第31話 全ては成功のため②

 日々はあっという間に流れていった。

 冬休みが明ければ、まもなく受験本番がやってくる。


 かつては学校別の入学試験があったらしいが、少子化の煽りを受けて、とうに廃止されている。希望大学に入学するためには、一月の第三土曜・日曜を費やして行われる共通試験で、各大学にあった科目を受験し、椅子取りゲームに勝てるだけの点数を取らなくてはいけない。


 文字通りの一発勝負。

 その勝負を左右する冬休みに入る直前、僕は尋ねた。


「その人生の成功って何?」


 その日の特別日程――全校集会とホームルームを終えた僕と椿カナデは、相変わらず図書館にいた。


「良い大学に入って、言い会社に就職することよ」


 齧り付くようにノートに向き合ったまま、彼女は回答した。相変わらず、迷いは見えなかった。


「恋愛とか結婚とか言わないんだね」


 僕は夜桜カレンを思い浮かべた。彼女は素敵な恋をして、結婚をして、幸せな家庭を築くのが夢なのだと語っていた。

 けれど椿カナデは、切れ味鋭くそれを否定した。


「そんな相手に依存するようなこと、人生設計に組み込まないわ」


 僕らの会話は、基本的に勉強の片手間で行われる。僕は彼女を見ないし、彼女は僕を見ない。


「良い人と出会って、何もかも順風満帆にいけばそれが一番良いのでしょうけど。そんな不確定なことを前提に人生設計するなんて、私なら考えられないわ」


 ペンを握る彼女の手が動く。しばらく間があった。


「その結婚だって、良い会社に入って良い仕事に就いた方が、良い人と結ばれる確率は高くなると思うわ。生きていく上でお金はいくらあったって困らないし、近しい価値観の人と出会うのは大切でしょう?」


 それからおもむろにペンを置いて、ゆるりと背もたれに体重を預けた。けれど視線は、手元のノートに落とされたままだった。胡乱げな目の下には薄らと隈ができていた。


「私、人生にはステージがあると思ってるの」

「ステージ?」

「そう。例えば会社でも、入社したての新入社員と、多くの社員を取りまとめる管理職では見てるものが違うでしょ。偏差値三十の人と、偏差値六十の人では取り組む勉強範囲が違うように。見てるものが違えば、必然考えや価値観は変わってくる。……私は、そう教えられたわ」


 誰に、とは聞かなかった。

 聞かずともなんとなく想像がついた。


「ステージが違う人と生きていかなきゃいけないというのは、不幸だわ。だって価値観が違えば、同じ日本語を話しているのに言葉だって通じなくなるもの」


 必要なのは恋や愛ではなく、お金と価値観。

 僕は唐突に、かつて夜桜カレンが夢を語った際、胸中で巡らせた思考を思い出した。


 幸せな家庭を築くために必要なのはお金ではないかと、半年以上も前の僕は思った。お金は力であり、選択肢だと。

 今もその考えは大きく変わっていない。

 ――それが全てではないとも、思うけれど。


 椿カナデは再びペンを取った。それから少し猫背気味に、ノートに向き合う。


「つらくはない?」


 気付いたら僕は、そう尋ねていた。

 何が、何に対して。

 我ながら謎の質問だった。

 けれど彼女には、分かっているようだった。


「なぜ?」


 問い返す。


「人生の成功のためなのに?」


 どうしても、そこに迷いはなかった。


「要らないのよ、全部」


 ぽつり、呟く。

 眠たげな目で消しかすの散ったノートを見ながら、ペンダコの出来た自分の指を見つめながら、まるで誰かに、言い聞かせるように。


「ゲームも恋愛も、人生には不要よ」


 その言葉が、彼女の全てのような気がした。


 僕は何も言わなかった。

 彼女の人生は、彼女のものだ。

 椿カナデの顔色は、日に日に悪くなっていった。


   *


 クリスマスが過ぎ、年が明け、冬休みが終わり、瞬く間にやって来た一月の第三土曜日――受験日一日目の朝。僕ら受験生は冬らしくない空気の中、いつものように学校へと足を運んだ。


 受験自体は実に簡単な物で、大学受験を取りまとめる大学入試センターから各自の家に送られた受験用の端末で問題を解いていくだけだ。端末は規定時間になれば起動し、回答以外の操作は全て自動で行われる。起動中の周辺環境や音声、加えて端末の操作履歴は全て記録され、AIによる解析にかけられる。おかしな挙動やデータがあれば、不正と見なされる。一発アウトだ。


 そのため、受験会場というものは厳密には存在しない。しかし小さな兄弟がいたりペットを飼っていたりなど、各家庭の事情で十分な試験環境と時間を確保できない生徒のために、学校の方で受験場所を提供するのが通例だった。


「それじゃあ頑張りましょう」

「お互いに」


 廊下で鉢合わせた僕と椿カナデは、挨拶代わりの激励を交わして、それぞれ予約順に指定された教室へ入っていく。閉め切った室内は空調が効いていて、既に数人の生徒がいた。僕は指定された席に鞄を降ろす。窓際の、一番前の席だった。


 外を見る。今日も天井は変わらず、青空が映し出されていた。

 この時期、大昔はこの地域でもよく雪が降ったのだという。


 交通機関の麻痺に、スリップ事故。北陸や東北地方など大雪と共に在った地域とは違い、雪慣れしていないこの辺りでは、雪が降る度に混乱が相次いだという。それが受験日と重なることも少なくなかったらしい。


 身も凍えるような雪の中、遠く、見知らぬ土地の受験会場まで行かなくてはならない。

 その労力は一体どれほどのものだったのだろうと、僕は漠然と考える。


 僕らは雪を知らない。

 多分この先、一生知ることもない。

 汚れのないその白さも、綿のようだという触り心地も、身体を芯まで凍らせるような冷たさも。

 雪を降らせる雨雲もなければ、雨を氷の結晶に変えるだけの冷気も、シェルターの中にはないのだから。


 僕は作り物の空を見るのをやめて、席に着く。机の上に手の平ほどのカード状の端末を置き、時間が来るのを待つ。程なくして机上にホロディスプレイが浮かび上がり、試験が始まった。


 土日を終えれば結果はセンターのサーバーに送られ、機械的に採点される。多少の人の目を介してチェックが行われた後に、合否結果が受験者に通知。一週間後には、ここにいる全員の行く末が決まっている。

 大して変わらないその行く末を決めるために、僕らは椅子取りゲームに殉ずる。


 僕らは誰も知らない。照りつけるような夏の日差しも、吐息を白くする冬の寒さも、草木の芽吹く春の香りも、次第に色づいていく秋の木々も。

 変わらない。何も。

 僕らはみんな、同じだ。

 同じだ。



 ――一週間後。



 意外なことに、僕は第三志望の大学に合格していた。

 椿カナデは、受からなかった。

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