二日目

十一

「坊ちゃま、起きてください。朝ですよ」

 聞き覚えのある声に目蓋を開ければ、ぼんやりとした視界に、揚羽の薄い笑みが移りこむ。

「おはよう、揚羽さん。今、何時?」

「九時を回ったところですね。坊ちゃまは夏休みでしょうから、午前中いっぱいはお眠りいただいてもいいのではと思いもしたのですが、莉花様が朝餉を一緒にしたいと言っていましたので、これは是非とも坊ちゃまの甲斐性の見せ所だと、揚羽は判断した次第です」

 意気込む使用人の言葉に、白はまだ頭が回りきってはいなかったものの、だいたいの状況を把握するにいたった。

「起こしてくれてありがとう。けど、リカは俺のこういうところよくわかってるから、別に無理して起こさなくても良かったと思うよ」

「こういうところおっしゃいますと?」

「だらしないところ、とかかな。腐っても幼なじみだしね」

 自分で言っていて、恥ずかしくなった。対する群青色の着物の上に白い前掛けをかけた揚羽は、微笑ましげな声を漏らす。

「気心が知れているというのは、とてもとても素晴らしいことですね」

 温かな眼差しを注がれるのが耐え難く、すかさず身を起こした。

「では、お着替えですね」

「……あのぉ。なんで、揚羽さんはこの部屋に残ってるんでしょうか?」

 白の指摘に、揚羽はややわざとらしく目をキョトンとさせてみせてから、

「もちろん、坊ちゃまのお着替えをお手伝いするためですが」

 それ以外なにがあるんですか? とでも言いたげに見返してくる。

「そんなこと今まで一度もされたおぼえがないんだけど」

「お忘れですか? 母が坊ちゃまのお着替えを一手に引き受けていたことを」

「それは俺が小さかった頃の話だろう。もう子供じゃないんだから」

「一般論で言えば、高校生はまだ子供だと思いますけど?」

「言葉の綾だ。もう、誰かの手を借りて着替えをする年齢でもないって言いたかった」

 白の返答に、おやおやそうですか、と目蓋を今にも閉じそうなくらい狭める女使用人。

「坊ちゃまは自分を大人だと思いたがるお年頃なのかもしれませんが、何も恥じ入ることはありません。わたくしも立派な使用人として教育された身。日々、旦那様のお着替えもお手伝いさせていただいていますし」

 あの老人、別段耄碌もしていないのに、実質孫みたいな若い女に着替えの手伝いをさせているのか? 揚羽が申告した祖父の生態に、薄っすらとした嫌悪感をおぼえながらも、

「そういうのいいから。そもそも、俺は椎葉の家は継がないんだし、もっとぞんざいに扱ってくれていいって」

 彼女による着替えを断わろうとする。言の葉の最後に付け加えたように、本当にぞんざいに扱われたらどうしようかという不安が薄っすらと浮きあがってきたものの、なるべく平静に努めようとした。

 白の返答に何を思ったのか、揚羽は首を捻る。

「それは、どうでしょうね」

「いや、どうでしょう、もなにもないだろ」

 どうでしょう、の差すところは、椎葉の家を継ぐ可能性の話題と受けとれたが、現在の家族間の決め事では次代は鹿子の父親に決まっていて、その次も順当な流れでいけば鹿子かその夫という流れになるだろう。家名を継がずに蛇守を名乗り、外部からの親戚付き合いに徹している白とその両親にはかかわりがない話のはずだった。

「わかりませんよ。坊ちゃまはまだ成長途上にあるとはいえ立派な男の子ですし、旦那様は常々に自分と血の繋がった男児に家を任せたいとおっしゃてますし」

「あの人、そんな古い考え方してるのか?」

 てっきり、揚羽の同席を許すあたり、もっと頭が柔らかいと思っていたのだが。意外に感じる白に、揚羽は不思議そうな顔をする。

「古い、でしょうか? わたくしにはごくごく一般的な考え方のように思えるのですが」

 その表情は、自らの主の振るまいになんの疑問もおぼえていないようだった。

「少なくとも今の時代の考え方としては古い気がするけどね」

「そうですか。ですがこの辺りではごくごく当たり前に男児が後を継ぎますし、わたくしとしても、それが男児にとってのなによりの誉だろうと思っています」

 熱の籠もった視線には大きな期待がこめられている。その矛先が自らであると理解し、白は戦慄した。

 もしかして、これまでずっとこうした目で値踏みされていたのか? 頭の中に浮かんできた気付きに、そうではない、と言い聞かせつつも、これ以上この話題を続ければ、妙な理屈に巻き取られかねないおそれがあると思い、そういうものかな、と控え目に引き下がる。

「はい。そういうものです」

 満面の笑みで言い切った使用人は、

「というわけでお着替えをさせていただきますね」

 と手を伸ばしてきたので、

「お断りします」

 真正面から叩き切った。

「ええ~、揚羽を、白坊ちゃまのお役に立たせてくださいよ」

 頬を膨らました年齢に比して子供じみた反応に、ほんの少しだけ胸を撫で下ろした。

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