そんなこんなの何だかんだで、つつがなく合コンは進んでいった──というのは真っ赤な嘘で、これが世の厳粛なのか、思うようにはいっていなかった。

 鍋屋のための合コンなのに、彼だけぽつねんと浮いていたのだ。開始時点のぎこちなさが最後まで氷解せずに終始、消極的な態度だった彼が、遊び慣れていそうな女どもから合格点を貰えるはずもなく、当然の帰結ではあった。そして、モテ要素の欲張りセットこと楠本佐助が逆の結果──ピンクボブ女とくびれミディアム女から取り合われるのも必然だった。

 ただ、脇役に徹していた俺をロックオンしてくる奇特かつ迷惑な女が現れるとは予想していなかった。ウェリントン眼鏡の女のことなのだが、彼女は音海おとみ秋帆あきほという名前で、都内のミッション系の私大──いかにも難関大学ですという顔をしているが健常な頭の受験生からは共通利用の滑り止めとしての価値しか認められていない負け犬御用達ごようたしの大学だ──に通う一浪の二年生だと言っていた。が、証拠は何もないので真偽のほどは不明だ。

 たしかに、洋ロック、その中でも特にオルタナティブ・ロックと呼ばれるジャンルが好きだという音海とは、割合にマニアックな音楽の話でそれなりに盛り上がってしまった。しかしその程度、致命的なミスとまでは言えないと思うのだが、レンズの奥の彼女の瞳は男女の段取りを滔々とうとうと進めようとする女特有の艶を帯びていた。

 店から出たところで、何でこうなるかねえ、と空を見上げると、薄雲で濁った月光が夜をあやふやにしていた。

「みんなまだ時間大丈夫ー?」

 楠本の声に首を戻すと関節がポキリと鳴った。二次会でカラオケに行きたいらしく、俺にも来てほしいようだった。

「僕も行くよ」

 乗り気でなさそうな、帰りたそうな鍋屋だったが意外にもそう答えた。楠本への義理立てか、こういうのが苦手なりに数合わせぐらいはこなそうと思っているのかもしれない。

「門限なんてないんでオッケーすよ」俺も了承を伝えた。

 鍋屋のことが心の縁に引っかかっていた。現状からの挽回ばんかいは不可能に近いとは思うが、このまま帰ったのでは何のために助っ人に入ったのかわからない。他者への責任感は皆無の俺だが、自分へ課した、あるいは美学にも似た矜持きょうじだけは曲げたくない。

 というのは建前のようなもので、本音は、他人の金でカラオケできるなんてラッキー! ぐらいのものである。なぜなら、俗物だから。へへっ。

 結局、全員でぞろぞろとカラオケ店へ向かうこととなった。

 いろいろと緩い店のようで、いい加減な応対の店員に通されたのは、八人ぐらいまでならゆっくり利用できそうなテーブルと備え付けの長椅子のあるよくある部屋だった。

 早速俺は年下の引き立て役らしく、「飲み物持ってくるっすよ」と申し出た。どーぞ大学生同士で勝手に仲良くしやがれ、という心境だった。

 が、「待って、わたしも行く」と音海も声を上げた。俺の台詞を奪うように、「何がいいー?」と皆に尋ねた。

 狭い通路にあるドリンクバーの所には誰もいなくて、うらぶれたアングラ感が漂っていた。

 グラスにコーラを注ぐ。しゅわしゅわと薄汚い泡が膨らんでいく。

「ね、ね、夏目君は使える音域かなり広いんだよね?」音海に聞かれた。

「まあそうっすね」男性歌手の歌で対応できないものは基本的にはない。

「じゃあさ、[Alexandros]も余裕な感じ?」

 と尋ねてくる音海の息遣いの中に、なぜか恐れのような気配があった。ような。どうだろ。気のせいか。

「原キーで歌うだけなら」

 すごいねー、と人を苛つかせるためだけに存在するような、毒蛇の抜け殻のような言葉を吐いて音海は、注がれるメロンソーダを眺めながら、「[Alexandros]でリクエストがあるんだけど、いいかな?」

「歌えるのならいいっすけど」

 ほんと? ありがと。かすかに口元を綻ばせて音海は応えた。

 有名どころの『ワタリドリ』か『閃光せんこう』辺りかね、と思っていたのだが、音海が求めたのは第一に『Run Awayランナウェイ』、それが無理ならと第二に『Girl Aガールエー』であった。

「ぎりぎりミーハーとは言えないような絶妙なところを衝いてきますね」

「でしょー」と音海は笑って、「何を隠そう、わたし邦ロックも結構詳しいんだー」

 ふうん、まあドロスは比較的英語多めっすからね、といったところである。

 で、俺は『Run Away』を歌ったわけだが、音海はというと、「やるねえ」「うっま」「やば、声エッロ」などと沸く座の空気に溶け込むように、「すごいすごい」と七分咲きぐらいの笑顔で手を叩いていて、「この後、歌う人のことを考えない歌いっぷり、拙者、感服いたしましたー」とおどけもした。

「いや、本当にね」

 と鍋屋が苦笑いまじりに顔を引きつらせていた。「すごくやりづらいよ」

 それはしゃーない。世の中そんなもんだ。魔女狩りで火あぶりになった厄介者どもみてえに諦めてくれ。



 そうして二次会が終わったのは、暗く物寂しい夜の気配が濃くなってくるころ──時刻は深夜零時まであと数分というところだった。

 これにて本日は解散ということになった。

 のだが、女どものケツが見えなくなると楠本が、「よし、じゃ反省会すっか!」と合コン中よりもイキイキとした顔で宣言した。

「え、嫌っすよ」俺は即、拒絶した。そこまでする契約ではなかったと思うのだが?

