ひみつ

桜井千景

これは、僕たち2人だけの秘密

 飼っていた猫が逃げた。



 5歳、オス、三毛猫。首に赤いチョーカーと鈴あり。目撃情報があれば、下記の電話番号までお願いします。

 TEL : XXX−XXX−XXXX



 うちの猫の情報と電話番号がプリントされた紙を、姉は「ん!」と、僕にプリントを押し付けた。


「ちょっと、探すの手伝ってくれない?」

「いいけど…。でも、もう遠くに逃げちゃってるんじゃ…」


 僕がそう言うと、姉はパシン! と僕の頭を叩いた。叩かれた頭がジンジンと痛む。


「とにかく、放っておくわけにはいかないでしょ? 手伝いなさいよ!」


 うちの家では、姉には逆らえない。

 昔から強気だった姉は、うちの村の中学校でリーダー的存在だ。姉とは対象的に内気で臆病な僕は、中学校でも家でもビクビクとしている。だから僕は、そんな姉に逆らうことができなかった。

 今回もいつも通り姉に逆らうことができず、仕方なく僕は、「分かった」と返事をした。

 そしてすぐに姉に押し付けられたプリントを持って、家から出た。


 僕の暮らしている村は人口が100人と少ないから、住人同士の交流が深い。だから、情報網には困っていないし、もし村に猫がいるのなら、すぐに僕らの家に知らせが入るだろうから、見つかるのは時間の問題だと思う。

 僕は片っ端に会った人から、猫を見かけていないかと聞き回っていった。


「あの、この辺で三毛猫見かけませんでしたか?」


「三毛猫?見かけてないわね」

「うーん、見てないかな」

「三毛猫……、見てないわ」

「あら、見てないわよ。逃げちゃったの? お気の毒ねえ」

「猫ってのは、ひっそりいなくなる生き物だろ?

