大人と子供の境界線(伊庭+沖田)

「相変わらず、早いな」

「相変わらず、遅いお戻りですね」


 朝日が、地上に顔を見せ始めた頃。

 どこへ帰るともなく、お世辞にも立派とは言い難い剣術道場の門先で、手に箒を握りしめ掃き掃除をしている宗次郎に声をかけたのは、ほんの気紛れだった。


 返ってきたのは、少年らしからぬ、まるで母親か女房のような台詞。

 しかも、どうやら言い慣れている風でさえある声に、この道場に頻繁に出入りする自分と気のあう男の姿が浮かび、苦笑するしかなかった。


「まぁ、そう言うなって。今度、お前も連れてってやるからさ。興味ある年頃だろ?」


 花街に興味が出てくるには、まだ少し早い気がしないでもなかった。

 だが、この見かけからは想像できない程、大人な発言をする宗次郎なら、冗談半分とはいえあながち的外れな提案でもない気もする。

 けれど、返って来た答えは、僅かな躊躇いもない程に、きっぱりとした拒絶。


「お断りします」

「綺麗に活けられ飾られた花よりも、野に咲く花の方がお好みかい?」

「そういう事ではありません。私は、修行中の身ですから」

「固いねぇ。歳さんは、遊び回ってるじゃないか」


 「近藤さんが道場主になって、口説き落とされちまった」苦笑しながらも、どこか嬉しそうに語っていた友人の言葉を思い出す。

 ということは、宗次郎と同門になったという事だ。

 言わば、宗次郎にとっては年上ではあるけれど、弟弟子である。


 その歳さんが、あれだけ遊び回っているのだ。

 確かにあそこまで遊べとは言えないが、一度挨拶を交わしたことがあるここの道場主も、剣術に関しては一本筋の通った男のようだったけれど、人の良さそうな笑顔を見るに、そんなに固い人物だとは思えなかった。


 修行中とはいえ、少しくらい構わないのではないだろうか。

 ぽんぽんっと肩を叩いて、力を抜けと暗に促してみるが、どうやらその一言のせいで、歳さんの行動を何かしら思い起こしたのか、宗次郎から深めのため息がもれた。


「一緒にしてもらっては困ります……。と言うか伊庭さん、あんまり土方さんを連れ回さないで貰えますか?」

「おっと、失言だったか」


 非難めいた視線を受け流すように笑うと、宗次郎は無駄な提言だったと悟ったのか、ひとつだけ息をついて、箒を動かす作業に戻る事にしたらしい。

 そんな諦めのよさが、こちらの心配を誘うのだという事に、本人は気付いているのだろうか。

 何事にも好奇心旺盛であってしかるべき年頃であるはずなのに、この道場に集う誰よりも、自分本位で行動を起こす事をしない。

 

(聖人君子と言ってしまうのは、大袈裟かもしれないが……)


 もう少し、我が儘であっても良いように思う。


「……な、何ですか?」


 「いい子いい子」とでも言うように、いつの間にか宗次郎の頭を掻き回していたらしい。

 歳さんが、いつもそうやって子供扱いをしているところを見ていたから、移ってしまったのかもしれない。


 そうされることを、宗次郎本人が若干嫌そうな顔をしていたことも、知っていたはずだった。

 なのに何故か今、自分も同じ事をしている。

 そこまで気を許しているわけでもない俺に、そんな行動を取られて、宗次郎は不快そうなものとは違う、困惑したような表情で見上げて来た。


「悪い。なんかお前って、可愛がりたくなるよなぁ」

「意味がわかりません」


 「確かに」と苦笑して、頭から手を離す。


「まぁ、何だ。お前はもう少し、子供っぽくてもいいと思うぞって事で」

「?」


 完全に、子供扱いした行動を取っておいて「子供らしくしろ」なんて、矛盾した言葉をかけているなと、自分でもわかってはいた。


「伊庭さんは、もう少し大人になった方が、良いんじゃありませんか?」


 暗に朝帰りを責められているのかと思ったが、真っ直ぐ見詰めてくる瞳の奥に、現状に不満を感じて逃げるように夜の世界を飛び回っている誰にも言っていない理由まで、見透かされてしまっているような気がした。

 だからこそ宗次郎の忠告が、度重なる朝帰りをただ責めているのではなく、早く腹を決めてしまえと、そっと促すようなそんな一言の様にも思える。


 周りの小うるさい大人達に、いつも言われ続けている台詞と、同じであるはずなのに。そのはずなのに。

 宗次郎の言葉は、決定的に何かが違っていた。


 反抗の気持ちなど、微塵も湧いてこない。

 「自分より年下の、まだ何も知らない子供が言った事だから」とか、そんな事ではなかった。

 ただ背中を押すと言うよりは、触れる程度の、そんな一言。


 もっと子供らしくあれ、と告げた先から、自分が諭されていては、仕方がない。

 歳さん達が、宗次郎を子供扱いする理由が、何となくわかる気がする。


(不安、なのかもしれない)


 これは、自分が宗次郎に追い越されてしまいそうだから等という、嫉妬にも似た感情じゃない。

 このまま、子供の時代にだけ許されることを全部我慢したまま、宗次郎が大人になってしまうのではないか。そしてその一端を、自分が担ってしまっているのではないか。

 そんな漠然とした不安が、心をざわつかせるのだろう。


 多分、それを言葉に出して告げて、望んだとしても、宗次郎は「わかりました」と素直に答えるだけだろう。

 そしてきっと、今まで以上にとても上手く、大人達の前で「子供」を演じてしまう。


 それは当然、俺達の求めるものじゃなくて、今と何も変わらないばかりか、余計に道を閉ざしてしまう気がした。

 だから無理矢理にでも、本人が嫌がっていることがわかっていても、行動で子供扱いする事が、伝える一番の近道のような気がするのだ。


「大きなお世話だっての!」

「ちょ、痛いですって。伊庭さん……っ」


 だから今度は、遠慮など少しもなく、思い切り頭を撫ぜるというよりは、ぐしゃぐしゃに掻き混ぜる。

 ぼろぼろになった髪を押さえながら、非難の目を向けてくる宗次郎に、少し子供らしいその表情に、満面の笑みが自然と浮かぶ。

 「今日は、これで満足しておこう」そう決めて頷いた。


「うん、よし。じゃあな」

「……お気をつけて」


 別れの挨拶の代りと踵を返して、手をひらっと上げる。

 背中越しに、「何がしたかったのか」とでも問いかけるような、怪訝でありながらも優等生的な見送りの言葉が返ってきた。


 言動は年相応とは言えないけれど。きっと精神も、そうなのだろうけれど。

 ふとした表情にまだ幼さが見られるのなら、それを引き出す為に動いてくれる誰かが、周りにいるのなら、きっと大丈夫。


 根拠はないけれど、そう思えた。

 その周りの内の一人に、今度俺も立候補しておくことにしよう。


「そのためには、まず。俺が大人になんなきゃな」


 よし、と気合を入れて。

 朝日の指す方へ、一歩を踏み出した。





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