「ま、そう言うなよ」楠本に悪びれる様子はまったくない。「いいじゃねえか。何か食いたいもんとかあるか?」と強引に話を進めようとする。

 とはいえ、小腹がすいていないわけではないし、鍋屋も行くらしいし、彼にはちょっと聞きたいこともあるし、

「しゃーないっすね」と俺は首肯した。「ファミレスかマック辺りでどうっすか」と尋ねるとそのまま採用され、一番近くのファミレスに決まった。

 深夜の店内で乱反射する人工の光は、目に刺さる。

 しばたたきつつ注文を済ませると俺は、口を開いた。「鍋屋さん」と声をやる。「何か気がかりなことでもあるんすか」と尋ねた。

「そうそう」と楠本も続く。「俺も聞こうと思ってたんだ。お前、全然積極的じゃなかったじゃん。いつも静かだけどよ、今日はそれ以上だったぜ?」

 意図的にそうしているようにさえ見えていた。結果として鍋屋への評価は低空飛行からの不時着陸のごときだったと思われる。

「……ごめん」視線をさ迷わせるだけの短い沈黙の後、鍋屋はうつむきがちに言った。

「ん、何かあるなら聞かせてくれ」と言う楠本に、一度うなずいて鍋屋は、たいそう場都合が悪そうに訳を打ち明けた。

「その、実は僕、理系の大学に通う彼女と同棲どうせいしてて」

「……」「……」俺と楠本は揃って声を失った。そして、同時に取り戻した。

「ぷくくっ」と噴き出しそうになりながら喉を鳴らす楠本、「俺いらなかったんじゃん」と頬机を突く俺。バラードの流れる真夜中の店内には客の影も少なく、ぷるるる、と意味もなく短いリップロールをしてみたり。

「ごめん」と、それから鍋屋は下を見たまま言い訳する。「言おう言おうと思ってるうちにどんどん話が進んで日取りまで決まってしまって、そうなると言い出せなくて」

 俺は非難の念を込めた視線を楠本へ送った。「あんたが人の話を聞こうとせずにガンガン進めるからじゃないっすか」

 いやあ面目ない。楠本はそう口にしたものの反省の色を浮かべるでもなく、都合の悪い雰囲気を切り替えるように、「どんな子なん? 写真見してよ」と言う。

「いいけど少し待って」鍋屋はスマホを持ち、視線を落とし──表情を凍らせた。まばたきもしていない。

「なした?」楠本が横からスマホを覗き込んだ。そして、あはっ、と白く美しい歯が笑った。

「何なんすか」今度は俺が問うた。

 愉快そうな表情の楠本はその長めの指でスマホを指し、「鬼LINEが来てるんよ」

「あー」同情したわけではないが、「鬼ダルっすね、それ」と俺は言った。「彼女さんなんすよね? どっかで知り合いにでも見られたんすかね」

「かもな」

 と楠本が代理で答えたところで鍋屋は復活した。彼は画面上に素早く指を躍らせ、メッセージを確認するのだろう、小刻みに眼球を動かしはじめた。やがて顔を上げた彼は、蒼白そうはくな顔をしていた。

「バレてる、完全に」うわ言のように言う。「キレてる、完璧に」

「韻を踏む余裕があるなら大丈夫っすよ」俺はそう応えたが、せやろか? と自問する声が聞こえたので、「まあでも」と意見を翻してみる。「一番最初に刺されるのは鍋屋さんかもしれませんね」

「だな、間違いない」楠本はうれしそうにうなずいた──サイコパスかな?

「そんなあ」

 鍋屋の嘆く声を笑うように、店内に流れるバラードは愛を歌っていた。



 家に帰ると黒い獣が出迎えた。ルナが玄関マットに寝そべっていたのだ。

 にゃー、と鳴くでもなくただ黙って見上げてくる。

「今日は『ムーンライト伝説』も歌ってきたぞ」

 と報告するように独りごち、靴を脱いで玄関マットの横に足を上げた。

 シャワーを浴びたりと寝支度を調え、ベッドに転がった。スマホをチェックすると、合コン女どもからLINEが来ていた。要約すると、〈今夜は楽しかった。ありがとう〉というようなことがメスメスしい文体で書かれているのは全員共通していたのだが、音海だけは、

『次は二人きりで遊ぼうね』

 と送ってきていた。

 暗い天井を見るともなく見ながら、音海の薬指を思い出す。遠目にはわからない程度だったが、たしかに日焼けの痕があった。ように俺には見えた。

 ただ、どうにも違和感がある。話してみた心証としては、あくまでも直感の域を出ないが、音海は浮気や不倫をするタイプには思えなかったのだ。

 ──いや、わからねえか、とその、世間知らずの生娘がしそうなお気楽な憶測を嗤った。人は真実を愛し、そしてそれ以上に嘘に愛されている。本人の意思がどうであれ、偽る。それが人だ。

 ──ま、いいや、どうでも。適当に流しとけば、関係はすぐに切れるだろう。深く考えるようなことでもない。

「ふわあ」俺は欠伸を一つ洩らし、『り』とだけ返した。

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