 もしかしたら、一人寂しくどっか行ったのかもなあ」

「そういえば、猫はここしばらく見てねえな。

 三毛猫どころか、トラ猫すらも見てねえや」





 ………駄目だ。全然見つからない。


 村の住人の目撃情報は今のところゼロだ。

 随分と長い時間聞きまわっているけれど、三毛猫を見かけたどころか猫を見かけたって情報も出てこない。

 僕は心が折れかけているが、このまま情報無しで家に帰れば、うるさい姉から何か色々と言われるかもしれない。

 そう思うと家に帰りたい気分ではなくなり、もう少しだけ探そうと、折れかけた心を何とか奮い立たせた。

 そういえば、目撃情報を聞き回っているうちに、いつの間にか随分と遠くに来てしまったようだ。

 僕が今いるのは村の外れ、家からはかなり距離が離れている。折角ここまで来てしまったし、もう少しだけ尋ねてみよう。

 僕はもう少しだけ、粘ることにした。



「あの、この辺で三毛猫見かけませんでしたか?」


「猫…、見かけてないなあ」

「さあ…? 知らないわ」

「うーむ。見てないな。すまんな」


 見かけていないという情報ばかり集まる中、半ば諦めムードで猫の情報を聞き回った。


「ああ、三毛猫ね。見たよ」


 やっと目撃情報が出てきた。やっと連れ帰れる。

 僕は興奮気味に詳しく尋ねた。


「本当ですか! その猫はどこに?」

「森の方なんだけど、もしかして飼い猫かな?」

「はい…、家から逃げてしまって探しているんです。」


 そう言うと、村人は眉をひそめた。


「あの森は近づかないほうがいい」

「え…、どうしてですか?」

「あの森には、人を食らう化け物がいるらしい。

 襲われたくなければ近づかないほうが身のためだよ」


 村人はそう言うと、「気をつけなさい」と手を振りながら、その場を去っていった。


 うちの猫が、森の中にいる。

 しかも、人を食らう化け物のいるという森の中に。

 正直、森の中に入るのは怖い。もし、迷子にでもなればきっと僕は………。

 森の中で迷子になった自分を想像するだけで、僕はぶるぶると震えてしまった。


 でも、このまま帰れば姉に「何で連れて帰らないの!」と怒られるだろうし、嘘をついて情報が無かったと伝えても、きっと色々と小言を言われるに違いない。

 それに、家からかなり離れたところまで折角来ているんだ。このまま帰るのも何か嫌だ。

 まだ日は登っている。きっと森の中も明るいに違いない。

 僕は、勇気を振り絞って森の中へ入っていった。



 僕は森の中を突き進んでいく。

 陽の光が木々の葉に遮られ、森の中は意外にも暗かった。いつ迷子になってもおかしくない暗さの中、幸いにも森の中には獣道が出来ており、その道を頼りに森の中へどんどん突き進む。


「意外と暗い…。どこにいるのー?」


 僕の呼びかけに、猫一匹反応しない。

 本当に森の中に入っていったのだろうか。

 僕は疑心暗鬼になりながらも、獣道をどんどん突き進んでいった。


 しばらく獣道を突き進んでいくと、ついに獣道の終着点に到達した。

 そこには、小さなボロボロの赤い鳥居と社がそびえ立っていた。


「こんなところに社が…? どうしてこんなところに…」


 僕は蜘蛛の巣まみれの鳥居をくぐり、社に近づいた。シロアリに食べられたのか、所々ボロボロになっていて、まるで絵に書いた廃墟のようだ。

 社の中央にはお地蔵様が立っているが、誰も手入れしていないのか苔まみれになっていた。

 僕はお地蔵様の前に置いてあった、ボロボロの賽銭箱を覗いてみた。

 お賽銭は一銭も入っていない。

 きっと、最近ここに来た人は誰もいないのだろう。それもそうで、人を食らう化け物が住んでいるという噂があるぐらいだし、ここに来る人なんて、余程の変人か僕ぐらいしかいないだろう。


 僕はもっと社を見てみようと、社の裏側へ歩いてみた。

 すると社の裏側には、見覚えのある猫の姿があった。5歳、オス、三毛猫。首に赤いチョーカーと鈴あり。まさにうちの猫だ。



「え……」



 だが、猫は無惨な姿で死んでいた。



 猫の腹は誰かに食い千切られたのか、臓物が飛び出ていて、白い肋骨も何本か見えている。猫は目を見開いたままピクリとも動かない。そして、その猫から鉄臭い匂いがした。きっと、猫の腹から溢れ出ている鮮やかな紅色の血のせいだろう。

 もしかしてうちの猫は、何かに食べられてしまったのだろうか。


 僕がただ呆然と、そのグロテスクな光景を眺めていると、近くの草むらからガサガサと音がした。

 もしかして、熊? それとも鹿? それとも猪?


 ……それとも。


「誰だ!」

「安心せい。わしは人間を食べるような真似はせん」


 僕は声が出なかった。

 眼の前に立っていたのは、化け物だった。


 化け物は僕の身長を遥かに上回っている。多分2m以上はあるだろう。

 白い髪は糸のように細く、地面についてしまっているほど長い。

 体はガリガリに細く、それどころか服を着ていない。よく見ると、体にはまるで蛇の鱗のような模様が銀色に輝いている。

 顔を見ると、頬は痩けていて、目は…何故だろう3つある。2つとおでこに1つ。そして、口はまるで口裂け女のように、耳から耳にかけて大きく裂けている。


「それにしても、こんなところを見られるとはな。

 ここなら誰もいないと思っていたのだが…」


 そう言うと、化け物はうちの猫を抱きかかえた。

 次の瞬間、食い千切られた猫の腹に大きな口を付けた。そして、化け物は猫の血をジュルルル、と吸い始めた。


「ひっ……!」


 僕は、そのあり得ない光景に絶句していた。

 猫を抱える化け物の手は、猫の血で赤く染まっている。化け物は血に汚れた手もお構いなしに、うちの猫の血を啜り続けている。ごくりごくりと喉仏を揺らし、美味しそうに啜っている化け物の姿に、僕は言葉すら出せなかった。


