夕食は淡々と進んでいた。

 白と莉花、鹿子に揚羽、それに家長たる白の祖父。全員、普段であれば口数は少ないことはあっても、まったく喋らないということはない。なのにもかかわらず、長机を囲んだ食卓は、静寂に包まれていた。 

 サツマイモの天ぷらを齧るかたわら、下座寄りの隣にいる莉花を見やれば、鮎の塩焼きの骨を神経質に外している。普段は雑な握り方をしている箸もぎこちなさこそあるものの、しっかり持とうとしている様子が窺えた。普段はあまり物怖じしないだけに、固くなっている幼馴染みの姿は少しばかり新鮮だった。

 対面に視線を向ければ、並んで座った鹿子と揚羽がお互いに淡々と食事をしている。

 鹿子は炊き込みご飯を規則的に口にいれては、何度も噛んでみせてから呑みくだしていた。表情に変化はなかったが、わずかに頬が弛んでいるように見えたので、おそらく味に不満はないのだろうと判断した。

 鹿子の下座を陣どる揚羽も、ここにやってくるまでの間に見せていた微笑を消し、どことなく物憂げな様子でお吸い物に口をつけている。先代までは使用人である揚羽とその母親は一歩下がって主人と家族、及びその客の会食が終わるまでは何にも手をつけないのが慣例だった。しかし、代替わりの際、ともに食事をするようにという祖父の一声により、近しい人や気兼ねする必要がないと判断された人間の前ではともに会食を許されるようになった。慣例の撤廃において、先代である揚羽の母親から抗議があったらしいが、祖父自身が代替わり前から口にしていた希望であったことや、使用人であるのとともにほぼほぼ娘や孫に近い扱いを揚羽が受けていたのもあってか、最終的には認められたという経緯がある。とにもかくにもこうして同席を認められている揚羽であるが、いかに周りから楽にしろと言われたところで使用人の分というものを自らに課しているのか、こうした会食の際はあまり普段の明るい表情が出ない。当たり前のことではあるのだろうが、仕事に打ちこむ際はなるべく公私混同しないというところだろうか。もっとも、今日やってきたばかりの莉花との接し方を見るにに、ケースバイケースではあるのだろうが。

 そして白と鹿子の上座寄りの隣。テーブルの端に祖父がどんと居座り、揚げ出汁豆腐に箸をつけている。無言でにこりともせずに料理を口にする姿は、まるで動くいわおのようだった。そして、ただ食事をしているだけなのにもかかわらず、位置関係ゆえか、はたまたその皺の刻まれた男らしい顔立ちゆえか、とにかく存在感がある。この音のない食卓が成立しているのもまた、祖父の存在が遠因だろう。

 口の中からサツマイモが消えたのを見計らってエビの天ぷらを汁につけながら、白は居辛さをおぼえる。別段、祖父の口数が少ないのもいつも通りだったし、無言であること事態はままあった。それを差し引いても、なんとはなしの気まずさがどうにも引っかかる。

 祖父以外はおそらくこの空気に呑まれているだけと見て、まず間違いない。となれば、原因は家長であるこの老人とみてまず疑いはないだろう。

 ……別にこのままで何か支障があるわけではない。揚羽が腕を振るった料理はおいしいし、無理してまで喋ろうという気もさらさらない。そうした状況を踏まえたうえで、白は今の状況を、なんか嫌だなぁ、と感じた。

「なぁ、鹿子姉さん」

 沈黙を破ると同時に、炊き込みご飯を食べ終え、吸い物を口につけていた鹿子は、なに? と面倒くさそうに応じる。森の中での別れが尾を引いているのだろうか。こころなしか、いつにもまして目が険しい気がした。

「おじさんとおばさんはいつ来るんだ?」

「さあ? 帰し盆までには来るんじゃないの?」

 つっけんどんな答え、そうか、と応じる。再び、会話が病み、箸を動かす音だけが静かな食堂内に響いた。

 とはいえ、沈黙が破れたと解釈したのだろう。直後に隣から、莉花が、おじさんとおばさんって、と囁くように尋ねてきた。話の流れからわかりそうなものだが、と思いながらも、鹿子姉さんのお父さんとお母さん、と答える。

