第15話 脱走竜
思わず窓枠から身を乗り出す。
人々は男に続き、道の曲がり角を次々に曲がって行った。
私は遠くを見通すように背伸びし、通りの向こうへと目を凝らした。
暗闇にそびえたつ鉄塔の根元付近、中央広場方面がぼんやりと明るい。すでに大勢の人が集まっているようだった。
「信じられない……っ! 操竜士なしで鉄塔に登ろうとしてるの? 危険すぎる!」
竜はどこに着地すればいいかを自分で判断することができない。
開けた場所も、建物の屋根の上も、竜にとっては同じ着陸地点だ。
もし家屋の屋根などに着陸してしまったら、建物の損壊で済めばいいが、中に人がいるとケガでは済まないかもしれない。
竜が鉄塔を登り始める前に、操竜士は彼らの手綱を握っておかなければならないのだ。
「まずい、止めなきゃ!」
私は弾かれるように窓辺から離れ、広場へ向かうべく颯爽と――サイドテーブルに小指を思いっきりぶつけた。
中を舞うコップ。
左足のひざ下にぶちまけられる水。
「あいだッ! 冷たっ‼」
目の前に星が飛ぶと同時に、派手な音を立ててサイドテーブルが倒れる。
コップは幸いにも割れはしなかったものの、ベッドの下へ滑り込みゴールインを決めた。
「あーもう! あーもう!」
ケンケン足で部屋を飛び回りながら、私は床の水たまりにタオルを放り投げつつポールハンガーにかかったフライトジャケットに腕を通す。
「い、行ってきまーす……」
ジンジン痛む足をスリッパから靴に履き替えて、静かに玄関を押し開けた。
通りへ出ると吐息が一気に白くなり、冷え切った外の空気が無防備なうなじを撫でる。
(し、しまった、着替えるのすっかり忘れてた! けど……)
私は部屋に戻り服を着替えるかどうかを悩んだ末、諦めて向かうことを選んだ。
誰かがケガをしてからじゃ遅い。逃げ出した竜のことも心配だ。
「待っててね、逃げ出しちゃった竜ちゃん! 私がたどり着くまで!」
私は風を切り夜道を駆け抜ける。下半身を水で濡らしたパジャマ姿で。
「おい嬢ちゃん、あんたまさか――」
「ええ、そうです。私が操竜士です」
私はすれ違う人たちに私はこれ見よがしにタグをちらつかせた。
こういう時、タグは便利だ。
このタグさえあれば、だれもが私をただの小娘ではなく、竜に関する専門家とみなしてくれる。
不安な面持ちだった人々も、私の胸元にきらりと光る銀色のプレートを見れば、ぱっと顔をほころばせる。
タグも久しぶりに日の目を見て、心なしか嬉しそうに跳ねていた。
「どうもどうも、操竜士です。あ、はい、私が操竜士です!」
得意げに胸を張りながら人の波をかき分け、私は速度を落とすことなく走り続ける。あともう一つ角を曲がれば、広場が見えるというところまで来ると、野次馬の数もかなり多くなっていた。
私はひときわ大きな声で人々の注意を引く。
「遅くなりました! 私、操竜士の資格持ちですっ!」
「おおっ! なんと頼もしい! おーい! 操竜士の子が来てくれたぞー!」
野次馬のひとりが声を張り上げると、周囲から歓声が巻き起こった。
「助かった!」
「ちょうど困ってたんだ。いやぁ良かった!」
私は速度をやや緩め、片手をあげながら群衆に応えていく。
「いえいえ。これが務めですから。しかし、困ったものです。一体どこの竜ちゃんが脱走したんでしょうね」
軽いため息と共に、意味もなく手で後ろ髪をかき上げ、仕事のできる操竜士を演出する。
「お姉ちゃん、かっこいい!」
通りの窓から顔を出す子供たちが、目を輝かせた。
そうだ。
こういった草の根活動が、竜運再開の足掛かりになるかもしれない。
暴れる竜を華麗に手なずけ、騒ぎを鎮圧。
私は名乗ることなくその場を後にするのだ。
そして後日、街に広がる噂話。
『謎の操竜士、見事トラブル解決!』なんて書かれた新聞の見出しが、お粥屋の向かいにある雑誌店に並ぶ日も近いかもしれない。
「ふふ、ふっふっふっふっふ……」
想像しただけでも期待に胸が躍る。
いい。すごくいい。
私は緩みそうな口元を引き締めて、できる限り真剣な表情を作りながら公園の人だかりへ分け入った。
「すみません、通ります! 操竜士です! 道を開けてください! あっ、ちょっと! どこ触ってるんですか! え? 男かと思った? くっ! あなたの顔、覚えましたから! ってそんな場合じゃなくて! どいてください! どいてください!」
ぎゅうぎゅう詰めになった人ごみの中を、もみくちゃにされながら進んでいく。
なんとか最前列までたどり着き、最後の垣根を潜り抜けた。
鉄塔前に転がるように飛び出した私は、ふぅ、と額に浮かんだ汗を拭う。
「やっと抜けられた……。まったく、どこの誰よ。竜を逃がした操竜士は。管理がなってないのよ、管理が――」
愚痴をこぼしつつ顔を上げた次の瞬間。
ヒュッと自分の喉が息をのむ音が聞こえた。
無残に壊されたフェンスの先。
人々の鉱石灯に照らされた、やや小ぶりな竜。
お茶目なことに、自分で突き破ったフェンスを首からぶら下げている。
ごつごつした苔色の鱗に空色の瞳。
「あれ……? え……?」
混乱する私の目の前で、照明を一身に浴びた竜は眩しそうに瞬きながら、誰かを呼ぶように空に吠える。
「ガウゥゥゥゥウウ!」
その聞き慣れた声を間違えるはずもない。
「――あ」
思い出した。そう言えば昨日の晩。
(ベルを竜舎に入れた後、ちゃんと鍵を閉めたっけ……?)
