプセルトイの新製品でも出たのだろうか。

だが彼は彼女の言葉を聞くと少し澄ましたような顔になった。


「その、いえ、そうではありません。」


むず痒いような言い方だ。

そんな様子の築ノ宮を見るのは由美子は初めてだった。


いつもは年齢に合わない貫禄があり堂々としているが、

今見せたふとした仕草は若い男性らしい照れ隠しのようだ。

いつも気張っている様子を見ている由美子は

何かあったのだろうかと思いつつ、微笑ましい気がした。


だがそれは顔には出さない。


「本日の予定ですが……。」

「はい。」


今日もびっしりと予定がある。

そして彼の重大な仕事の予定もあった。


「午後に予定地の地鎮を行います。」

「手配は済んでいますか?」

「はい。」


荒ぶる土地神との対話だ。

対話で済むかどうかも分からない。


そのような命に関わる仕事も少なくはない。

時にはぼろぼろになって帰ってくる事もある。

だがそんな危険な時でも彼は先頭に立ってそれに立ち向かう。


やらなければいけない使命だと彼は知っているのだ。






波留が築ノ宮にさよならと言ってから一月ほど経った頃だ。


「スペードの5です。

これは試練や困難を表しているみたい。」


目の前の若い女性に向かって波留は静かに言った。


カードは彼女にとっては触媒のようなものだった。

4つのマークや数字にはそれぞれ意味がある。


それは彼女は知っている。

だが自分なりの解釈があるのだ。

ある意味彼女の占いは直感占いと言えるだろう。


カードの山を占って欲しい人に触れてもらう。

そしてそれを切る。

その時波留は相手の記憶を瞬間感じるのだ。



そして目の前の女性の記憶も見えた。

何度も彼女を叩く男性。

恐ろしい顔をしている。

それでもこの彼女は男から離れられないのだ。


「もう終わりかもしれない。

あまり辛い事は言いたくないけど

その人とは別れた方が良いのかも……。」


目の前の彼女は俯いている。

テーブルの上に置いた手に涙がぽたぽたと落ちた。


「やっぱりそうでしょうか……。」

「私も良い事を言いたいけど、殴る人は……。」


顔を上げた彼女の眉毛の上には目立つ痣があった。


「一人になると淋しいけど必ず違う道はあるわ。」


痣のある彼女はしばらく泣いていた。

波留は黙って彼女の涙を見る。


占いをしていると人生相談のようになることも少なくはない。

今日のこの彼女もそうだ。

多分乱暴な彼と別れるきっかけが欲しいのだろう。


波留が告げた言葉でそうなるかどうかは分からない。

だが今の彼女の様子を見ると幸せではないのは分かる。

悩んだ彼女が辿り着いたのがここだ。

出来れば彼女の新しい人生のきっかけになればと波留は思った。


だが、一人になると淋しいけど……、と言った自分の言葉を思い返す。


一人になる、それは今の自分だ。

両親はいない。

そして友達もいない。


だがついこの前ある人と会った。


その人は波留をどう思っているか分からない。

だがそれを知る前に彼女は彼から離れた。

本気になりそうな自分が怖かったのだ。


今の時代は人の身分に上下など無いと言う。

だが実際それは存在している。


今月の家賃を気にして食費を削る自分と、

仕立ての良い背広を着ている築ノ宮とは 

明らかに生きている世界が違うのだ。


だが二人は出会った。

話をして食事までした。


このまま近寄れば自分は間違いなく彼に惹かれるだろう。

だが築ノ宮は?