 しばらくして、化け物は血を飲み干すと、口をガバリと大きく開けた。化け物の口はまるでクジラの口のように大きく、猫一匹、一口でパクリと食べられそうな大きさだった。

 化け物は、うちの猫を一口で食べてしまい、そのまま噛まずにゴクリと飲み込んでしまった。そして、猫で膨れた腹を優しくさすった。

 僕は言葉が出なかった。

 恐怖のあまり頭が真っ白になってしまって、何も言い返せない。本当は今すぐ逃げたい。

 逃げて、みんなに知らせないと。

 そう思っているのに、足にうまく力が入らない。それどころか、ガクガクと産まれたての子鹿のように震えている。


「ふう。いいかい? 君は、儂の秘密を知ってしまったんだ。これは2人だけの秘密」

「秘密…?」

「そうさ、秘密。このことを誰かに知らせれば…」


 そう言うと、化け物は口をパカリと大きく開けた。


「ひっ……!!」

「安心せい。先程申しただろう?人間を食べるような真似はしないと。

 ときにお主。お主に一つ、頼みがあるんだ」

「え……」


「時々、儂に会いに来てくれぬか?」


 突然の言葉に、僕は驚いてしまった。


「嫌か……?」

「こんな光景見たあとじゃあ…、ちょっと…」

「見苦しいものを見せて済まなかったな。

 でも折角、儂は君とこうして出会ってしまった。きっとこれは何かの縁だろう。

 単に儂と話してくれるだけでも良い。会ってくれぬか…?」


 化け物は3つの目で、僕をじっと見ている。

 化け物の目は上目遣いをするように、目を潤ませている。潤んだ目がキラキラと、森の僅かな光を反射させ輝いていた。

 僕はそんな姿の化け物を見て、何故だか放っておくができなくなった。


「……わ、分かった」


 僕がそう言うと、化け物は目を輝かせて喜んだ。


「ありがとう。今日はもう日が暮れる。また会いに来てくれると嬉しい」

「………う、うん」


 僕がそう言うと、化け物はにっこりと微笑んだ。

 そして「また会おう」と、化け物は手を振って森を去る僕を見送った。


 僕はそのまま帰路に着いた。

 あの化け物は一体何だったのか。

 うちの猫を食べる、あの光景は夢だったのだろうか。

 僕は悶々と化け物のことを考えながら、家の戸を開けた。


「おかえり。どうだった?」


 戸を開けると、姉が玄関に立っていた。

 きっと猫のことが心配で、僕の情報を待っていたのだろう。

 僕は、正直にうちの猫の死を伝えようとしたけれど、きっと姉は悲しがるに違いない。こうして玄関で待っているくらい猫のことを愛していた姉に、猫の死を伝えてしまったら、姉は泣いてしまうだろう。

 僕は、姉に小言を言われるかもしれないけれど、嘘をつくことにした。


「ごめん。目撃情報無かった…」

「そんなあ…。もうちょっと粘ってよ!」

「日も暮れちゃったし、明日また探すから…」

「私も探すから、今度こそ見つけてよ。絶対!」


 予想通り小言は言われてしまったけど、想像してたよりは言われなかった。僕は安堵し、明日に備えて早く布団に潜った。




 次の日。

 僕は猫を探すことなく、森の中の獣道を進んだ。

 昨日来た社の裏。そこには、昨日出会った化け物が体育座りをして僕を待っていた。

 やはり、昨日見た化け物は夢なんかじゃなく現実だったようだ。

 やってきた僕を見つけると、化け物は嬉しそうに目をキラキラと輝かせながら喜んでいた。


「お主、来てくれたか!」

「……う、うん…」

「そんな怖がらなくても良い。お主は食べられないからな。

 さて、儂はお主のことが知りたくてのう。色々と教えてはくれぬか?」

「えっと……?」


 僕が返答に戸惑っていると、化け物は、うーんとしばらく考えた後、にこりと笑った。


「そうだな。例えば、お主はどんな暮らしをしているんだ?」

「えっと…。どんな暮らしって…、普通…」

「普通?普通とは何だ?」

「毎日学校に行って、部活をして、帰って勉強して…」

「ほう、学校とな。儂は知っておるぞ。

 学校は同じ年代の子らが集まり、共に学に励むものだとな!

