16 エビチリ
冬の期末考査は、あまり時間がなかったけど、頑張って勉強した。
前に授業態度が悪い人は嫌、と月乃さんは言っていた。授業を聞いていると、先生が力を入れている部分もよくわかる。かなり山をかけて試験勉強した。
山が当たって、試験は学年一位を取れた。クラスメイトにも、家族にも褒められた。多分「授業態度の悪い人」の汚名は返上出来ただろう。
しかし、試験勉強したのと冬休みに入ったので、月乃さんに会えていない。
会いたくて堪らず、年始の初詣でに行きませんか? とメールした。
少し時間が経ってから、メールが返ってきた。曰く、テニスサークルの同期と一緒でも構わないか、とのことだった。
当然僕は、月乃さんに会えるのならば何だって構わない。喜んで了承した。
当日、月乃さんは美しい紫色の振袖姿だった。あまりにも似合っていて、手放しで賞賛した。
「明けましておめでとうございます、虹川先輩。綺麗な振袖姿ですね。濃い紫色に大輪の花々の着物がすごくお似合いで、美しいと思います」
「……明けましておめでとう、瀬戸くん。褒めてくれて、ありがとう」
褒めた割には、月乃さんは複雑そうな顔だ。何か気に障っただろうか。
ともかく、テニスサークルの人達含めて、七人で神社まで行った。
神社でのお願い事は、当たり前だけど、月乃さんとまた婚約出来ますように、だ。かなり熱心に他の人より長く、願いを捧げてしまった。
おみくじを引くと大吉だった。嬉しくなって月乃さんへ尋ねた。
「虹川先輩は、どうでしたか?」
「私は大吉だったわ。一年間、運がいいといいわね」
「僕も大吉です。恋愛のところに、この人なら幸運ありと書いてありました」
本当に彼女と幸せになりたい。月乃さんは就活と卒論が順調にいくといいと言っていた。卒論はともかく就活とは……。虹川の会社に入らないのだろうか。
僕が恋愛成就のお守りを買った後、テニスサークルの先輩が和風喫茶へ誘ってきたので、皆で行くことになった。
♦ ♦ ♦
喫茶店で注文品が運ばれてきてから、サークルの先輩に話しかけられた。
「ねえ瀬戸くん。さっきから思ってたんだけど、何だか綺麗になってない? もともと格好良いけど、髪もつやつやしてるし、肌もすべすべだし、唇もうるんだ感じだし」
「顔が好き」と月乃さんに言われて以来、女好きで髪や顔の手入れを怠らない兄に頼み込み、教えてもらっている。保湿にも気を遣い、顔をぬるま湯で洗った後、兄推奨の洗顔料でよく泡立てて洗っている。
僕が好きな人の為にケアしていると答えたら、先輩達が騒ぎ立てた。
付き合っている人がいるか訊かれたので、月乃さんの名は伏せて、好きな人に振り向いてもらう為に頑張っていると話した。
すると、意外な提案をされた。
「じゃあ玲子に頼んで、石田さんを連れてきてもらったらいいじゃない。それで試合してもらって、瀬戸くんが勝ったら付き合ってもらえるようにお願いするとか」
神田先輩は、石田先輩のテニス姿に憧れて付き合っていると言う話だ。月乃さんも前に、僕のテニス姿が格好良かったと言ってくれた。
つい月乃さんに、話を振ってしまった。
「そうですね……。どう思います? 虹川先輩。僕が石田先輩に勝ったら、付き合ってもらえると思いますか?」
「…………さあ、それはどうかしらね」
「ですよね。じゃあせめて、僕が勝ったら二人のときに名前で呼び合うようにしてもらうとか、時々お弁当を作ってもらうとか、それくらいならお願い出来ると思います?」
また素面でも名前で呼び合いたい。あの美味しいお弁当が食べたい。
以前僕は、石田先輩に歯が立たなかったけど、何としてでも勝ちたい。
月乃さんがそれくらいならば良いと言ってくれたので、神田先輩に頼み込んで、石田先輩と試合をしてもらえることになった。
僕は奮起して、帰宅した後、庭で素振りを続けた。
♦ ♦ ♦
テニスの試合は接戦だった。
石田先輩は、プロ並みのトップスピンサーブを打ってくる。何とか食らいついて、ライジングで返した。
ゲームカウント5―5まで持ち込み、次のゲームでジャンピングスマッシュを決めた後、疲労のあまり足が攣ってしまった。
月乃さんが消炎鎮痛剤を塗ってくれたけど、痙攣の治療行為は、本来の試合ならば、一回しかタイムアウトを取れないはずだ。
これ以上タイムは取れない。背水の陣で試合に臨み、第11ゲームを取った。
第12ゲーム目。このゲームを取れば、僕の勝ちだ。
足の攣った僕に対して、石田先輩は容赦なく深い位置へボールを打ち込んでくる。振り回され、走り回りながらも、ネットへ詰めた。
僕の気迫に押されたのか、たまたま石田先輩が緩い球を打ってきた。
ここだ。ラケットの面で掬うように、変化するドロップショットで、石田先輩の反対方向へ落ちる球を打った。石田先輩は、動くことが出来なかった。
……勝てた。僕は、座り込んでしまった。
まだ足は攣っているけれど、嬉しい。
月乃さんがまた鎮痛剤を塗ってくれて、石田先輩が足を引っ張って、治してくれた。
僕は月乃さんへ向かって笑った。
「僕、石田先輩に勝てました。きっとこれで、お願いを聞いてもらえますよね」
「勿論に決まってるじゃない。すごい試合だったわ。必ずお願いは聞いてもらえるわ」
月乃さんは泣きそうな顔で、僕に笑いかけてくれた。
こうして僕達は、二人きりのときに名前で呼び合い、時折美味しいお弁当を作ってもらえることになった。幸せだ。
♦ ♦ ♦
試合に勝ってから、僕は月乃さんの家へ行くと、虹川会長の都合がつかない度に月乃さんへ纏わりついた。
「月乃さん、月乃さん」
「何かしら? 征士くん」
月乃さんも、満更でもなさそうだ。
「月乃さん。明日、お弁当作ってもらってもいいですか?」
「まあ……。構わないわよ。ただね、一年A組に行くのは恥ずかしいから、高等部の玄関口でいいかしら?」
「勿論構いません。昇降口でいつまででも待っています」
翌日、大学からお重のお弁当を持ってきてくれた。
僕の大好きなエビがたくさん入っていて嬉しい。今日はエビチリだった。
「月乃さん、月乃さん」
「征士くん? 今度は何かしら?」
「今、月乃さんは、何の本を読んでいるんですか?」
表紙に可愛い猫の絵が描いてある文庫本だ。
「ああ、フィンランドへの留学体験記。日本人が英語からフィンランド語へ翻訳したりするんですって。英文の恋愛詩も翻訳したそうよ」
「恋愛詩ですか。大変そうですけど、面白そうですね。僕も今度英文で恋愛について語ってみましょうか」
「そんなもの、語ってどうするのよ。第一英文なんか読めないわ。征士くんは、何て書くつもりなのよ」
「I didn't know the meaning of my love and happiness until I met you.」
(あなたに会うまで、愛と幸せの意味を知らなかった)
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