呼びに来た揚羽に促された白は手早く風呂を済ませた白は、眠い目を擦りながら、髪を乾かし床に就いた。

 くたくたになった体はいち早く休息するよう訴えていて、目蓋もまた閉じたり開いたりを繰り返していたが、どうにもなかなか寝付けずにいる。

 思うに、やってきて一日目にして色んなことがあり過ぎたのだ。その中心には今日一番の収穫である自称神様との邂逅が座していた。かつてない手応えは、何時間か経ったあとでも、白自身を興奮させてやまない。加えて、先程の別れ際の莉花の囁きもまた、神経を昂ぶらせた。

 つまるところ、遠足に出る前の小学生みたいな気分、だと言えた。正確にいえば帰郷前夜こそがその精神性に相応しいといえるはずだったが、度重なる出来事が、一日遅れでのピクニック気分を演出した。

 全ては明日以降だ。まだ、望み通りのものが与えられたわけでもないにもかかわらず、胸の高鳴りを抑えこめずにいる。

 一方、頭の中にある冷えた部分は、家の内部へと目を向けさせる。年上の従姉と使用人、それに祖父。最後に関しては謎はあれど、白としては特にわだかまりのようなものはないと思っている。ひるがえって、実質幼なじみともいえる二人の姉貴分との間には、妙な距離ができてしまっている気がした。その距離感の由来は物理的な実家の距離であったり、年の違いであったり、血筋や立場の違いであったり、と多岐に亘っているが、わだかまりの中心にはやはり、あの向日葵を背景とした少女との記憶が座していた。否、それは言い訳だな、と白は思う。全ては白自身の欲望に根ざしたわがままや勝手な振る舞いに巻き込んでしまったゆえであろうか。

 謝らなくてはならないだろう、と白は思う。しかし、なにをどのようにして口にすればいいのか。年月とともに拗れてしまった関係性を解きほぐすための方法は困難をきわめていて――

 コツンッ。何かが軽いものが固いものにぶつかる音がして、我に帰る。気のせいかと思いながらも、耳を澄ませば、再び、コツンッ。気配からするに、この部屋に一枚だけ備えつけられている窓ガラスの辺りからだろうか。小石でもぶつけているとすれば、呼び出しだろうか? たしかにここは二階であるから、家の中にいる人間以外は直接訪ねられないだろう。いやより正確を期せば、梯子や特殊な道具を使えばなんとか登ってこられるかもしれなかったが……とにもかくにも、条件的には呼び出しの主はこの家の住人ではない誰かである可能性が高い気がした。しかし、だとすれば誰が?

 こうして白が疑問の渦中にいると、またまた、コツンッ。今度ははっきりと窓の方からだとわかった。それを確認して立ち上がった白は、窓のすぐ傍まで向かい、おそるおそカーテンの端を開け、外を見ようとする。

 直後、目があった。それも階下ではなく、窓の前で。

 思わず、ヒッ、と声が漏れる。いるはずのないところで、誰かしらから眼差されたことは、白自身を恐慌状態に陥らせた。その間も、窓越しにアーモンド形の目からまっすぐな視線が白に注がれている。