 だが…、とは聞いたことが無いな。とは一体何だ?」


 どうやら、化け物は部活を知らないらしい。


「えっと…? 知らないの…?」

「世に疎いことは儂も承知しておる。それで、とは何だ?」

「……同じスポーツだったり、活動だったりをみんなで集まってするんだ。例えば野球部とか」


 そう答えると、化け物はまるで無邪気な子供のように喜んでいた。


「ほう! それで、お主は何のに入っているのだ?」

「………写真部。部員は僕一人だけだけど…」

「写真部とな! 写真とは凄いものだぞ! そこにあった一瞬を永遠にしてくれる。素晴らしいものだ!」

「……写真一つで、そんなに感動するとは思わなかった」

「もちろん感動するぞ! 写真は真に写すもの。

 人の秘密も、全てありのままに残すのだからな!」

「秘密……」


 そこにある一瞬を形残してくれる、写真。

 今、化け物は写真を『人の秘密も、全てありのままに残すもの』だと言った。なら、今、僕が君を撮れば……。

 そう僕が思っていると、化け物は、僕の考えを見通したのか腕を組みながら、うんうんと頷いていた。


「さては、儂を写したくなったな?」

「え……?」

「だが残念。儂は秘密を残す気は無いからのう。

 さて、もうじき日も暮れる。

 今日はありがとう。また、会ってくれると嬉しい」


 そう言うと、化け物は立ち上がり森の奥へと消えていった。

 ──人を食らう化け物。

 そう言われている彼だが、話してみると、もしかしたら案外いい人なのかもしれない。僕の話にも興味を持って聞いてくれる。僕は、この化け物と会話することに、ほんの少しの楽しさを覚えていた。