ぶわっと全身の毛穴が開き、冷汗が滝のように流れだす。
間違いない。脱走騒ぎを起こした張本人はベルで、管理が行き届いていない操竜士はまさに、――私のことだった。
「~~~~っ!」
フライトジャケットのフードを深くかぶり直し、涙目になりながらベルのもとへと駆け寄る。
(なんで⁉ どうして⁉)
頭の中で、ぐるぐると同じ言葉が渦巻く。
竜舎の鍵をかけ忘れたのは、今回が初めてではない。忘れっぽい私は過去に鍵を開けっ放しで帰り、たまたま通りかかったエリザさんから大目玉を食らったことが何度もあった。
ひどいときには、翌日の散歩まで無施錠だったことさえある。それでも今回のような脱走事件をベルが起こしたことは一度もなかった。
ベルは鍵がかかっていなくても、ちゃんとおとなしく檻の中で待っていて、「リオよりも賢い」なんてエリザさんに言わしめたぐらいだ。
だから、私は目の前の光景が信じられない。
「な、何やってるの! ベル!」
私はベルに駆け寄ると、他の人に聞こえないように声をできる限り抑えて耳打ちする。ベルは私に気が付くと「グァ!」と口を開けて、翼を大きく広げた。
背後には大勢の目がある。今私とベルの関係性が露呈してしまうのはまずい。非常にまずい。
私はベルに両手を広げ、興奮を抑えるよう訴えかけた。
(ベルお願い! 今だけは他人の振りをして! お願い!)
何かを察したベルは「グァァ……」と気を落としたように体を縮める。
私はほっと胸をなでおろし、ベルの首にぶら下がっているフェンスに手をかけた。
角がフェンスの網に引っかかり、返しになってしまっている。
これでは自力で外すことは難しかっただろう。
私は切れた針金がベルの顔を傷つけてしまわないよう気を付けながらフェンスを取り払った。ベルはやっとうっとおしい邪魔者が首元からいなくなったので、嬉しそうに手足をばたつかせる。
「だからベル、しぃーっ!」
私は小躍りするベルの鼻先で人差し指を立てる。
人騒がせな幼竜は、やや不服そうに「グルル……」と低く唸った。
「そんな顔してもダメ。さ、早く帰るよ」
私は片手でベルの角を掴み、その首を広場の外へ向けた。
(このまま自分の顔を隠しながら、竜舎まで連れて行こう。もし今回の事件の犯人が私だってばれてしまったら、先輩やロスカにあきれられちゃう。ああ、そうだ、館長も帰って来てたんだった。うおぉ、エリザさんから絶対に怒られるぅ)
それだけは避けたい。絶対に避けたい。
夜中の凍えるような寒さからか、凍り付いてしまったパジャマの水のせいか。あまり理由を考えたくはなかったが、とにかく歯がうまくかみ合わず、カチカチと音を立てた。
(そうだ、まずはこの広場を突破しよう。大きな目標を立てるとつまづくから、まずは目先の目標を立てるべしとは、先輩のありがたいお言葉だ。今回はそれを参考にさせてもらおう。決して心が折れそうになってるとか、泣きそうになってるとかそんなんじゃないから……!)
私は祈るような気持ちでベルを引き連れて歩き出す。
しかし、ちょうど壊れたフェンスを差し掛かったところで、ベルは急に立ち止まってしまった。
角を掴んでいた私は、危うく後ろ向きに倒れそうになる。
ベルはフライトジャケットの裾にかみつき、ぐいと塔の方へ引っ張っていた。
「ベルッ! 何やってるの!」
驚きながらも負けじと引っ張り返すが、一向に放す気配がない。
私もややムキになり、噛みつかれた裾を掴んで足腰に力を込めた。
「ねぇ、あの子大丈夫なのかしら……?」
「操竜士……だよな?」
ベルと綱引きを繰り広げていると、周囲のギャラリーにどよめきが広がる。
かあっと顔が熱くなった。
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