「こんばんは」

 静かな声。それは聞き覚えのあるもので、ようやく白は我に帰る。言われてみれば、この目自体も見覚えのあるものだった。

 ゆっくりとカーテンを引いていくと、やはりそこには夕方に神社で会った少女が笑顔を向けている。

「マツ、さん」

「ごめんなさい、こんな夜遅くに」

「いえ……」

 心臓に悪い。そんな本音を押し殺しつつ、社交辞令的な振る舞いに徹する。

「どうしたんですか、こんな時間に?」

 自称通り神様であるのならば、この家の場所を知っているのはさほどおかしくないだろう。しかしながら、どうしてここにやってきたんだろうか。

 白の問いに、マツは、そうですね、と応じる。

「少し話でもした方がいいかなと思いまして。悪いなとは思ったんですが」

「はぁ……」

 した方がいい、という言い回しがやや引っかかったものの、元々眠れなかったことだし、それに白自身にも都合がいいかもしれない、と思い直した。

「それで、何の話をしたいんですか?」

「なにを言ってるんです? お話をしたいのは」

 マツの人差し指は、窓越しに白の顔を指差す。

「あなたの方でしょ」

「俺が?」

 たしかに話したいことはそれなり以上にあったが、ここで言及されるとは予想だにしていなかった。マツは、しかり、と深く頷いてみせてから、

「わたしもそれなりの年月を過ごしてきましたから、何かを求められる時というのはおのずとわかるものなのです。あなたのような年若い少年相手であれば、手にとるようにね」

 静かに淡々と告げる。暗いせいだろうか。昼間のどこかどたばたとした感じとは大きく異なるように見えた。

「でしたら、俺の話したいこともわかるんじゃないですか?」

「そこはあなた自身の口から言ってもらわないとなんとも。社でも言いましたが、別段慈善事業ではないので、あなたが強く望まないかぎりわたしも応じられないのです」

 飄々とした言い回しは、体のいいごまかしのようでありつつも、ただただ自然な要求のようでもあった。いずれにしてもなかなか上手い設定付けではある気がする。

「とは言っても、今はまだお供え物は用意できていないんですが」

「そこは明日以降払っていただければ大丈夫。ですので、あなたが思っていることを打ち明けてくれませんか」

 おそらく、そのためのわたしなんでしょう。心を見透かすような眼差しにやや心を乱されながらも、いずれはぶつけるつもりだったのだから、手間が省けて助かると思い直す。

「では、聞いていただけますか?」

「はい。もちろん」

 夜闇の中でも、不思議とマツの微笑みははっきりと見てとれる気がした。

 覚悟を決めた白は、ここにやってきたおもな理由のあらましをマツへと語った。記憶に焼きついている風景とその中に立つ麦藁帽子の少女の姿について。そして、今この時、目的にたどり着けるのではないのかという期待があること。

「マツさん。あなたが記憶の中の向日葵畑に立っていた女の人なんじゃないですか?」

 マツが自称通り神様であるとするならば、人という称し方自体が不適格なのかもしれなかったが、その点は白にとってはごくごく些事だった。とにもかくにも、白の興味は、ここで答えが出るかもしれない期待感に押しつぶされた。

 マツは少しの間、目を軽く瞑ったままじっとしている。白もまた、固唾を飲んで審判の時を待った。やがて、

「さあ、どうだったでしょうね」

 帰ってきたのは、どうにも歯切れの悪い応答だった。

「えっと、マツさん?」

「そんなこともあったような、なかったような……少なくとも、今すぐには出てきませんね」

 申し訳ありません。窓ガラス越しに頭を下げるマツに、白は、いいえ気にしないでください、と社交辞令的に口にしたものの、その実、裏切られた期待の分、失望はかぎりなく深まっていた。そんな少年の様子を察しているのかいないのか、ですが、と自称神様は顔をあげる。

「あなたがいる間、できうるかぎりの協力をすることは約束しましょう。もちろん、お供え物はいただきますが」

 柔らかい声音に、もうクーリングオフはできないよな、と出費に対しての後悔が大きくなっていくのを感じた。

「そんなに心配しないでも大丈夫ですよ」

 不安に揺れる少年の心とは対照的に、少女の姿をした自称神様はまるで慈母のように優しげな顔付きになっていく。

「少年……いいえ、蛇守白君。君の望みはこの夏、叶いますよ」

「なにか、根拠はあるんでしょうか?」

 夕方に神社にいた時と同じように、不敬ですよ、とでも言われるのではないのかと身構えかけたが、マツは、そうですねぇ、と少しだけ目線を上に向けながら、

「神としての勘、ですかね。あんまり、外れたことがないんですよね、これ」

 求めていた根拠という観点からすればなんとも心細い言葉だったが、マツ本人は自らをこれっぽっちも疑っていないようだった。

 そうであって欲しいものだ。白が不安に揺れる中、マツは、すっかり話しこんでしまいましたね、と反省するように呟いてから、

「では、おやすみなさい、白君。あなたにとっては迷惑だったかもしれませんが、わたしにとってはなかなか楽しい夜でした。願わくば」

 また、明日も会えればいいなと思ってます。どこか名残惜しげに神様が呟くや否や、白は自らの意識が、後ろに強く引っ張られるようにして遠のいていくのを感じた。いったい、どうなっているんだ、という困惑の渦の中にいながらも、白もまた、この時間が終わってしまうことに少なからぬ名残惜しさをおぼえる。そして、意識が、フイッ、途切れ……

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