第2話 登場人物

 約束の日、私は予定していた時間よりも1時間以上早く到着していた。


 招待に預かったのは夏目蝶十郎の別荘兼仕事場のコテージで、それは長野県の安曇野にある別荘地帯にあった。このあたりは自然豊かな場所で、交通の便はさほど良くはない。

 車は泥をまとい、舗装されていない道を行く私は、ここまで来てしまったことを少し後悔していた。


 時刻は朝9時。少し早いけれど車の中で待つのもなんなので、私は意を決してインターフォンを鳴らした。


 時間厳守を好む夏目氏の機嫌を損ねないかと心配したが、意外にもすんなりと扉は開き、穏やかで若く美しい女性が笑顔で出迎えてくれた。


「早くついてしまって…申し訳ございません。水谷です」

「水谷さまですね? 夏目から聞いております。遠いところありがとうございます。さぁ、寒いですから中へどうぞ」


 私は彼女に言われるまま、屋敷の中へ足を踏み入れた。


 それにしても彼女はとても美しい女性だった。私はなぜこのような女性が夏目氏の妻になったのか興味が湧いてきた。

 彼の才能に惚れたのか、それとも遺産目当てか? 推理小説マニアとしては、非常に興味をそそられる。


 私が脱いだコートを彼女に渡すと、「こちらへ」と、暖炉の側に案内された。


「今、温かいものを用意させますね」

「ありがとうございます。あれ? 先生はまだですか?」


 部屋を見渡しても、今ここにいるのは私と彼女だけな事に違和感を覚える。


「昨夜執筆で遅かった様で、そろそろ起きてこられるかと」

「そうでしたか。朝早く到着して申し訳ない」


 いえいえ、と彼女は言い、家政婦と思われる女性に何やら話しかけていた。私のドリンクの事だろうか?


「水谷さま、ご朝食は? 夏目のものと一緒に準備をいたしましょう」

「あ、お構い無く。行きのドライブウェイで食べましたので」


 そんな会話をしていると、廊下へと続く扉がガシャッと音を立てた。


「あ、おはようございます」

「麗香さん、おはよう」


 扉から顔を出したのは、私と同じくらいの年齢のもったりした男性だった。シャツにネクタイ、その上から暖かそうなセーターを着込んでいる。髪はモジャモジャ、黒淵のメガネが印象に残る、インテリ野郎と言ったところだろうか。左手に指輪をしているから既婚者なのだろう。


 先生には最初の妻との間にお子さんがいると聞いたことがあるが…。


「風吹さん、こちら夏目のご友人の水谷さま」

「ご友人…」


 風吹と紹介された男の目が私を値踏みする。あからさまな態度に、あまりいい気分はしない。


「あ、失礼。僕は先生の編集担当を勤めさせてもらっている風吹 涼太と言います。今夜は新作を頂けると言うことでね、お邪魔しているのですよ」


 君は? という言葉が聞こえてくる気がする。


「そうでしたか。先生の新作が読めるのは嬉しいですね。私は、先生の誕生日のお祝いと言うことでお邪魔した次第です」


 ふ~ん。と私の言葉など興味なさげに風吹はソファーに座り込む。いけすかない野郎だ。


「そろそろ夏目を起こして参りますね」


 麗香さんがしなやかな動作で部屋を出ていくと、代わりに小さな男の子と先程の家政婦さんが現れた。彼女は私にコーヒーを用意しながら、風吹に丁寧に話しかける。


「風吹さまもコーヒーでよろしいでしょうか?」

「いや、坊っちゃんと同じものを頂こうかな」


 坊っちゃんと呼ばれた子は5歳か6歳といったところだろうか? 子どものいない私にはよくわからないが、黒のサスペンダー付の短パンに白シャツ、白のハイソックスを履いている。いかにも金持ちの坊っちゃんスタイルでソファーに腰かけている。


「はじめまして。お名前は? 私は水谷 恭一郎と言います。よろしく」


 最高の笑顔で話しかけるも、少年は前をジーっと見つめ一言もしゃべらない。


「無駄ですよ。彼は何も話さない」

「え? 耳が不自由とか?」

「いや、聞こえているようですがね。麗香さん以外に心を開かないというか…私もこうしてご一緒する機会がありますがね、この様です」


 家政婦がホットココアを風吹と少年の前に置く。


「お坊っちゃま、水谷さまですよ。ご挨拶をなさってはいかがですか?」


 家政婦の声が聞こえたのだろう。少年はチラッとこちらを見て瞬きをした。


―― なんだ? この生気のない瞳は…。


 私がそんな事を考えている時だった。廊下からパタパタと小走りに走ってくる足音が聞こえた。


「幸枝さん、何かが変なのです。一緒に来ていただけますか?」

「奥さま?」


 麗香さんは怯えた顔で私たちの顔をみわたす。


「部屋の中から応答がなくて…。こんなこと初めてで、どうすればいいのか」

「眠ってらっしゃるのでは?」

「いえ、いつも眠りは浅いので、すぐに気づくはずなのです」


「行ってみましょう」


 嫌な予感がする。


 夏目蝶十郎という男は時間にうるさく几帳面な男だ。私との約束の時間までには身なりも整えて現れるはず。その男が部屋から出てこない?


 少年を残し、私たちは2階の夏目氏の部屋へ向かった。


 ドンドン! ドンドン!


「先生? 風吹です。水谷さんもいらしてますよ。先生?」


 中に人がいる気配すら感じない。


「旦那さま? 入りますよ?」


 麗香さんがドアノブに手をかける。


「鍵が…」


 どうやら鍵が掛かっている様だ。麗香さんは不安顔で家政婦の幸枝さんを探す。


「奥さま、合鍵もないのでございます」


 後から駆けつけた幸枝さんが心配そうに首を振り、そう告げた。

 その場にいる誰もが推理小説のような最悪な場面を思い描く。


「水谷さん、やりましょう。せーのでいきますよ」


 私は言葉なく頷いた。我々でドアを蹴破るのだ。人生一度はやってみたいことの一つだったが、まさかこんなところで叶うとは思ってもいなかった。


「せーの!」

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