 さらに次の日。

 僕はまた獣道を抜け、また社の裏側にいる化け物と話す。2日しかまだ会っていないのに、何故だか僕はこの空気を少し心地よく感じていた。


「また、来てくれたか! 儂は嬉しいぞ!」

「……今日は、何の話をするの?」

「昨日、写真の話をしてくれたのう。お主の取った写真が見たくてな」

「…今日、カメラ持ってきてないから。見せられないよ」


 そう言うと、化け物は残念そうに眉を下げた。


「それは残念だ。

 では、次会う時の約束としよう。お主がカメラとやらで写した風景を見るのが楽しみだ」

「…ねえ。気になったんだけど、写真好きなの?」

「もちろん」

「…じゃあ、次カメラ持ってくるからさ。何か撮ってみたら、いいかなって…」


 僕がそう言うと、化け物はパアッと表情に花を咲かせた。会った中で一番目が輝いてる気がする。


「いいのか……?」

「うん」

「ありがとう。…次に会う時が楽しみだ。

 また、会ってくれぬか?」


 化け物は、優しい笑みを浮かべていた。

 僕は「うん」と答えると、化け物はより笑ってくれた。

 最初にその顔を見たときは怖かったけれど、でも、その顔を見て、僕は少し嬉しくなった。


 そのまま帰路に着き、家についた頃にはもう日も暮れていた。

 僕は玄関の戸を開けると、玄関には深刻そうな顔をした姉が仁王立ちしていた。


「ねえ。ちょっと良いかしら?」

「何?」

「あなた、あの森に近づいてないかしら?」

「え?どうして…?」

「見たって人がいるのよ。あなたが森に入っていくのを」


 僕が森の中に入っていったのを誰かが見たらしい。

 間違っても森の中で化け物と会っていたなんて言えない。言えるはずがない。これは、僕らの秘密だから。


「……人違いじゃない? 見間違いとか」

「……それなら、いいけど。

 くれぐれも、あの森には近づいちゃ駄目」

「どうして?」

「どうしても何も、化け物がいるからよ。

 人を食らう化け物よ? 襲われたくなければ近づかないで」


 そう。僕らがこうして出会っているのは秘密。

 だから僕は他人には秘密を話すことはできない。秘密を話して、人を食らう化け物の誤解を解くことができない。

 僕はそのことが酷く悲しく思えた。




 次の日。

 僕は自前のカメラを持って、社を訪れた。


「おお! お主、来てくれたか。」

「はい。カメラ持ってきたよ」


 僕は化け物にカメラを手渡すと、化け物は興味津々でカメラをじっと見つめていた。


「ほお。これがカメラか! 儂の知ってる射影機とは少し違うな。銀色で艶艶しく、そして何とも小さい! 本当にこれで写真が撮れるのか?」

「うん。…撮ってみる?」


 そう言うと、化け物は「うむ!」と大きく頷いた。


「写真を撮るときは、ここを押して…」



 ピピッ……。パシャリ!



「こうか?」

「うん。それで撮れてるはず…」


 僕はカメラを操作し、化け物の撮った写真を見せると、化け物は興奮気味に喜んでいた。


「おお、本当だ! 凄い、凄いぞ!!」

「良かった。綺麗に撮れてるね」


 僕は化け物が撮った写真を見つめていた。

 何の捻りもない、ただの森の写真。

 でも、僕には今までで見た写真の中で、一番綺麗なものに感じた。


「…ときにお主、写真が好きなのか?」

「うん、そうだよ。好きじゃなきゃ部活に入ってないし」

「それは何故?」

「……写真で見る景色が好きなんだ」


 僕がそう言うと、化け物は僕の目をまっすぐ見た。


「お主は、儂の写真を取りたいと思うか?」


 突然、化け物は真剣そうな顔をして尋ねるものだから、僕は驚いてしまった。


「え…? ど、どうしたの、急に」

「いいから、儂の質問に答えよ」

「前に写真、撮られたくないって言ってたよね?」

「それはそうなんだがな。それ抜きで考えてほしい。お主は、儂の写真を取りたいか?」


 化け物は僕に尋ねた。

 化け物の写真。僕は撮ってみたい。

 前々から…、化け物と出会ったときから、僕はずっとそう思っていた。

 僕は写真で見る景色が好きだ。

 そこにある一瞬を形残してくれるから。一瞬を見返すことが、僕をタイムスリップしたような感覚にさせる。その感覚が僕は好きだ。

 もし、今日のこの出会いを写真に収められれば、僕にとってどれほど素敵な写真になるのだろうか。きっと、今までで見た写真の中で一番のものになるかもしれない。僕にはその自信がある。

 だから、化け物の問いに僕は大きく頷いた。


「うん」


 僕がそう言うと、化け物は何故か少し悲しそうな顔をして、僕のカメラのレンズを手で覆った。


「どうしたの…?」

「いいや。言ったであろう?儂は、秘密を残す気は無いと。

 今日は会ってくれてありがとう。写真もカメラも、ありがとう。さあ、日が暮れる。もう帰れ」


 そう言うと、化け物は立ち上がった。

 でも、化け物はいつものように「また、会ってくれぬか?」とは言ってくれなかった。


「…うん、またね」


 そう言うと、化け物は目を見開いたように驚いたあと、いつもの優しい微笑みを僕に向けてくれた。


「ああ。また会おう」



 家に帰り、僕は部屋の中でカメラをピッと操作していた。

 今日、化け物が撮った森の写真。

 そうだ。写真を現像して渡してあげよう。きっと、あの化け物はいつものように、目をキラキラとさせながら喜ぶはずだ。


 それと、僕はカメラの十字キーの右ボタンを押した。画面に現れたのは、あの化け物の後ろ姿。実は帰り際にこっそり撮っていたのだ。僕は、暫くの間その写真をぼうっと眺め続けていた。


 ──姉が後ろにいるのにも気づかずに。


「ねえ、その写真…」

「…!」


 僕は後ろから聞こえた姉の声に、ハッと振り向く。


「気味悪い…! 何この化け物! すぐに退治するよう村長に言うわ!」

「待って、待ってよ!」


 そう言うと、姉は僕の静止を聞かずに、すぐに家を飛び出してしまった。


「どうしよう。どうしよう!」


 僕は涙目になりながら、家を慌てて飛び出した。

 姉の姿はもうなく、きっと村長のところへ大慌てで向かったに違いない。

 とにかく、俺は必死に森へ向かった。

 僕たちの秘密がバレてしまった。まずはそれを謝るんだ。そして、もうすぐ村長たちが君を退治すると。見つけて、知らせなければ!


