第7話 我が家の家出系不登校少女(※一部改稿済)

 ここ最近、滝沢家は金銭的余裕のなさに加えて、とある大きな問題を抱えていた。ある意味で、それが滝沢家の財政を逼迫ひっぱくさせる原因にもなっている。


 ちなみに律のアパートは、管理費を入れて家賃七万円、南向き2DKという間取り。プラス五千円で駐車場が借りられるのだが、姉の音葉おとはは車の免許を持っていないため、今のところ借りる予定はない。


 築三十年のボロアパートの割に、内装は綺麗なほうで、キッチンが狭いことと、ユニットバスであることを除けば、律にとっては取り立ててなんの不満もなかった。音葉と十分な広さでもある。……二人暮らしなら。


「——ただいま〜」


 学校が終わって律が帰ってくると、音葉の部屋からぴょこんと顔を出す小動物のような少女がいた。セミロングの髪を一本に括った、なかなかの美少女であるが——


「おかえりなさい! 律にぃ!」


 とてとてと玄関先までやってきて、律の手からエコバッグを取ると、少女は屈託のない笑顔で微笑んだ。


 彼女の名前は高梨紗耶たかなしさやといって、律と音葉の親戚である。現在中学二年生なのだが、童顔のせいか、もう少し幼く見える。


 紗耶は学校に行っていない、いわば不登校の子だ。そこに家出が加わって、現在は律の家に同居するかたちになっている。……いわずもがな、三人暮らしになったことで、滝沢家の財政は逼迫することになった。


 けれど、複雑な経緯いきさつがあって、律と音葉は相談の上、紗耶を高梨家から預かることになったのだ。


「律にぃ、今日もお弁当最高でしたー」

「それは良かった」

「残さず食べたので褒めてください」

「すごいぞ紗耶」


 すると紗耶は「むぅ」と言って、頬をプクッと膨らませた。


「言葉だけじゃ物足りないですぅ……」

「なんだそのラブソングの歌詞みたいなやつ……」

「てことで、頭を撫で撫でしてください」

「わかったって、偉い偉い……」

「えへへへ〜」


 頭を撫でてやると、紗耶は嬉しそうに目を細めた。


 ——と、このような調子だ。


 紗耶は甘えたがりで、自分を甘やかしてくれる人に寄っていく傾向がある。では、紗耶の両親はどうかというと、これがかなり厳しい人たちで、当然のことながら両親と紗耶の相性は悪い。むしろ最悪だった。


 この度の家出もいつものことで、「学校に行け」「いや行かない」の押し問答の挙げ句、「なら出て行け」「よっしゃ、出ていったるわ」という流れだったそうだ。……お互いに頑固なところは似ているのかもしれない。


 律はやれやれと思いながら、紗耶に苦笑いで訊ねた。


「ところで、まだ家に帰らないの?」

「絶賛戦争中のため」

「あ、そう……絶賛? じゃあ学校は?」

「自分の意思で学校に行かないと宣言して三ヶ月経ちました。記録更新中です」


 紗耶は自信を持っていったが、けっして自信を持つべきところでもない。


「……かっこよく言ったつもりなのかな、それ?」

「えっへん!」


 紗耶は小ぶりな胸を堂々と張ってみせる。


「あー違う違う。今のは質問に見せかけた呆れだから……」

「呆れられるようなこと、なにか言いました?」

「うん、言ってる。家出と不登校のダブルパンチはさすがに良くないと思うけどなぁ……」

「律にぃは細かいことを気にしすぎですよ?」

「いや、そこそこビッグだよ? 少なくとも、高梨家にとっては……」


 こんな調子で、紗耶は中二とは思えないほど語彙力が高い。むしろ、学校に行っている子より賢いのではないかと思ってしまうこともある。


 律は、そんな彼女に振り回されっぱなしのような気もしていて、しかし、強く出られない。というのも、それなりの理由がある——。


 紗耶は去年の冬くらいから登校をしぶるようになった。なぜ不登校になったのかはわからない。原因は両親や学校の先生もわからない上に、律や音葉に対しても、なかなか話してくれない。


 ただのサボりにも見えるが、実際はどうなのだろうか?