自分に飽きた彼がどこかに行ってしまい、

戻るのを泣きながら延々と待つのは嫌だった。

でも今ならまだ少しばかりの心の痛みで済む。

小さな思い出だけで良いのだ。


築ノ宮にはあの時さよならと彼女は言った。

あの別れ方は不作法だった。

多分行儀もなっていない失礼な女と思って二度と来ないだろう。


やがて痣のある彼女は泣き止み、料金を払った。


「ごめんなさい、少し長くなってしまって。

延長料金は?」

「良いのよ、お客さんはあまり来ないから。

元気出して。」


彼女は少し笑って部屋を出て行った。

カーテンがめくれて外にある客用の待合椅子が見えた。

誰も座ってはいない。


今日は平日だ。

このモールの来店者も少ない。


「もうお客さんも来ないかな。」


彼女はため息をつくとテーブルの上を片付けだした。

少し早いが終わりにするつもりだった。


その時だ、カーテンが開く。


ふと見るとそこには帽子を目深にかぶってマスクをした

長身の男性がいた。

大きなカバンを肩から掛けている。

波留ははっとする。


「築ノ宮さん……。」


顔は全然見えないが姿だけで彼女は分かった。

心臓が急に早く打ち出す。


彼はテーブルの上を見た。


「すみません、もう終わりですか?」

「あ、いえ、あの、」


断った方が良いのだろうか、

でもせっかく来てくれたのだ、それも失礼になる。

色々と彼女は思いを巡らせた。

だが様々な考えを消し去るほどに彼が来たのが嬉しかったのだ。


「大丈夫です。どうぞ。」


彼は椅子に座ると少し帽子を上げた。

その眼が笑っている。


「良かった。今日はお詫びに伺ったのです。」

「お詫びですか?」


彼女は不思議に思った。

失礼をしたのは自分だと思っているからだ。


「先日は私が何かしらあなたを怒らせる事を

言ってしまったのかもしれません。

私は不調法なもので……。申し訳ありませんでした。」


波留は慌てて手を振った。


「そんな、この前はむしろ私の方が失礼をしてしまって。

謝らなくてはいけないのは私の方です。」


築ノ宮がマスクを取った。

その頬に赤い筋がある。

それを見て波留ははっとした。


「どうされたんですか?」


白い肌に生々しい傷だ。

硬い尖ったもので引き裂かれたような感じだ。


「怪我をしてしまいました。

もう塞がっていますが赤く残りました。」

「大丈夫なんですか?傷跡が残ってしまうの?」


他人事ながら波留は焦り出した。


「平気です。数か月すれば消えますよ。」


何事もなかったように築ノ宮は言った。

この傷は先日物の怪を祓う時に負った傷だ。

このような事はあまりないが、たまたま物の怪の爪が当たったのだ。

物理的に肌が引き裂かれたが、闇の傷でもある。

なので少しばかり治りが悪かった。


波留が心配そうに築ノ宮を見る。


「よろしければまたモンちゃんに行きませんか?」

「えっ?」

「私はあのお店が気に入りました。

小麦も鰹節も青のりも大変美味しかった。」


築ノ宮がにこにこと笑う。


「前にお待ちした南側の入り口で待っています。」


そして彼は鞄からカプセルトイを一つ取り出した。


「これ、同じものが出てしまったんです。貰って下さい。」


彼女が受け取ると中にはピンク色の宇宙人のような

小さなキーホルダーが入っていた。

彼女はそれを見てぽかんと築ノ宮を見た。


「可愛いでしょう。お待ちしています。」


と彼はまたマスクをつけて部屋を出て行った。


しばらく彼女はカプセルトイを握り締めたまま

築ノ宮が出て行ったカーテンを見ていた。

そしてポロリと涙が流れた。


手元にあるのはよく分からないキャラだ。

彼女には可愛いのかどうかよく分からない。


だがあの彼は可愛いと言った。


裕福そうで綺麗で格好良くて性格も良い、

今まで見た事が無いタイプの男だ。

その彼が笑いながら自分にくれたものは

小さな宇宙人らしきものだ。


あまりのギャップに可笑しくなり、

そしてたまらなく彼が愛おしくなった。


波留はもう彼を心底好きになっていたのだ。


だが彼は自分をどう思っているのだろうか。


それを考えると胸が苦しくなる。

そして耐えがたい辛さがじわじわと湧いて来た。

だから彼女は涙を流すのだ。


彼が待つ南の入り口に行って良いのか駄目なのか。


波留は迷った。







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