「おかえりなさいませ、坊ちゃま」

 日が暮れてから白が帰宅すると、揚羽が玄関前で出迎えてくれた。

「ただいま。暑かったんじゃないの?」

「いえいえ、お気になさらず」

 なぜだか、楽しげに笑う使用人の女性にうながされるままに屋敷の中へと招きいれられる。

「久々の散策はいかがでしたか?」

 何の目的もなさそうな問いに、どこまで答えたものか、と考えてから、

「神様と知り合いになったよ」

 さしあたってあったことに私見を挟まないまま口にする。

「はぁ……神様、ですか」

「本人が言うにはだけどね。会うことがあったら、紹介するよ」 

「はい、ありがとう、ございます?」

 目を丸くしながら、釈然としない顔をする年上の女性。混乱させてしまったな、と反省した白は、そっちはどうだったの? と聞き返すと、恥ずかしげに苦笑いを浮かべる。

「莉花様とすっかり話しこんでしまいまして……あわや、お夕食の準備が間に合わなくなるところでした」

 さすがに冗談だろう、と白は疑ったが、目を泳がせ苦笑いをする揚羽を見て真実らしいと理解する。それにしても先代である母親から主任使用人の役目を受け継いでから数年が経つが、この使用人の女が、目に見えて仕事をこなせなくなる現場に出くわしたことがないだけに、客人と話しこんでしまっただけで気が逸れたというのは少々考えにくい。

「そんなに莉花とウマがあったの?」

「ええ。最近、まともにお話したのは旦那様と鹿子様、それに私の両親くらいのものだったからでしょうか……それに莉花様はお話がお上手でしたので、ついつい私も楽しくなってしまって」

 恥じ入るように頬を赤らめる揚羽に、珍しいものを見た気になる。否、長期休みにしか訪れられないからとはいえ、普段からこうした親しみのある表情を引き出せないのは、世話されている人間側の忙しくさせているからなのかもしれない、などという考えも浮かぶ。

 もしも、こちらに本格的に住むことがあれば。もう少し、今の態勢を見直すべきかも知れない。正式には椎葉の名を継いでいないにもかかわらず、勝手にそんな未来を想像したあと、そういえば、と思い出す。

「御爺様のとリカの顔合わせはを上手くいったのかな?」

 白の問いに、女使用人はゆっくりと頷いた。

「はい。万事抜かりなく」

 親指を立てて自信ありげに微笑む揚羽。元々、表情豊かな方ではあったが、いつになく生き生きとしているように見える。

 リカには感謝しなきゃいけないかもしれない。白としてはたいした考えもなしに連れてきたが、使用人であるのとともに幼なじみの一人でもある揚羽の笑顔が増えるのであれば、良かった、ような気がしていた。

「ただ……」

「ただ?」

「旦那様が莉花様の顔を見て、少し驚いたような顔をしていたような……」

 その件に関して旦那様はなんでもないとおっしゃっていたのですが。そう付け加えた女使用人の声を耳にして、頭の中に浮かんだのは、莉花という響きを気にかけていた先程の祖父の様子だった。この感じだと、心当たりをみつけたのだろうか? 時間があれば、後で聞いて見た方がいいかもしれない。そう意識したあと、早めに明日以降のことについて話をつけておいた方がいいかもしれない、と考える。

「そうだ、揚羽さん。さっき言った神様のことで相談したいことがあるんだけど」

 途端に揚羽怪訝な顔をした。

「差し出がましいとは思いますが。坊ちゃま、騙されてません?」

 当然の疑問だろう。白は体の中で熱くなった息を吐き出してから、

「そうかもしれない……ただ、少なくとも今までの休みに比べれば有力な手がかりに繋がりそうなんだよ」

 自らの考えを口にした。その際、何の話であるのかという主語をまるまる省いたのに気付いたが、

「あの件に進展があったんですか!」

 すぐに察せられたうえで驚かれた。

「まだ、確定とはいえないけど、俺的には手ごたえがあったとだけ」

「そうですか……もしも、みつかるんだったら、坊ちゃまの長年の夢がようやく身を結ぶわけですね」

 今度こそ、みつかるといいですね。今日一番、衒いのない揚羽の笑顔にどきりとしつつも、自称神様に要求されたことなどを話した。

「アイスですか……坊ちゃま、やっぱり騙されてませんか?」

「騙すもなにも神様かどうかは割とどうでもいいからな。期待通りにならないかもしれないっていうんならその通りだが」

「言われてみれば、その通りではあるんですが……」

 何かが引っかかるのか眉間に皺を寄せる揚羽。まっすぐに、気になることがあるのか、と聞き返せば、気になることといえば一から十まで全部ですが、と応じたあと、

「どちらかといえば心配が勝るといいますか」

「悪いね。いつも、心配をかけて」

 名を継いではいないとはいえ、主人筋の人間かつ幼なじみが長年、わけのわからないことに囚われているのだから、いくつ心配しても足りないだろう。揚羽は、いえそれは私としては全然かまわないのですが、と全力で否定したあと、一歩、にじり寄った。

「私が心配しているのは、期待を裏切られたあとに、坊ちゃまがショックを受けないかどうかということです」

「お、おお……」

 戸惑う。揚羽はここまで過保護だっただろうか? という疑問が白の中に浮かびあがる。年も鹿子と同じくらいで、それほど離れていないし、無邪気に遊んでいた辺りでは、お互い一切気遣いなどしていなかった。それが、今になって母親じみた心配を寄せてくる。なんというか、白の中にある揚羽像と、今目の前にいる女使用人の間に隔たりがあるような気がした。

「坊ちゃまにとっては余計なお世話かもしれません。ですが、私は仮に坊ちゃまが傷つくことを思うと……」

「心配し過ぎだって。ただ、思い出を辿ってるだけなんだし、そこまで過度の期待を寄せてるわけでもないよ」

「そうですか……そうならば、いいんですけれど」

 どこか怯えを含んだ使用人の声音にある種のこそばゆさをおぼえつつも、白の中で小さくない違和感が膨らみもする。

 揚羽は何をそんなに恐れているのだろうか? まだ、自称神様ことマツの正体もわからないうえ、どのように振る舞うかも満足に決めているわけでもないこの時点において、まるで白が傷つくことが決まっているような物言いは、どうにも引っかかる。

 となれば、揚羽には揚羽なりに、何らかのかたちで白が傷つくという確信があるのではないだろうか? そんな仮説を立ててすぐ、問いただそうとした、

「すっかり話しこんでしてしまいましたね。皆様もお待ちですし、食堂へ行きましょうか」

 ところで一転して薄い笑顔を取り戻した揚羽の言葉に、そうだな、と頷いてしまう。

「とりかかりこそ多少遅れましたが、今日も腕によりをかけて作りましたので、坊ちゃまにおかれましては、どうぞ期待してくださいね」

 人が変わったように陽気にウィンクなどをしてみせた使用人は、先んじて歩を進める。白は、揚羽の態度の豹変に戸惑いつつも、また後にすればいいか、と開き直り後に続いた。

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