第35話 少女たちは失われた四季に咲く②
僕らは線路の上を歩いて、そのまま駅へと向かった。駅はところどころ屋根が崩落している箇所があったが、元々の作りが頑丈なのか概ね元の姿を保っていて、僕らはそこで朝を待つことにした。時刻は日付を変わったところだった。
比較的外気との接触が少ない改札ゲートの近くに、萩原アカネが持参したレジャーシートを敷いて腰を下ろす。辺りは吹き込んだ土埃や動物の糞で汚れていて、お世辞にも綺麗とはいえなかったが、腰を下ろすとドッと疲労感が襲ってきた。円陣を組むように全員が座り、揃って一息吐いたところで――
ぎゅるるるる、と誰かの腹の虫がなった。
これまた揃って、音の方を見る。
音の発生源――椿カナデは盛大な空腹を訴えたお腹を両手で押さえ、顔を真っ赤にしていた。
「そういえば夕飯、食べてなかったね。……昼食は?」
尋ねると、彼女は首を横に振る。朝に家を出たきり、昼は学校にも顔を出していない。補導もされないように図書館付近に籠もっていたということを考えれば、朝ご飯以降何も食べていないのは、すぐに分かることでもあった。
食べ物、と考えた時だった。
「心配ご無用なのです!」
夜桜カレンが、大きなリュックの中から何かを取り出す。
それはプラスチック製の平たい長方形の箱だった。角が取れており、蓋が付いている。
「じゃじゃーん! こんな時のために、カレンちゃんはお弁当を持ってきたのです~!」
両手を添えた弁当を顔の傍に持ってきて、にっかり笑う。
誰も彼もが、白い目を向け、
「……デリバリーのチルド弁当じゃん」
萩原アカネがぼそりと呟いた。
「あー! 今デリバリーを馬鹿にしましたね!? 最近のチルドは――」
と言って、デリバリー弁当について熱弁を始める。
若干引き気味の萩原アカネに、夜桜カレンを宥める椿カナデ。
なんか既視感のあるやりとりだなぁとその光景を眺めていると、ふと百合野トオルと目が合った。同じ事を考えていたのだろう。僕らは溜らず、噴き出してしまう。声を出して笑っていると、椿カナデは首を傾げて、萩原アカネは怨めしそうに半眼で、夜桜カレンは熱弁の途中でぽかんと口を開けたまま、僕らを見た。
そうしているうちに、シェルターの天井に空いた穴から雨が降ってきた。
叩き付けるような土砂降りの雨は一層の冷気を呼び、這い寄るそれから逃れるように僕らは身を寄せてデリバリー弁当を食べた。それからデザート代わりに、これも夜桜カレンが持ってきたお菓子を食べた。いつだったか僕がもらったのと同じ、チョコ付きプレッツェルの極細だった。他にも袋菓子があったが、それは後の楽しみにとっておくことで合意した。
お腹が満たされたところで、僕らは眠ることにした。普段遠出なんてしない僕らは、歩き疲れてへとへとだった。僕が真ん中で横になり、その隣に夜桜カレンと椿カナデ、更にその外側に百合野トオルと萩原アカネがくっついた。
「アンタ、変なことするなよ」
薄明かりの中、百合野トオルの声が飛んでくる。周囲にはさほど大きくないが動物の足跡もあったことから、完全に消灯すると野生動物が近寄って来るかもしれないということで、ライトを一本、光を絞らず床に立ててあった。
「したら殴るわ」
「キミはそんなことしませんよ。ね~?」
椿カナデと夜桜カレンが、寒さから逃れるように僕の腕にしがみつく。
僕は少し考え、首を傾げた。
「変なこと……?」
その一言に、静寂が辺りを満たすこと、数秒。
「……まぁ、アンタはそういうやつだよな」
「鈍感男」
百合野トオルは盛大な溜息を吐き出し、萩原アカネからは多分侮辱と思われる言葉が飛んでくる。しかし何が鈍感で、鈍感の何がいけないのか僕には分からなかった。
雨は弱まり、しとしとと湿った音が耳を撫でる。
くぅくぅと、誰かの寝息が聞こえた。
「……雪になったり、しないのかな」
ぽつりと呟く。声は枯れ蔦の這った天井に跳ね返って、消えた。
僕は静かに目を閉じる。
「おやすみ」
帰ってくる声は、なかった。
――翌朝。身も凍るような寒さで、僕は目を覚ました。
腕をさすりながら身を起こす。左側には、ぴったりと身体を寄せてくる椿カナデの姿があった。じんわりと体温が伝わってくる。
と、ふと右側が寒々しいことに気付く。
振り返ったそこに、夜桜カレンの姿はなかった。
目を覚ました百合野トオルが、大あくびをしながら起き上がる。駅の外から悲鳴が聞こえたのは、その時だった。
「カレン!?」
百合野トオルが弾かれたように走り出す。萩原アカネが不機嫌そうに目を覚ますのを横目に、僕も駆け出した。積もった埃を舞い上げながら一直線に駅の入り口を目指す。そして――
「見てください、ほら! 昨日降った雨が氷になってます!」
雨は上がっていた。薄い靄が、立ちこめていた。
草木の枝葉についた雨が霜と化し、朝日を浴びて星のように瞬く中、両手を広げて躍るようにくるりとその場で回って――
夜桜カレンが、笑っていた。
足下に出来た大きな水溜まり。その表面に貼った氷の上で楽しそうに飛び跳ねて、歓声を上げる。氷は随分と分厚いのか、彼女が跳んだり思いっきり踏みつけたりしてもびくともしない。
そんな夜桜カレンを百合野トオルは唖然と眺め、それから大きく嘆息した。呆れているようにも、安堵しているようにも見えた。
「朝っぱらから何ぃ……?」
眠たそうな声を上げながら萩原アカネと、彼女に手を引かれ椿カナデもやってくる。椿カナデはまだ半分夢の中なのか、眠たそうに目をこすっていた。
「あっ、みんなおはようなのです! 見てください! 水たまりに分厚い氷が張って――うきゃ!」
氷を割ろうとしているのだろうか。思いっきり氷を踏みつけ、しかし瞬間、その踵がつるりと氷の表面を滑った。バランスを崩した夜桜カレンは、足を上げて盛大に尻餅をつく。さすがにその衝撃には耐えきれなかったのか、氷の表面に罅が入った。
「何やってんだ、ったく……」
と言って百合野トオルが手を差し出し、その手を掴んだ夜桜カレンが「面目ないです」と。
「うわっ!?」
苦笑から一転。満面の笑みで百合野トオルの手を引っ張った。氷の上で踏ん張りが利かなかった百合野トオルは、当然、夜桜カレンに折り重なるように倒れ込む。
見上げてくる恨みがましい視線を浴びながら、夜桜カレンはにま~と笑った。
「カ~レ~ン~?」
恨みがましい声が響いて、夜桜カレンは一層笑い声を上げた。有人となったシェルターに、楽しげな声が響く。
「アカネちゃんも! カナデちゃんも!」
「嫌だからね、あたし。なんでわざわざ自分から転びにいかなきゃいけないの」
一緒に転びましょうと言わんばかりに手を差し出す夜桜カレンを、萩原アカネは一蹴する。
「え~? 氷、すごくひんやりしてますよ?」
「ひんやりじゃないのよ、ひんやりじゃ。これだけ寒いのに一層寒くなるじゃない」
頭痛が痛いとばかりに額を抑えて頭を振る椿カナデ。
そんな四人を見て、僕はくすりと笑みを零す。
「朝ご飯、食べようか」
そうして僕らの、まだ見ぬ一日は始まる。
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