「もしかして、鹿子さんってご両親と仲が悪いの?」

 莉花基準では潜めているだろう声音は、周りに音が少ないせいかやけに大きく響いたように白には感じられた。聞こえたらどうするんだ、と思いつつ口を開き、

「別に。もう別々に暮らしてるからよくわかんないだけだよ」

 ばっちり聞こえていたらしい鹿子の先んじた返答により、答える必要がなくなったまま、上唇と下唇の間が空きっぱなしになる。

「そうですか。では、なぜ、別々に暮らしているんですか?」

 一方、静寂が破られて無遠慮になったのか、莉花は、場合によっては地雷にもなりかねない問いを発した。しかし、鹿子は特に気にする様子もなく、ああ、と応じる。

「あんまり理由らしい理由はないかな。強いて言うなら、御爺様の家の方が職場に近いから、こっちに居候しているだけで」

「できれば、さっさと独り立ちするか嫁入りして欲しいと思ってるんだがな」

 するっと口を挟んだ一家の主の方を窺えば、ほぼほぼ料理を平らげたらしかった。鹿子はやや皮肉気に微笑んでみせる。

「貯金ができるまでは待ってもらう約束だからね。それまでは存分にご好意に甘えさせてもらうよ」

「と言いつつ、俺が居なくなるのを窺って、自動的に約束を破棄するつもりなんじゃないのか」

「滅多なことは言わないでほしいね。できうるかぎり、長生きして欲しいって思ってるに決まってるでしょ」

「どうだかな。お前はその澄まし顔に似合わず、昔から甘えん坊だからな。どうせ、最初から最後まで脛をかじるつもりいっぱいでいるんだろうに」

「それこそまさかだよ。あたしはあたしの城が欲しいって昔から願ってるんだから」

 祖父とその孫娘の会話は、声音こそお互いに穏やかであったが、一方がニコリともせずにがさつな口ぶり、もう一方が感情を抑え目にしているせいか、どことなく空気がピリついている。

「心配ありませんよ」

 まるで心を読んだような囁きに振り向けば、いつの間にか席を立ったらしい揚羽がいくつかの湯呑みを乗せたお盆を手にしている。

「あれはあれで、二人とも楽しんで話しています。言うならば、いつも通りのやりとりです」

「そうなの?」

「はい」

 そう言って白に柔らかく微笑みかけた揚羽は、一礼してから祖父の方へと歩きだす。どうやら、主へとお茶を淹れに行く途中だったらしい。おそらく、食事が終わる機会を見計らって離席したのだろうが、白にはいつ立ちあがったのかわからなかった。それにしてもわざわざ、白と莉花のたちのいる方に大回りしに来てくれたあたり、表情に心配が出ていたということだろうか。白は自らを恥じ入る。

 程なくして祖父の席の後ろにたどり着いた揚羽は、

「ご歓談中、失礼します」

「おお、すまんな」

 祖父の声に反応して再び一礼した揚羽は、湯呑みをゆったりと置いた。そして、再び一礼して今度は鹿子の方へと回っていく。その最中、一族の長たる老人は、茶を豪快に飲み干してみせた。これはすぐにお代わりだな、と白は揚羽の手間を思って、勝手に同情する。

「ところで」

 唐突に、孫娘とのじゃれ合いを終わらせた祖父は、ようやく骨を外し終えた鮎に舌鼓を打つ莉花に目を向けた。

「莉花くん」

 水を向けられたのに今気付いたというように顔を上げた莉花は、やや慌てるようにして炊き込みご飯と魚と同時に飲み下した。

「なん、ですか?」

 先程まで食卓にあった固さを取り戻したように、ぎこちなく話す莉花に対して、祖父は、目を軽く瞑ってみせてから、

「いやなに。この屋敷についてどう思ってるかを聞いてみたくなってな」

 そんなことを言ってみせた。

 早過ぎやしないか、と白は思う。たしかに祖父の質問自体は、ごくごくありふれたものであったが、さっさと捜索に出た白とは異なり、ろくろく散策もしてない莉花に対して持ちかける話題にしては条件が整っていないのではないのか、と。

 問いをぶつけられた幼なじみは、目をぱちくりとさせたあと、箸をテーブルの上に置くと、親指と人差し指で自らの顎を挟んで、白以外には聞こえないだろう大きさで微かに唸ってから、

