横淵の墨痕

藤柿

第1話

 目の前の、昨日古柴志帆こしばしほと名乗ってきた一年生は突然言った。

 「ねえー、先輩ー。あたし、中学んときフラれたんですよー」

  ・・・・その中学のときの先輩に。


 「そう、オレも中三の時に後輩に振られたねぇ、そういや」とは、流石に返せなかった。  

 それこそ中三の頃だったら即座にそう言えたのかも知れないが、オレはもう高校三年だし、そもそもとして、出会って二日目の後輩にいきなりそんなこと言われても、普通返し様に困ると思うんだけど。ましてや、その中学の先輩とオレが似ている、みたいな話で一頻り重ねて喋った後だったら。

 でも、古柴はそうは思わなかったのか、あるいは言ってから一瞬に生じたオレの困惑を見てようやっとそう思ったのかも知れない。



 ──っバッシーーーン──


 「やあー、元気そうだねえー」

 始業式の次の日、新歓の始まる三十分ばかし前、新しい教室の新しい自分の席で、後ろ手と足を組んで微睡んでいたオレの頭を紙束でひっ叩いてきたこの女は藤垣煕衣ふじがきひろえ

 「だからって叩くこたぁーねえだろ」とオレは取り敢えずツッコんだ。人の頭を唐突に叩く様な奴は、もはやガキと言った方が正確かも知れない。

 あーあ、今年は一緒なんだったな。

 が、それと同じくして、「藤垣会長、スポットライトの件で岩間先輩が・・・・」と、髙井田と書かれた一つ下の学年を示す、エンジ色の中履きを履いた男子が尋ねてきたので足早に消えていった。

 今や、オレ以外のほぼ全ての生徒にとって、藤垣は『会長』である。正確に言えば、第三十九期県立桃富高等学校生徒会執行部会長、である。もしかしたら執行部は余計だったかもしれないが、それを入れることが藤垣のささやかな学校への抵抗であると知っているので、一応汲み取っておく。

 何はともあれ、「何で一年の為の新入生歓迎会に三年の我々が出ねばならんのだ、その間自習させろ」とか息巻いておいて、どうせ自習だったら居眠りするようなその辺のやつとは比べものにならないほど、藤垣は忙しいのである。多分、さっきの紙束だって今日のタイムテーブルとかだろう。


 新歓が始まって早々、前座の校長挨拶が終わると、二年前、教壇で四十人を相手にしていた藤垣は体育館で一千人を相手に挨拶していた。他人事みたく言いつつ、オレだってこのあとの部活紹介に出るんだがね。


 ──物理部の皆さんありがとうございました。

   さあ、続きましては書道部の皆さんです! 

   新入生は体育館前方を御覧下さぁい──


 そう司会に振られると同時に、オレは去年も使った、自作の身長よりもデカい筆とワイヤレスマイクを持って仲間と共に走り出す。


 「えー新入生の皆さんこんちわ! 書道部ですー 

  わたくし副部の横淵と申しまーす」

 そしてこちらが! 

 と、ステージの中央まで来たところで隣の菅原すがわら部長に振ると、オレを一瞬だけドブのヘドロかザリガニでも見るような眼で見てから、

 「ご機嫌よう、部長の菅原で御座います」

 と、別人のように、如何にもな御嬢様が御電話に御出になるときみたいな、煌びやかな御声で御名乗り遊ばしてからぺこりと頭を下げる。


 さて、こっからが本番!


 「それじゃ書道ものまねいっきまーす」

 そう言って立ったまま上体を折り曲げて、体でL字を作る。

 菅原部長はちゃんと体育館がシーンとなってから、

 「何ですのそれ?」と少し冷ややかに訊いてくる。



 オレはマジマジと、



 なるべく低い声で、



 これ以上無い程のドヤ顔を新入生に向けて、




 「かぎかっこです」


 いやあーほんとに、物理部の皆さん凄かったねえー フレミング右手の法則だっけ? 

 あれ。あとなんかアルミホイルでバチバチするやつ。

 んやあー、ほんと素晴らしかったねえー オレもバチバチしたいよー 

 ねえ、茅野ちの


 「横淵先輩、作品と先輩の筆運んどきますね」

 体育館の舞台袖で、なんとなくぼーっとしてたオレのアホな問いかけに対して、書道部唯一の二年生であり、つまり今のところ唯一のオレの後輩である茅野愛李はそつない返答を寄こしてきた。斜め手前の菅原部長は、生徒会の人となんか喋ってる。ちなみに、この茅野はオレと部長が消えてから我々二人の作品を持って、「バカな先輩たちですけど、かぎかっこの人は県展に入選してたりする一応ちゃんとした人なんです」みたいなことを言う、なんかもしかすると一番可愛そうなポジションに置かれている。そこへ置いた元凶のオレが言うことじゃないが。

 そういう訳で、今年も一週間の仮入部期間がやってきた。


 「あーかぎかっこの人だー」

 「わっ、かぎかっこじゃん」

 「文芸部のスパイなんかな」

 ・・・・放課後、廊下を歩いているだけで後ろ指を指されるし、しかも半分くらいは同級生か二年生が冷やかしてくる。

 「わたくしの佳麗なるツッコミを描写しなかった罰ね」と、菅原部長。

 多分そうではない。大体、あなたはオレが盛大に滑って、僅かに二、三人が堪えきれずに爆笑してたところを肘でどついただけでしょう?

