4 婚約変更

 大阪では、皆、徒歩の人の歩調が速い気がする。後、心なしか、車の運転も地元より荒っぽい感じがした。

 エスカレーターも、歩いて登る人と、止まって登っている人の位置が地元と逆だ。私は見知らぬ土地で、また少し怖くなって、航平くんの手を握ってしまった。


「……ちーちゃん」


 航平くんは顔を赤く染めている。でも、今現在、頼れる人は航平くんしかいない。航平くんには我慢してもらおう。

 手を繋いだまま、書店の場所を航平くんが通行人に尋ねた。丁寧に説明してくれた。大阪の人はとても親切だった。

 書店の場所は、大阪駅よりも梅田駅の方が近いらしい。駅員さんが梅田駅の案内をしてくれた理由を理解した。駅員さんも、道案内してくれた方も、ありがとうございました。

 道がわかったので、サイン会をやる書店へ向かった。



 書店では、この間発売された本を買うと、整理券をもらえて、本にサインしてもらえるらしい。私は本を持っていたけれど、再び同じ本を買った。

 やがて司会者さんの紹介で、春村先生が出てきた。美人な女の人で優しそうだ。


「初めまして、春村です。今日は私の為にお集まりいただきありがとうございます」


 綺麗な顔に微笑を浮かべて挨拶した。皆で拍手した。

 行列に並んでサインの順番を待つ。しばらく待ってから、私の番が来た。


「あら。すごく可愛いお嬢さんね。どこから来たの?」


 春村先生に問われたので、地元を答えたら、驚いていた。


「そんなに遠くから、わざわざここまで……。本当にありがとう。サインにお名前を入れてあげる。お名前は?」

「はい。知乃っていいます。知識の『知』に、乃木坂の『乃』です」


 先生は、日付と、私の名前を、サインとともに本の表紙裏に書いてくれた。


「ありがとうございます! 私、この本の大ファンなんです。春村先生が、作家さんの中で一番好きです!」


 感激のあまり叫んでしまった。すると春村先生は両手で握手してくれた。


「そこまで言ってもらえると、書いた甲斐があるわ。これからも応援してね」


 笑顔でそう言ってくれた。私はもう泣きそうだ。

 夢心地で書店を後にした。しばらく手は洗えそうな気がしない。


「ちーちゃん。帰りの新幹線で食事する前に手を洗えよ」


 心の内を読まれたかのように、航平くんに忠告されてしまった。

 でも、ここまで連れて来てくれた航平くんは、私にとって王子様だ!


 ♦ ♦ ♦


「え!? 婚約話の変更ですか!?」


 大阪から帰って随分経った頃、お祖父様から思いがけない話を聞いた。


「そうなんだ。実は、本多航平くんより遥かに素晴らしい『資質』の人がいてね。折角、知乃と夢乃が予知を外さないのに、それより的中率を下げるのはどうもな。航平くんには見合った慰謝料を払う。知乃も年下の子より、年上の人の方がいいだろう?」

「そんなことありません! 航平くんがいいです!」

「そう言われてもな……」


 お祖父様はどうしても予知夢の的中率を守りたいらしい。そんなことを言われても勝手すぎる。お祖父様は年齢を重ねるごとに、頑固になっている気がする。

 私は怒って書斎の扉を乱暴に閉め、自室へ戻った。


「お姉様……。お姉様のこと、夢で視ていたわよ。新しいフィアンセの人、私の相手にしてって、お祖父様に話す?」

「夢ちゃん……」


 夢乃が心配そうに自室へ入ってきた。

 でもまだ小さい夢乃には、私より年上の人との婚約話なんて、可哀想に思う。


「夢ちゃん、ありがとう。気持ちは嬉しいけれど、自分で何とかしてみるわ」

「お姉様……」


 夢乃はずっと心配そうな顔をしていた。


 ♦ ♦ ♦


 結局、お祖父様は勝手に話を進めてしまったらしい。

 私が高等部に入った頃、航平くんが中等部からやってきた。


「ちーちゃん! 何でいきなり婚約破棄なんだよ! 昨日弁護士の人がうちに来た。『虹川家の事情』としか言わなかった。事情って何だよ!?」

「航平くん……」


 さすがに事情は話せない。予知夢に関しては、婿入り後に初めて明かされるからだ。


「ごめんね、航平くん。私が何とかしてみる。もう一度お祖父様と話してみるから」

「ちーちゃんと結婚出来ないなんて、俺は嫌だ……!」


 涙が滲んで歪んだ顔が痛々しい。

 もう一度、お祖父様に話してみよう。



「お祖父様、お願いです! 婚約破棄を取り消してください!」


 私は一所懸命頼み込んだ。ずっと航平くんと結婚するんだと思っていた。いつか、小説のような恋愛が出来ると思っていた。それに航平くんは、どんどん格好良くなってきている。私の王子様になるに違いない。


「本多家に慰謝料を払ってしまったからな……。でも知乃がそこまで言うならば、どうしようか。しかし、予知夢的中率を下げるのも……」

「お祖父様! 予知夢、予知夢と拘ってばかりです! 航平くん以外とは婚約者になりたくありません」

「…………」


 お祖父様は黙ってしまった。私は泣きそうになりながら書斎を後にした。もうお祖父様に、予知夢の話なんてしない!


 廊下を歩いていると、お父様とお母様が心配顔で話しかけてきた。


「ちーちゃん。話は聞いたよ。婚約者、変更するんだって? ちーちゃんは、それで大丈夫なのか?」


 お父様は美しい瞳に、同情の色を浮かべていた。


「変更したくありません! 航平くんがいいんです。いつか航平くんが私の王子様になるんです!」

「ちーちゃん……。もしかして航平くんのこと、好きなの?」


 お母様に尋ねられた。

 好き? 航平くんのこと?

 航平くんは昔から決められた婚約者で、ずっと仲良くしてきた。

 お薦めのライトノベルも貸してくれて、いつもお互いの好きな小説の感想を話し合っていた。

 私がどんなに春村先生を好きか知っていて、付き合って同じ小説を読んでくれて、大阪にも一緒に行ってくれた。怖がっていた私のフォローもしてくれた。


 ……好き、かもしれない……。


「……好き、かもしれません……」

「そう、わかったわ。私と征士くんも父を説得してみるわ。待っていてね」


 優しい微笑みを浮かべて、お母様はそっと私の手を取った。

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