「まだ来たばっかりで、よくわからないんですけど……」

 などと前置きしたうえで、

「いいお屋敷なんじゃないでしょうか? お庭も部屋も広くて過ごしやすそうですし、お手伝いの揚羽さんも気配りができて話しやすくてとても居心地がいいです。鹿子さんは……まだよく知らないのでなんともいえないですけど、なんか頼りになりそうな気がします」

 それらしいことを口にした。

 正面から、あたしの印象雑だなぁ、と姉貴分のぼやきを耳にした白は、莉花の言をまずまず無難だなぁ、と思う。少なくとも、やってきたばかりとしては十分だと。

「そうか、それはこの屋敷の主としても嬉しいよ。他にはなにか、ないかね?」

 しかし、予想に反して祖父は満足していないらしく、更に問いを重ねてきたた。莉花はぎょっとしたように、ええっと、と戸惑いを露にする。おそらく、気持ちとしては白もまた同じだった。

「今ので充分でしょう」

 違和感をおぼえたのは鹿子も一緒だったらしく、老人を諌めようとするが、

「お前は黙っていなさい」

 有無を言わさない声に制された。鹿子は文句ありげに祖父を睨んだものの、荒々しい手付きで残っていたお吸い物をぐいっと飲み干す。その隣にいつの間にか戻ってきていた揚羽もまた、僅かに不安げに自らの主へと目を向けていた。

 祖父は莉花に何を求めているのだろう。顛末を見守る白は、張りつめはじめた空気の中で、そんな思考を深めた。聞いた通りの話であれば、莉花は拙くはあっても答えを導きだしている。であれば、老人が求めるのはそれ以上の何か、のはずだ。しかし、まだこの土地にやってきて間もない少女から何を引き出そうというのだろうか?

 その間も、祖父は蛇のような眼差しを莉花に向けていた、視線に縫いとめられている少女は少女で、蛙のように脂汗をかいている。傍から見れば、圧迫面接かなにかだと疑ってしまうし、もしかしたらそのものなのかもしれない。

 どうなってもいいから割って入るべきだ。程なくして、白は腹に力を込めて決心する。遅すぎたのではないのかと不安を抱え、口を開こうとして、

「さっきよりも、ぼんやりとしてしまうんですけど」

 それより先に莉花が話しだした。不思議と先程まであった動揺とおぼしきものは消え去り、むしろ毅然としてすらいる。一家の長たる老人が醸しだす巌のような存在感を押し返してすらいた。

「なんていうか、懐かしい感じでしょうか?」

 どこかしらで聞いたおぼえがある。そんな気がしつつ、祖父の方を見た白は驚愕した。

 老人は何かに打ちのめされたように目を見開いている。顔全体に罅が入ってしまっているみたいな、そんな表情。いったい、なにが起こったのかわからずにいる白の前で、老人は平常心を取り戻したように元の無愛想な調子で、

「ありがとう。しつこく聞いてしまって悪かったね」

 重々しく頭を下げた。

「いやいやそんな。私こそ、なかなか答えられなくてすみません」

 莉花も莉花ですっかり元に戻ってしまったようにまごつきはじめていた。

 さっき、一瞬見せた態度はいったいなんだっただろうか? よくわからないことだらけの食卓の上で、白は考えがまとまらないまま、炊き込みご飯を口にしようとして、箸が空を切った。眼前を見やれば、皿の上は綺麗に平らげられている。

 時間が飛んでしまったかのような感覚に戸惑い顔をあげると、テーブルの対岸にいる鹿子と目が合った。なんとはなしに視線で、なんだったんだろうな、という疑問を投げかければ、向こうも向こうで、さぁ? といった意味合の眼差しを返して嘆息した。

「さあさあ、皆様。お待ちかねのデザートですよ。楽しみにしていてくださいね」

 平静を装いつつもこころなしかぎこちなくなった老人と、なんとはなしに気まずそうにする莉花の発する空気を振り払おうとしてか、揚羽が努めて明るげに声を張りあげる。それでも普段の調子であれば、はしたない、とでも言いそうな主は黙りこんだままであり、

「デザートですか。わぁ、楽しみだなぁ~」

 同じように場の風通しを良くするためか、幼なじみの少女は使用人と同様に笑顔を繕うが、やはりその出来はガタガタだった。

 結局、夕食が終わるまで、食卓は妙な空気に包まれたままだった。

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