第5話 背徳感

 図書準備室に入ると藤井は持ってきた電気ケトルを取り出して机の上に置き、それをコンセントに繋げた。俺はそんな藤井を近くの椅子に座りながら見ていた。


 「結局、その電気ケトルは何に使うんだ?」


 俺が尋ねると、藤井はこちらを振り向いた。


 「なんとなくわかるでしょ? 電気ケトルだよ?」

 「カップラーメンを作るとか?」


 電気ケトルでできることと言ったらお湯を沸かすことくらいだ。お湯を沸かしてできることなんて、カップラーメンを作るかコーヒーを淹れるかくらいしかない。


 「正解。お湯を沸かしてブタメンを食べるの」

 「ぶ、ぶためん?」

 「え、ブタメン知らないの?」


 藤井は心底驚いたような顔をしていた。その"ぶためん"とやらはそんなにメジャーなものなのだろうか。"めん"と言っているのだがらおそらくカップラーメンの一種なのだろうが、どんなものかはまったくわからない。


 「ブタメンっていうのは、これのことだよ」


 藤井はそう言って電気ケトルの入っていた手さげの中から”ブタメン”と書かれた二つのカップラーメンを出して、それを俺の目の前にあった机の上に置いてきた。


 「カップラーメンにしては小さいな」


 それが俺のブタメンに対する最初の感想だった。この小ささなら三つくらいは食べないと一食分として足りなそうだ。


 「そりゃお菓子だからね。駄菓子屋とかによく売ってるの」

 「だから小さいわけか。でもどうしてブタメンなんだ?」

 「秘密基地と言えばブタメンだからだよ」

 「な、なるほど」


 とりあえず理解は示したが、実際のところどうしてブタメン=秘密基地になるのかはよくわからなかった。


 「小さい頃に秘密基地で食べてたのか、ブタメン」

 「秘密基地なんて作ったことないよ。私はおままごととか、そういうのに興じてる普通の女の子だったから。私が秘密基地作ってそうに見える?」

 「見えないな」

 「でしょ? 秘密基地と言えばブタメンっていうのは、昨日送ったあの本に書いてあったの」


 そういえば昨晩、藤井から一冊の本の写真が送られてきていた。どうやら藤井は秘密基地についてあの本から知識を得たらしい。


 「『はじめての秘密基地』ってやつか」

 「それそれ。秘密基地がどういうものなのかについて、びっくりするくらい詳しく書いてあるの」

 「つまり藤井はその本を読んでわざわざブタメンを手に入れてきた、と」

 「お会計の時ちょっと恥ずかしかったよ」


 たしかに藤井がブタメンを二つ抱えてお会計をしている姿はなかなかにシュールな絵面かもしれない。


 「で、今から作るのか、そのブタメン」

 「もちろん。でもまずは水を汲みに行かなくちゃ」

 「たしか廊下を出て突き当たりのところに水汲み場あったよな」

 「よし、ちょっと待ってて」


 さっそく藤井は電気ケトルを手に取って廊下側の扉に向かうと、廊下に誰もいないことを確認してから素早く図書準備室を飛び出して行った。

 俺は気になってそっと廊下に顔を出してみると、そこには電気ケトルを片手にスカートを翻しながら小走りしている藤井の姿があった。


 藤井は水汲み場に到着すると、そそくさと電気ケトルに水を入れ、次は水が溢れないようにさっきよりも慎重に小走りをして図書準備室に戻って来た。俺は藤井が無事に戻って来るとすぐに扉を閉めて鍵をかけた。


 「セ、セーフ……。はぁ……はぁ……」

 「素晴らしい手際の良さだったぞ」

 「そ、それはどうも……」


 藤井はゆっくり息を整えてから、電気ケトルをセットして電源ボタンを押す。


 「これでよしっと。ふぅ……」

 

 しばらくすると、電気ケトルが音を立て始める。


 ————コトコトコトコトコト。


 図書準備室にあるはずのない電気ケトルがお湯を沸かしている。改めて考えてみると、とてつもなく異様な光景がそこにはあった。


 「背徳感やばいな」


 俺はつい、そうつぶやいてしまった。


 「私たち完全にアウトなことやってるからね。今更引き返すつもりもないけど」


 どうやら藤井もこの状況のおかしさには気づいているらしい。

 もはや俺たちはこのおかしな状況を楽しんでいるかもしれなかった。


 一方電気ケトルに入った水は、背徳感に襲われている俺たちをよそに急速に沸騰へと向かっている。


 ————ゴトゴトゴトゴトゴト!


 「……なあ、この音まずくないか?」


 俺は想像以上に音を立てる電気ケトルに焦りを覚え始めていた。これ以上音を立てられると隣の図書室にまで音が響きかねない。


 「まあこれ、古いやつだし……」


 顔色的に藤井も少なからず焦っているようだった。


 電気ケトルのお湯を沸かす音はますます大きくなっていく。俺たちはそんな空気を読めない電気ケトルを前にして冷や汗をかかずにはいられなかった。


 やがてお湯が沸騰し切ったところで、俺たちはようやく肩を撫で下ろす。


 「はぁ……焦ったぁ……」

 「これは要改善だな……」

 「……さ、さて! 気を取り直して、ブタメンブタメン♪」


 それから藤井はブタメンの蓋を開け、沸騰したお湯を注いでいく。部屋にはチキンラーメンのような匂いが充満し始めた。


 「はいこれ、フォーク」

 「あ、どうも」

 「じゃあ、いただきます」

 「え?」


 藤井は俺に付属の小さいフォークを渡してくれたと思ったら、なんと次にはもう手を合わせていた。


 「早くない? まだお湯入れたばっかだぞ」

 「律儀に3分も待ってたらふやけて美味しくないんだよ」

 「そうなのか」

 「”はじめての秘密基地”にそうやって書いてあった」

 「どんなけ詳しく書いてんだよその本。……じゃあ、いただきます」


 というわけで俺も手を合わせ、さっそくブタメンをすする。


 味はシンプルなしょうゆ味だった。お湯を入れたばかりなので麺はまだふやけ切っていないが、それでも麺のほどよい硬さがこれがあくまでお菓子であることを主張しているようで、それはそれで美味しかった。そしてなにより、図書準備室でブタメンをすすっているというこの非日常的な状況が、その味の特別感を引き出していた。


 ブタメンをすすりながらふと顔を上げて藤井の様子を伺ってみると、藤井も俺と同じことを思ったのか不覚にも目が合ってしまった。ひょんなタイミングで目が合ってしまった俺たちは思わず吹き出してしまう。図書準備室でブタメンをすすり合っているというこの奇妙な状況を前にして笑うなという方が難しい。


 「やばいね私たち、ほんとなにやってんだろ」

 「まったくだ。最高にアホだな」

 「うん、最高にアホ」


 それから俺たちはしばらくふたりで笑い合っていた。


 そして気づいた時には、ブタメンはすっかりふやけてしまっていたのだった。




 ここまで読んでくださった読者の皆さま、本当にありがとうございます!

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 引き続き、ふたりの図書準備室ライフをお楽しみください♪

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