バイバイ、プーペちゃん

タカハシU太

バイバイ、プーペちゃん

 康太は自分の部屋で、号泣していた。

「プーペちゃん、今までありがとう。新しいご主人様のもとで、幸せに暮らすんだよ」

 可愛らしい女の子の西洋人形を、ウェットティッシュでていねいに拭いてあげている。フリマアプリに出品したら、買い手が見つかったのだ。

 人形を小さなダンボール箱の緩衝材の間に入れ、ガムテープで閉じようとした。だが、康太は名残り惜しく、もう一度取りだしてしまった。

「お別れのハグがまだだ!」

 人形を抱きしめようとした瞬間、康太は後方へ勢いよく吹っ飛び、尻もちをついた。

 何ごとかと見返すと、人形そっくりのゴスロリ調の衣装と、カラフルな髪色をした若い女性が仁王立ちしていた。康太は困惑しながら、ふとダンボール箱の中を覗いた。

「プーペちゃん! プーペちゃんはどこ!」

 箱に入れたはずの人形が消えていた。室内の床を見回しても、どこにも見当たらなかった。

 パニックになっている康太に、女性が見下ろしてきた。

「いい加減にしなさい! 康太、あんたは結婚するんでしょ? 人形なんか、とっとと忘れるの!」

 ポカンと視線を向けていた康太は顔をそむけた。

「そんなわけない! これは夢だ! 夢に違いない!」

 突如、康太は頬を思いっきりつねられた。怖い顔をした女の子が眼前にあった。

「痛い! やめて!」

「あたしは誰?」

「えーっと、プーペちゃんでしょ! ほっぺたがちぎれちゃうよ、プーペちゃん!」

「分かればよろしい!」

 プーペちゃんが手を離したので、康太はバランスを崩し、床に転がった。

 ちなみに、プーペというのはフランス語で人形のことだ。そんな生身のプーペちゃんがベッドに腰を下ろした。

「ほら、さっさと売り払っちゃいなさい!」

 康太は頬をさすりながら体を起こした。

「そうなんだけど、なかなか踏み切れなくて……」

「あんたみたいな男でも、もらってくれる女性が現れたのよ!」

 プーペちゃんはベッド脇に置いてある写真立てを手にした。

 そこには康太と並んで、温和な笑顔の黒髪女性が写っていた。康太のフィアンセ、美沙である。

 プーペちゃんは自分の体を示しながら続けた。

「こんな人形を持っていたら、気持ち悪いと思われて、あんたまで捨てられるよ!」

「でもさあ、君はおばあちゃんからもらった大切なプレゼントだから……」

 康太は遠くを見つめ、思い出に浸った……。


 祖母が大切にしていた西洋人形。

 幼い頃に祖父母宅で出会って以来、欲しいとゴネ続け、小学校に入学した時にプレゼントしてくれた。康太はプーペちゃんと名付け、大切に自室に飾り続けた。

 プーペちゃんが見守ってくれると、何だかがんばれるような気がした。大学受験の時は、睡魔に負けそうになると、プーペちゃんを見返し、元気をもらった。

 就職活動や社会人になってからも、気力体力が尽きて帰宅した時に、プーペちゃんが出迎えてくれた。

 初めて恋をし、勇気を振り絞って告白し、のちに婚約者となる美沙と交際できるようになったのも、プーペちゃんのおかげだ。

「どんな時も君がそばにいてくれたから、僕は弱音を吐かずにこれたんだ……」

 康太はまだ遠い目をしていた。

 そう、プーペちゃんは康太にとって、女神なのだ。


 いきなり、空のダンボール箱でプーペちゃんに頭を叩かれ、康太は我に返った。

「とにかく、あたしは早く新しいご主人様のところへ行きたいの!」

「そんなこと言わないでよ……」

「あたしと彼女、どっちを選ぶの?」

 康太は即答できなかった。

「彼女のことが好きなんでしょ?」

「プーペちゃんのことも好きだったよ!」

「だった……って、もう過去形じゃないの。そう、それでいいのよ」

「ごめん……」

「謝らないで。というわけで、そろそろ行くね」

 康太はうなずくと、ダンボール箱を開いた。

 その中にポンと落ちる……西洋人形。生身のプーペちゃんの姿はどこにもなかった。

「バイバイ、プーペちゃん」

 康太はダンボール箱をガムテープで閉じた。

「あたしのほうこそ、あんたのそばにいられて幸せだったよ」

 プーペちゃんはダンボール箱の中でつぶやいた。


 笑顔で抱きしめてきた、ランドセルに黄色い学帽をかぶる鼻たれの康太。

 学ランに黒縁メガネで机に向かいながら、うつらうつらしていた康太。

 ヘトヘトに疲れて帰ってきて、そのままベッドに倒れ込んだスーツ姿の康太。

 初デートに成功して、彼女とのツーショット写真を嬉しそうに見せてくれた康太。

 人形のプーペちゃんはただただ彼の成長を眺め続けるしかなかった……。


   *   *   *


 康太がちょっとおしゃれをした格好で公園のベンチに座り、人待ち顔をしていた。

「康太さん!」

 優しい笑顔の美沙が小走りに到着した。

「ごめんなさい! 待った?」

「大丈夫だよ。今、来たところ」

「あのね、これ、私たちの部屋に飾ろうと思って」

 ラッピングされた袋を差しだしてきた。

 康太が取りだしてみると……なんと、プーペちゃんの人形だった。

「こ、これ!」

「フリマアプリで安かったから買っちゃったの」

「美沙さんが?」

「イヤ? 康太さん、前にこれにそっくりのお人形をスマホの待ち受けにしていたから……」

「好き! ものすごく大好き! これ、戦前のフランスの特注品で、今じゃ生産されていない、超レア物なんだよ!」

「よかった! なんかね、元の持ち主が大切にしてくださいってコメントしていたの。名前はプーペちゃんだって」

「プーペちゃんか!」

 康太と美沙は人形の両手をそれぞれ手をつないで持ちながら、並んで歩きだした。


「お~い、どうなってんの?」

 生身のプーペちゃんが笑いながら、二人の後ろ姿を見送っていた。

「まっ、いっか! またよろしくね!」


                 (了)

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