第5話 水の流れの行き着く先は

バシャ、と浸水した地面に降り立ち正面の獣を見据える。水色の瞳を見開き此方を睨み付け、その巨体と尾を揺らめかせる様は血肉に飢えた獣そのものだ。


「水で靴や服もびしゃびしゃだし…魔物を呼ばれても厄介だ。早々に倒させて貰うよ!」


フォン、と微かな音と共に護拳の中心部に紅い法玉を嵌めた剣を魔法で呼び出す。それを握り締め威嚇で正面に突き出して睨み返す。


何処かで時折、バチッバチッと何かが弾ける音。獣が踏み潰した噴水の回路が、ショートしてしまったのだろうか。


いや、今はそんなことよりも…!


『----ほう、"宝剣"を手にしたか』

「……は?」


突如聞こえた声に、我ながら素っ頓狂な声を上げて呆けてしまう。自分の状況も忘れ、辺りを見回してもザァァァ……と獣の下にある壊れた噴水から水が異様に溢れる音だけが響くのみだ。


つまりこの場にいるのは僕と……この、獣だけ。


「獣が…喋った?」

『む?あぁ…何だ、我の言葉を聞くのは初めてか。いや…今のお前は、知らないんだな』

「知ったようなことを…!」


獣から殺気というより、何処か愉快そうなものを感じて無性に腹が立った。自分の心の内を見透かされているようで、ざわつくのだ。


『まぁ良かろう…その剣とこの場にある宝玉、全ていただくだけだ』

「…分からないな、何でお前がこの剣を欲しがるのか。それに、宝玉って何さ。法玉と何が違うの?」

『フッ…お前は、その剣の宝玉が何処にでもある法玉と同じと思っていたのか?』


癪だけれど、その言葉に釣られて手元の剣に赤々と輝く法玉…と思っていた、宝玉に目を向ける。同時に、初めて宝玉の力を使った時のことを思い出す。


魔法…と呼ぶには、あまりにも激しい炎だったのは覚えている。けれどまさか、それがこんな理由だったなんて。


「待てよ…まさか、お前がここに来たのは!」

『ご明察。やっぱり、切れるようだな』


ベル家が家宝として守ってきた特別な法玉が、宝玉だったとしたら…!これが獣の手に渡れば、また新たな獣が生み出され魔物が溢れ返ることになる!