 僕は、必死に獣道を進んでいく。

 その途中、僕は木の根に躓いてしまい、派手に転んでしまった。

 僕の膝からは、赤い血が流れている。

 君と出会ったときも、うちの猫もこうして血を流していたっけ。君は手を血塗れにしながら、猫の血を啜っていた。

 あの時は君に恐怖を感じていたけど、でも今は違う。今は、君と話すのがすごく楽しい。心が少し浮き立つような感覚になるんだ。だから、僕は君とまた話がしたいんだ!

 僕は怪我に構うことなく、全速力で獣道を駆けていった。



 僕は息を切らしながら、鳥居をくぐり、社の裏側へ回った。

 いつもの社の裏側。化け物はそこにいた。



「え……」



 だが、化け物は無惨な姿で死んでいた。



 化け物は静かに目を閉じながら横たわっていて、ピクリとも動いていない。

 そして化け物の死体にまとわりつくカラスに腹を抉られていた。まるでうちの猫の死体のように、腹からは内臓が見えていた。

 カラスのくちばしは黒いのに、染め物のように奇麗な赤に染まっている。くちばしからは、ねっとりと赤い粘液のようなものが、つうっと垂れていた。


「うわあああああああ!!」


 僕は叫びながら、カラスを必死に追い払った。

 カラスは僕に怯むことなく、かあかあと泣いて僕を威嚇し続けていた。

 だが、僕がカラスを蹴ろうとすると、黒い翼を広げて、近くの木へ飛び立っていった。


 僕は、化け物の顔を恐る恐る見た。

 化け物は、目を閉じて静かに微笑んでいた。

 まるで「また会ってくれぬか?」と微笑んだときの、あの優しい笑みを浮かべている。というよりむしろ、今にもそう言い出しそうなほど、あの時の表情そのままだ。

 でも、君がその言葉を言うことは二度とない。二度と、君と話すことが出来ない。もう二度と、僕たちは会えない。


 僕らの秘密は、これで終わりを迎えてしまった。


 ……ごめんね。


 僕は君に謝らなければならない。

 君の秘密を守れなかったこと。

 また会おうという約束を破ってしまったこと。

 そして、君の写真をこっそり撮ったこと。


 ごめんね。ごめんね。ごめんね。


 そして、僕はまた君に謝らなくてはならない。


『もちろん感動するぞ! 写真は真に写すもの。

 人の秘密も、全てありのままに残すのだからな!』


 君は、あの時そう言ってたよね。だから僕は、僕らのこの秘密を写真に収めたい。

 僕は写真で見る景色が好きだ。

 そこにある一瞬を形残してくれるから。

 君と話していた時間は楽しかったんだ。だから、君と出会ったあの一瞬を、永遠に形残したいんだ。

 君は写真を嫌がっていただろう。でも、僕たちが出会ったことを、ただの思い出なんかにさせない。無かった事になんかさせない。終わりになんて、僕が絶対にさせない。


 だから。

 だから、ごめんね。


 僕は泣きながら、パシャリと1枚写真ひみつを撮った。


 僕は、カメラを操作して取った写真を見る。

 ああ良かった。君を残せた。

 僕たちの秘密を、写真に残すことができた。

 でも、もう秘密を共有することはできない。これは、僕だけの秘密になってしまったから。

 でもね。僕は君と、もっと秘密を共有したいんだ。


 ……ああ。いい方法があったじゃないか。


 やっと分かった。

 君が飼い猫を食べた理由。

 君も、寂しかったからこうしたんだね。

 僕も寂しいよ、君がいなくて。だから……。


 だから、分かち合おう。秘密を。


 僕は、君の抉られた腹に口を付けると、じゅるると血を吸った。かつての君のように。




 ──これは、僕たち2人だけの秘密。












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