 「じゃあ、わたくし塾へ行きますからお先に。あと多分、今後は塾で早く帰ることが多くなります」

 そう言って、茶色のスクール鞄を揺らしながら帰って行った。

 そうだよねえ、受験だもんねえ、三年だし。んやオレもだけど。

とか思いながら残されたオレは一人で、『書道部部員募集中』とこれまた去年自分で書いた段ボールを持ってHR棟の一階、つまり一年の教室のある階を歩く。

 ──書道部部員募集してまーす、書道部、書道部でーす──

 とか言いながら、既にごった返し、ざわついてる廊下に埋もれないよう声を張り上げる。それから時折、手持ち無沙汰にしてるその辺の、青色の中履きを履いた一年生に話し掛ける。

 「どう? 書道? 字綺麗になるよ?」とか、

 「白と黒だけで森羅万象を表現出来んだぜ? かっけーだろ」だったり、

 「え、漫研行くの? ああ、んやうち水墨画もやってるよ」や、

 「じゃあじゃあ、墨磨る専門のマネージャーで良いからさ、どうよ?」と言った具合だ。

 そんなこんなで、ちょっと座りたいな、部室戻ろっかな、って思い始めた頃、青の中履きを履いた中くらいの背の女子生徒が、オレの方を遠慮がちにちらちらと見ているのに気づいた。

 遂に来たぜ!

 オレはそいつに目線を送って「書道部、如何です?」とさらっと言ってみると、

 「あの、すいません! の部室ってどこですか!」

 あー、ええーっとねえ、うん。道案内しろと。まあ良いけど。


 演劇部は特別教室棟一階、第八選択教室か、そのすぐ前の中庭で練習しているのを良く目にする。渡り廊下を歩いているときに中庭でバトン部が練習しているのが見えたから、直接選八へ行く。


 ──仮入部期間中、桃花荘二階・藤の間で活動しています 

   活動時間/放課後~十八時丁度 演劇部──


 白いペンキが何度も塗り直したのがバレバレな、選八の木製の戸の磨り硝子にはそう書かれた貼り紙がしてある。んで、その選八の中では『猿人からやり直す日本史補講』なんてのをやってた。んや、それは良いけど・・・・よりにもよって桃花荘とうかそうか。

 「えーっと、君、桃花荘の場所は知らないよね?」

 はい! っと、返事だけははっきりしたこの一年の女子は言った。桃花荘は、うちの学校の敷地の一番僻地、プールとかテニスコートとか卓球場の更に奥に建つ、木造二階建てのマジでボロい合宿所である。あー、書道部の部室である書道室はこの直ぐ上の二階にあるから直ぐ帰れると思ってたのになー、まあ良いよ。散歩ってことにでもするから。

 実に晴れた空の、青色の際立つ中、延々続く渡り廊下を、名前も知らないこの元気な一年生と歩いていると、手にもつ段ボールの看板が無駄に大きく感じられる。折角だからなんか喋るか。

 「オレは書道部の横淵だけど、君はなんて言うの?」

 「一年C組の宮嶋みやじまです!」

 「宮嶋さんね。演劇部は中学の時にやってたりしたの?」

 「いえ! やってなかったですけど、冬休みに中央公民館で桃高の演劇を見てやってみたいなって」

 ほーう。なんかちゃんとした理由だな。運動は出来ないし、将棋は駒の動きが分かんないし、囲碁はなんかつまんなそうだし、吹奏楽は楽器出来ないし、英語部なんか英語出来ないから無理じゃーん、とか言って美術部に入った藤垣とは雲泥の差である。まあ、それは藤垣が中学の時の話だが。


 トキワ荘ならぬ桃花荘の、老朽化の三文字がぴったりな入口の硝子入りの格子戸を押し開けると、緑・エンジ・青の三色の中履きが色とりどりに散らばって、玄関を埋めている。つま先立ちでなんとかミシミシと音のする簀の子に上がって中履きを脱ぎ、入って直ぐ脇の階段を上がる。この階段も、それからさっきの一階にしろ、今上がってきた二階にしろ、至る所の木材という木材が飴色を通り越して醤油色に焼けている。一体築何年なんだろうか? と、オレなんかは来る度に思ってしまう。しかし、

 「おばあちゃんちみたいで懐かしいです!」

 と元気な高一の宮嶋はどこまでもポジティブだった。なんか自分が老けた気がするね。

 貼り紙にあった藤の間は突き当たりにある。幸いなことにふすまが開いていて、中で立ち回りを練習している部員の声も聞こえて来る。

 「じゃ、あの突き当たりの部屋が演劇部だよ」

 「はい! ありがとうございました!」

 そう言って宮嶋は嬉しそうに藤の間の中へ入っていった。さて、戻ろうか。


 なんとなく、心和んだなーと思いながら階段を降りると、青の中履きを履いて戻ろうとしている二人組の女子生徒と鉢合わせた。どちらもさっきの宮嶋よりも背は低い。一階にはひいらぎの間という大部屋と管理室的なのしかなく、よって彼女らは柊の間を使っている茶道部から出て来たのだろう。なんて思っていると、いきなりその片方が話し掛けてきた。

 しかも、

 「書道室連れってて下さいよー」

 と。オレは、一瞬何を言われたのか判らなかったが、つまりこいつが古柴だった。

 

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横淵の墨痕 藤柿 @kakiyano

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