第3話 夕暉のホットミルクと雪どけフォンダンショコラ(4)

***


 ティーサロン・フォスフォレッセンス。その閉店後に満ちる沈黙は月の色にひんやりと染められ、忍び込んでくる百合の芳香はますます豊かになる。

 そんな中、デュボワは今日の代金が置かれたカルトンを丁寧に持ち上げた。


「おや、本日のお支払いは二輪ですか?」


 急に現れて言うセノイに、デュボワが振り返って微笑む。


「ええ、どちらもかわいらしいでしょう。通常の大きさの百合と、少し小さめの」


「あの女性は、となりえたのに」


 赤い炎を揺らめかせるセノイの瞳が、無慈悲にデュボワを射た。話を遮られる格好になった老執事だが、それでも微笑を絶やさない。


「生田様、ミルキーウェイソースをことのほかお気に召したようでしたよ。セノイに感謝の言葉を言付かりました」


「ミルキーウェイ、女神ヘラの乳が夜空にこぼれてできた乳の道。彼女は確か、結婚と出産の神でしたね」


 してやられた、とでも言いたげな顔つきのセノイに、デュボワはおどけて目を丸くする。


「おっと、私があなたにオーダーを押しつけたとでも? 当店のコンセプトを忘れたわけではありませんよね? ティーサロン・フォスフォレッセンスでは、お客様の心の奥深くに眠るメニューをご提供する……つまり」


「わかっていますよ。私がお出しできるのは、お客様が望まれたメニューだけです」


 やれやれ、と両手を天に向けるセノイだったが、その様子はどこか楽しそうだった。まるで、気心の知れた友とじゃれ合うようかのように。

 切れ長の赤い瞳が、窓の月明かりを受けてきらりと光る。


「まあ、かまいませんよ。私はあなたのことをなかなか好きですから」


 それを聞いたデュボワの青い瞳は、和やかに細められた。


「奇遇ですね。私もあなたが思うより、あなたのことを好きなようです」


 セノイが右目の涙ぼくろをこすりながら、声を上げて笑う。同時に左の背の片翼から、数枚の羽根が舞った。


「どうです、デュボワ? 両思いの記念に、ワインで乾杯するというのは」


「名案です。大魔女ステラが開店記念にと置いていった、年代物の赤ワインを開けましょう」


 キッチン奥のワインセラーから一本持ってきたデュボワが、グラスに注ぎながらひとり、思い出したように笑う。


「『私はあなたのことをなかなか好き』ですか。この台詞、二夜目にいらっしゃった為家様が聞いたら、さぞお怒りになるでしょうね」


 セノイが華奢な体をぶるっと震わせて言う。


「冗談じゃありません! ……まあ、パワフルな方は嫌いではありませんが」


「さっそく浮気ですか? 妬けますね」


「デュボワ、あなた冗談がうまくなりましたね」


 セノイはそう笑うと、グラスを掲げた。


「リリス様のために」


 デュボワが応える。


百合ゆりしゅ計画の成功を願って」


 月光の中、ふたりは掲げたグラスを挟んで微笑み合った。



~第3話 夕暉のホットミルクと雪どけフォンダンショコラ Fin.~

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