「誰がお前達を生み出した!何故宝玉がここにあると知っている!そして何故狙うんだ!」

『その質問に、答えてやる義理はないな』

「なら…お前の宝玉を奪った上で、調べさせてもらう!」

「ハーツ!私も戦うわ!」


ゴウッ…と剣に炎が立ち込め、向こうも牙を剥き出し見えない攻防の最中僕の隣にマガミがバシャ!と水を巻き上げて着地した。すぐさま小太刀を腰から抜き、二刀流に構える。


『お前は…そうか、あの時の…』

「!!その感じは…やはりあなたが…」

「姉さん…?こいつのこと、知ってるの?」

「……いいえ、きっと気のせいね。ごめんなさいハーツ」

『釣れないではないか…のぉ、』

「黙れ」


瞬間。正面に立つ獣どころか、隣で肩を並べる僕すらも石になったように体が強張ってしまう。

それ程までに、マガミが見せているとは思えない感情が消えた顔と底の見えない眼差しで獣を一喝してみせた。


「私とハーツはもう、平穏に暮らすのよ。この街で<剣士>として、普段はのどかに偶に魔物狩りで任務に出たりして…。その邪魔をするあなたは、ここで消すわ」

『く、はは…良かろう!ならば貴様ら纏めて殺してくれる!』


そして、突然戦闘は始まった。不意打ちの如く獣が口から高速の水を放つが、右手の小太刀を垂直に立て刃でギィィィィ!と甲高い金属音と共にそれを防ぐ。


二又に別れた水はマガミの左と右の僕とマガミの間を通り抜け、後ろの花壇に直撃。泥水が柱のように上がり、その威力を見せつける。


「姉さん!」


直撃は避けねば、そう念頭に置きつつ飛び出す。今回の獣は水を使う、炎の僕では相性が悪い。なので、『どの魔法も使える』マガミの援護に回ることにしたのだ。


『邪魔だ!』


ボン!と低く弾けるような音を響かせ、巨大な水の玉が眼前に迫る。


「せああああっ!」


炎を纏った剣---もしかしたら、これにも名前があるのかもしれない---を上段から両手で振り下ろすとジュワァッ!と水蒸気が炸裂した。


衝撃が強く後ろに僕は軽く吹き飛ばされたが、マガミはその腋から風のように走り獣へと肉薄する。


「はぁっ!」


小太刀を振り回すより滑らせるような太刀筋で、鋭い攻撃を十重二十重と矢継ぎ早に繰り出すマガミ。対して、獣も小回りが利かない巨体や剛腕を振り回しガギン!と小太刀を受け流したり隙を見て反撃を入れてくる。


「僕も行かなきゃ…!」


至近距離からの魔法なら、僕でもあいつに傷を付けてマガミが魔法を撃つ隙を作れるかもしれない!


そうして、一歩駆け出すために右足でジャブ…と足元を踏み締めた時だった。


バァン!!と足元で水が爆発したかのように弾け、その重さと勢いに思わず目を瞑って両腕を交差させてガードする。サアアア……と巻き上げられた水が飛沫となって降り注ぎ、目を開けると。


「な、あっ…!?」


僕はその体勢から指一本動かせないほど、下から突き出した無数の水の棘に隙間なく捕えられていた。一本一本が激流のように荒れており、触れればどうなるかは流されずとも分かるだろう。


「ハーツ!く、うぅっ!」


目にも止まらぬ攻防を繰り広げていたマガミも、水面から噴き出すように現れた幾多もの水流が鞭のようにしなりその両手両足を拘束してしまった。


マガミが風の魔法で吹き飛ばそうとするけれど、グン!と無理矢理引っ張られ手首を曲げることすら叶わない。


『落ちたものよな…この溢れている水は、我の持つ水の宝玉によるものだと気付かぬとは』


ズン、ズン…マガミの横を悠々と通り過ぎて徐々に僕の方へと近付いてくる。狙いは…

この宝玉と、剣か!


『その剣さえあれば、残りの宝玉集めも容易い…そして今度こそ『あの儀式』をやり遂げるのだ!』

「儀式、だって…?」


相変わらず何を言っているのか分からないが、間違いなくこれを奪われるのは取り返しのつかないことになるのは本能的に理解出来た。しかし、下手に動こうものなら体が…!


獣が目前に迫り、万事休すかと目を伏せる。でも、僕は忘れていた。此処が…何処であるかということを。


「私達を!」

「忘れないでください!」

『何ッ?グアッ!!』


ズガァン!!と雷鳴が響き、獣が左へ大きく吹き飛ぶ。


反対を見ると、リーンとリーシャが左手と右手を突き出した姿勢で堂々と立っていた。集中力が乱れたか、僕とマガミを拘束していた棘と鞭が泡沫のように霧散する。


バチバチっ…と余韻のように2人の手で迸る雷に、既視感を感じて暫し逡巡。そして間もなく辿り着く。


最初に獣は、何故噴水の上に降り立ったのか。何故その足元から火花のように雷が瞬いていたのか。


「姉さん、宝玉は噴水の下だ!そっちをお願い!」

「!分かったわ、ハーツ!」

『さ、せるかァ!』

「リーン、リーシャ!力を貸して!」

「勿論!」「はいです!」


同時に頷いたリーン達は、あっという間に僕に並び散開して3人で獣を取り囲む。リーンとリーシャの武器は鉄扇、リーチの関係上今度は僕が前に出て2人を守る番だ。


邪魔だと振り下ろされた凶爪を左半身を引きつつ前進して回避、続く反対の爪の薙ぎ払いはリーシャの絶妙な雷魔法で弾かれる。目線を交わすと、リーシャは優しく微笑み返してくれた。