 最近では、原因が思い当たらないのが原因なのかもしれないと、律と音葉は紗耶のいないところで話していた。


 けっきょくのところ、不登校の原因はわからないが、完全に不登校化したのは紗耶の両親にも問題がある。紗耶が登校をしぶるようになった際、学校に行けと叱りまくったそうだ。それが紗耶の不登校に拍車をかけてしまったのだろうと、律と音葉は相談していた。


 もちろん、親戚とはいえ、紗耶を放っておくこともできる。だが、律も音葉も寝覚めの悪いことになりやしないかとそれだけが心配だった。というのも、紗耶は割とアクティブな不登校で、家に引きこもる時間と同じくらい外をプラプラとしている。


 学校に行っていない時間帯は警察に声をかけられるそうなので、外出は決まって夕方から夜——と、その話を律と音葉が知ったのは今年の春先のこと。いてもたってもいられなくなった二人は、駅前でフラフラしていた紗耶を見つけて保護し、このボロアパートに連れ帰ったのだった。


 それがきっかけで、紗耶はこうして滝沢家に入り浸るようになってしまった。両親はもうお手上げといった感じで、最近では紗耶を引き取りに来ようとさえしなくなっている。外をフラフラさせるよりは、貧乏所帯に押し込んだほうがマシだと思ったのだろう。


 代わりに音葉に連絡を寄越す。たまに律にも。そうして、これまでは音葉と律があいだに立って、なんとか紗耶を向こうの家に帰していたのだが、今回は一泊二日が二泊三日と伸び、今日で三泊四日コース。……これが気ままな海外旅行ならどれだけいいことか。


 親戚とはいえ、扱いづらい中二の女の子を預かるのは、それなりに気苦労も耐えない。愚痴を言うわけではないが、紗耶を引き取っているあいだ、高梨家から資金援助があるわけでもない。かといって、音葉にもプライドがあるため、大事な娘を預かってやってるのだから食費ぐらい出せ、とはなかなか言わない。


 よって、すべてのしわ寄せは、滝沢家の財布を預かる律に集まっていたのだった。


「学校はもういいとして、叔母さんたちと停戦協定は結べそうにないの?」

「無理ですね」

「なんで?」

「だって、Wi-Fiはパスワード変えられるし、スマホの契約も止められちゃったんですよー? フツーそこまでやります?」

「それは紗耶がゲーム課金しまくったせいでしょうに……」


 先月の課金、十二万円……聞いたときはさすがに引いた。本人曰く、限定ガチャを回し続けてようやくほしかったアイテムが手に入ったときはそれくらいの金額になっていたという。


 なかなか恐ろしい話だが、高梨家ならそれくらい痛くも痒くもないはず。大きな家に住んでいるし、少なくとも滝沢家よりは金持ちだ。


「あんな家に比べたらここは天国です」

「ここが?」

「はい! マイ・ベストプレイスです!」

「いやいやいや……」


 自分の家、もといこのボロアパートのどこがユア・ベストプレイスなのか? 高梨家のほうが裕福なのに、向こうのなにが不満だというのだろう。


「築三十年のボロアパートだよ? Wi-Fiもないし……」

「Wi-Fiがないのは不便ですが、優しくて料理上手な律にぃはいるし、音葉ねぇは一緒に遊んでくれたり、ギュッてしながら寝てくれるし」


 そう言って紗耶は目を細めて笑うと、少しだけ大人びた表情になった。


「好きだなぁ、この家……」


 紗耶はいたって嬉しそうに話す。

 ……ただ、いつまでもこのままではいられないと律は思う。


「とにかく、きちんと叔母さんたちと話したら?」

「話しても無駄ですよ、あんな人たち……。二言目には学校行けだのなんだの……録音聴かせられてるみたいにリピートして、一度聞いたら十分なのに……」


 まあたしかに、と律は思った。けれど残念なことに、紗耶の両親は紗耶の言葉を聞こうとしない。客観的に見て、どっちもどっちな気もするが、とりあえず、お互いにコミュニケーション不足なのだろう。


「てことで、律にぃ! これから一緒にゲームしません?」

「しない。これから夕飯の支度をするから」

「やったぁ! 律にぃのお料理、なにが出るか楽しみだなぁ〜」


 現金なやつめ——そう思いながら、律はやれやれとキッチンへ向かう。今日も言い負かされた気分だった。


「あ、そうそう。音葉ねぇが、今晩は遅くなるって言ってましたー」


「理由は? 言ってた?」

「臨時のバイトを入れたって言ってましたね」

「あ、そっか……」


 今朝の冷蔵庫の件で、と律は思った。

 音葉は金に困るとスナックのバイトを入れる。月に二、三度程度。夜職には抵抗のない律だが、音葉は飲み過ぎることがあるので、それが心配だった。


「いいなぁ、私もバイトしたいなぁ」


 音葉のそのひと言に、思わず律は眉のあいだに不機嫌そうな縦じわをつくった。




「……よくないよ、なにも」




「律にぃ……?」


 律は、はっとした。そうして慌てて笑顔をつくる。


「なんでもない。じゃ、夕飯できたら呼ぶから」

「あ、はい……」


 いつもなら笑って済ますところなのに、なぜか苛立ってしまった。

 

 小杜妃華と話したせいだろうか。疲れているのだろう、精神的に、いろいろ——。


 そう自分に言い聞かせて、律は夕飯の支度を始めた。




 



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