Chapter.Ⅱ 契約≒破毀

Karte.7 Script error

ファウストを読み始めてから、景は離人感が出たときの自分のことを、メフィストと名付け始めた。


ファウストに登場する駆引きを持ちかけてくる悪魔メフィストフェレスからだ。


「あ、またメフィストが出てきた。」


多重人格ではない以上、一層のこと切り離してしまったほうが楽だと感じたからだろう。

小学生の時からわりとその感覚はあった。

いじめを受けていたときも、いじめれている自分というのをどこか別視点から監視することで、辛い現実から目を背けていたのだった。


幼少期から、俯瞰して人格を操作することに慣れた景にとっての究極の対処法にして辿り着いた最終形だった。


今日もまた何気ない日々。


景は相変わらず、自分の意識や無意識を結合させる意図を無神経にほつれさせ、何度もディスプレイを切り替えられたような生活をしていた。


「景、今日は実花姉ちゃんの病院に行く日?」


「そうだよ。病院は嫌いだけど、苦にならない。話に行くだけだし、むしろ気持ちが晴れるから。」


「良かった。でも少し考え方とか物事の見方が変わってるって感じることはあって、時々びっくりすることはあるけれど、私は変だとは思わないし、それも含めて景だと思う。」


景は零花に症状を全て話しているわけではない。


「ありがとう。この頭の中というか、世界の見え方を見せることが出来るなら見せてあげたいくらいだよ。」


「面白いよね。自分にしか見えない世界は、それぞれにあるけれど、景はそれ以上に違う世界が見えている。それを決して私は見ることは出来ない…なぁんて、ちょっと小難しい哲学っぽいかな!またねバイバイ!」


「うん!バイバイ!」


零花も明快も、理解や共感とはかけ離れた所にいる。

知る=好きになる

知る=嫌いになる

こういった一見対極に存在する物事が、イコールで結び付くようなアンチテーゼは、人間関係においてもよく起きることではあるが、景との接し方においてはそれが重要なのかもしれない。

知りすぎてしまうと仲良くなれないのかもしれないのだ。


景は通院のため、病院へと向かった。

同じ道なのに何故か感じる少しの違和感を覚えながら…。

しかし今日は迷わなかったようだ。


道に迷う時と、迷わない時がある。


それは決して道を覚えたからではない。


たまに俯瞰したように周りが見えるからだ。


まだ少し解けていない緊張感が伝わるような面持ちで、ぎごちなく扉をノックをした。


「はい!こんにちは。景くん!」


「こんにちは、天近さん。」


「実花でいいわ。」


「実花さん…」


「今日はちゃんと来れたかしら?」


「はい!迷いませんでした。」


「よかった!それじゃ中へどうぞ。」


見慣れた白を基調とした部屋。

離人症性障害である景は、まるで世界をワープしたような感覚になる。

例えるならば、まるであの国民的アニメのひみつ道具であるピンクのドアを空けて、別の世界に移動したような感じだろうか。


そっと椅子に腰掛けた。


「こんにちは。景くん、今日はオレも一緒に話を聞くよ。」


突然の別の先生の登場により、景はきょとんとした顔をした。

景は黙っていたが、その先生を見た時に何故か懐かしさを感じる風のようなものが、胸の奥に優しく吹いた気がした。


「あっ、紹介がまだだったわね。私の兄で外科医の天近我生先生よ。今日はどうしても一緒に話がしたいんだって。」


「君にすごく興味があるんだ。あ、別にそっち系では無いから安心したまえ。」


「は、はあ。」


「君のデータが欲しいんだ。外科医ではあるが、君の症状は他の患者とは少し違う。」


「違う??」


「それを今から実花と一緒に説明するよ。」


景は、先日書き留めていたメモを見せた。

二人はじっくりと読んで納得するように答えた。


「書いてきてくれたのね。ふぅん…」


「なるほどな。やっぱり離人症性障害だな。」


「そうね。でもかなり特殊なケースよ。」


景には理解が追いつかない。


「そのうちにまた話すけれど、簡単に説明するわ。本来、離人症性障害というのは、うつなどやトラウマなどから来る何らかの精神疾患から併発している可能性が高いの。でも貴方は違う、それを上手くコントロールして、別の精神疾患を患わずに離人症になったケースってことよ。」


「そこで質問なんだが、君には何か思い当たることはあるかい??」


「母親の存在が一番大きいかと思います。父親のことなどでトラウマがあるはずなのに、母は僕のことをずっと肯定してくれた。それで精神が保たれているのかもしれません。」


「やっぱり、薬物療法は必要なさそうね。引き続きカウンセリングと認知行動療法に切り替えていきましょうか。認知行動療法は、貴方の書いてくれた症状にもう一度目を通して、次また説明するわ。」


「わかりました。ありがとうございます。」


今日は手短に終わった。

でも病院を出たときにはもう辺りはすでに真っ暗になっていた。


「帰らなきゃ…」


そう思い、見慣れているはずの景色に少しばかりのScript errorのようなモノを感じながら、家路を辿っていると、まるで引き寄せられるかのように入ったことのない路地裏へと進んでいった。

すると背後から、黒に黒を重ねて異常なまでに歪んでくすんだような気配を感じた。


「やっと見つけたよ…景」


「誰?」

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