「何をしようとしてるのか!」


体重を乗せて下から思い切り獣の腹へと剣を突き刺す。ズンッ!!と鈍い手応えと共に深く刺さると、剣の宝玉が眩く煌めき、呼応するように奴の喉が青く鮮明に光り出した。


『小賢しいッ…!』

「僕には分からないけれど!」


僕の背後から3本の水の槍が、頭と心臓にお腹と致命傷を狙って飛来する。けれど、ギギギン!とリーンの振るった鉄扇に全て撃ち落とされ飛沫一つ届かない。


刹那、目が合ったリーンはいつものように可愛い元気な笑顔を見せる。素早く頷き剣を引き抜いて距離を取り、叫ぶ。


「ハーツ!これを!」

「!」


マガミが叫び僕に黄玉に煌めく何かを放り投げる。あれは…雷の宝玉!やっぱり、あの噴水の下に隠されていたんだ!


雷の宝玉を嵌めるために、剣から炎の宝玉を外す。しかしその隙を見逃す獣ではなかった。


『我の物を、粗末に扱うなァッ!』


その巨体の何処に秘められているのか、かつてない瞬発力でその宝玉へ身を翻し大口を開けて食らおうとする。


「あなたのものでは、ないでしょうが!」


何と、マガミがその小太刀を二振りとも投げた。一本はトッ、と柄の部分が宝玉にぶつかりその挙動を逸らし。一本はザシュ!と垂直に獣の上顎に深々と刺さった。


『GYAOOOOO!!』


ズゥゥン…と地響きを起こして落下した獣は、激痛が走るのかその場でのたうち回る。


「ハーツ兄、お願いします!」


宝玉は軽やかに飛び上がったリーシャの手に渡り、月よりも眩い金色の髪を靡かせ再度此方に投げられる。正確に飛んできた宝玉が、ついにこの手に…!


『ッ、舐め…るなァァァ!!』


ガガガガガ…!獣から出鱈目に迫り来る剣山のような水棘に、思わず宝玉を諦めて横に飛び退くしかない。


「……決めちゃって、旦那様!」


鮮やかにその隙間を縫って宝玉を受け止めたリーンが、月よりも美しい金色の髪を広げて僕に投げた。パシッ、と今度こそ受け取り剣に宝玉を嵌めて構える。


「僕は…皆を守る!この剣と、心に誓って!」


バリバリバリッ!!と劈くような轟音と共に剣に雷鳴が迸る。獣が刺さった小太刀を振り落とし、血走った目を向けたまま僕へ爪と牙を突き立てようとする。


左手を上げ、その脇に剣を滑らせ前のめりに。雷の音、自分の呼吸、獣が空気を割く音。それら全てが遠のいていき…。


炎の爆ぜる音、水の溢れる音、雷の弾ける音が僕の中で一つになり浮かび上がった『その名を』叫んだ。


「≪月雷の一閃ボルテック•スラッシュ≫!」


----決着は、一瞬だった。


一文字に振り抜いた僕の剣は、獣の口から尻尾までを寸分の狂いなく切り裂いた。パシャリ、と静かに落ちた水色の宝玉…これが水の宝玉なのだろう。


獣の巨体が闇夜に消えていく中、足元に広がっていた水も音もなく何処かへと引いていった。フゥ、と一息吐いて宝玉を手に取る。


『……今暫くは、貴様に預けてやる』

「っ!」


手に握った瞬間、頭の中にあの獣の声が響いた。これは、紛れもなく本物の声。


『だが、貴様は知るだろう。己の運命と…己の、哀れな末路をな。ハハハ…また、近い内に食らってやろう…』

「おい、待って…!」


どれだけ必死に繋ぎ止めようとしても、その声は掴む指をすり抜け完全に姿を消してしまった。


……僕の運命、僕の末路。そして…『奴』はまだ生きていて、宝玉を探す限り嫌でも巡り会うだろう。


「このまま、宝玉を探しても良いのかな…」


『儀式』とやらの全貌も、マガミや僕を知っているようなあの口振りも、魔物騒動の行く末も。何一つ見えないというのに、雲一つない夜空と仲間の表情は何処までも晴れやかだった。

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