第21話 不和の秋④
彼女と再会したのはその日の夕方だった。
「あ」
駅直結ビル内のハンバーガーショップに立ち寄った僕は、隅の客席に座る萩原アカネを見つけ思わず声を零した。フライドポテトを食べながら、ホロディスプレイを操作している。しかしその顔は剣呑で、立ち止まった僕に気付き細められた目は、訝しげだった。
「なに?」
「いや、隣良いかなと思って」
夕時の店内は放課後の小腹を満たすための学生や、早めの夕飯を取る人々で混み合っていた。
彼女は隣の空席を一瞥し、すぐに画面に視線を戻す。
「空いてるんだからいいんでしょ」
「ありがと」
僕は隣の席の通路側に座る。丁度彼女の対角になる位置だ。
「あの……」
「話しかけないで」
ぴしゃりと言い渡され、僕は口を噤む。しかし、言い方を間違えたと思ったのだろうか。
「今ゲームで忙しいから、ちょっと待って」
言い直して、彼女は画面に没入していった。その顔は真剣そのもので、僕はそれ以上声を掛けず、バーガーの包みを外して齧り始めた。
数分後、バーガーを食べ終わり、アイスコーヒー片手にポテトを咀嚼していると、やがて彼女が「ふぅ」と息を吐いてソファの背もたれに身を預けた。どうやら、一区切り着いたらしい。
「……あんたもこういうところ来るんだね」
少し気の抜けた呟きに、僕は「たまにね」と応えた。
「夕飯代わりに。家でチルドや冷食ばかりも飽きるから」
「ふーん」
さしたる興味もなさそうに彼女は応じた。
「萩原さんは?」
「バイト。ここでしてるの。これから。厨房スタッフ。その前に腹ごしらえ」
「……忙しいの?」
「シフト入れられる日は入れてる」
僕は驚いた。顔には出てなかったかもしれないが。
僕が認識している限りで、彼女はどの部活にも所属していないし、生徒会に入っているわけでも、椿カナデのように役職についているわけでもない。つまり僕と同じくほぼ全日、バイトが可能ということになる。
それだけの仕事量だ。店側も彼女を戦力として店を回している。急に学校の用事でしばらく働けないなんてことになったら、店側も随分と困るだろう。
「ゲームのため?」
「そう」
彼女は迷いなく頷いた。力のない手つきで、ホロディスプレイを操作している。
ポテトも食べ終わり、僕は残るアイスコーヒーを啜った。大人曰く、昔と違って豆の輸入が難しくなり、国産豆の栽培も難しい気候になってしまってからコーヒーは『不味くなった』らしいが、生まれてこの方、そんなコーヒーしか知らない僕は一体何が不味いのか分からない。
そんな不味いコーヒーを味わいながら、僕は口を開く。
「ゲーム、好きなんだね。前も思ったけど。プロ志望?」
「はあ?」
どうやらかける言葉を間違えたらしい。不愉快そうに眉をしかめて、彼女が素っ頓狂な声を上げる。
「何言ってんの? ゲームやってる人が全員プロ目指すわけないでしょ?」
そう言って彼女も、自身のトレイの上に散らばっていた残りのポテトをパクパクと食べていく。まるで掃除機のようにポテトが口に吸い込まれていく。
「……ごめん」
僕は謝った。
「別に。怒ってない」
彼女はそう言って、けれど直後。
「……ごめん。怒ってる。八つ当たりした」
やはり言い直して、彼女はコールドドリンクを啜った。しかしまもなくしてプラスチックカップの中身が氷だけになり、ずずずずと未練がましい音が鳴る。彼女が諦めてカップを置くのを待って、僕は少しだけ躊躇いながら再度口を開いた。
「何かあったの?」
その問いに、萩原アカネはぐっと押し黙った。拒絶しているようにも、迷っているようにも見えた。しかしやがてホロディスプレイを手早く操作し、複製した画面を僕のリストデバイスに投げて寄越す。
「これ」
見せられたのは、ある人気のオープンSNSアプリの画面だった。僕もほとんど使っていないが、随分と前に進藤と小林に勧められて登録だけはしたため、画面の見方はなんとなく分かる。そこにはいくつもの匿名のメッセージが時系列に並べられていた。眺めている間にも上部には新規投稿を報せるメッセージが断続的に表示され続ける。随分と発言が活発な場所らしい。チャットのような雰囲気がある。
だが僕が気になったのは、萩原アカネがあえて表示させてきた過去投稿だった。それらを読んで、僕は咄嗟に眉をしかめそうになる。
ぴょこ > はい推し来た。回すぞ~
アズ > 神モデリング。天井します。
リン > 完凸余裕
ガチャにはたとえ自引きできなくとも、一定の金額を投じれば確実に欲しいものが手に入る『天井』というシステムを設けることが、法的に定められている。だがその額については各ゲームに一任されており、決して安くはない。彼女のやっているゲームに関しても、以前ガチャ画面を見せてみせてもらった通り、一介の高校生がぽんと出せる額ではない。
しかし彼女の見ているSNSには、『課金して当然。入手して当然』。そんな意味を孕んだ端的なメッセージが並んでいる。既定の絵文字やスタンプも投稿できるはずだが、それらが一切ないところが逆にそれらのメッセージの印象を強めていた。
「これ……ゲームしてる人には当たり前なの?」
「さぁ」
と彼女は他人事のように言った。
「高いか安いかは人それぞれだし、当たり前じゃない人もいるんじゃない。でもあたしが仲良くしてる人っていうか界隈というか……クラスタだと、みんな普通に課金するし天井もする。普通なの」
違う世界の話すぎて、僕には実感が湧かなかった。
けれどなんとなく、感じた。
「……そう言うってことは、君は『安くない、当たり前じゃない』と思ってるってこと、だよね」
こわごわと発せられた僕の指摘に、萩原アカネは口を噤んだ。半ば反射的のようだった。
そこでやめておけばいいのに、何故かこの時の僕は、やけに饒舌で。
「そこまでして手に入れなきゃいけないものなの?」
気付けば僕は、そう尋ねていた。
「いけないの」
間髪入れず返ってきた答えは、微かな揺らぎを伴っていた。
萩原アカネは、たどたどしく語る。
「そりゃ個人プレイのゲームだけど……ランキングだってあるし、新キャラ持ってたらみんなから一目置かれるし、良い気分になれるし、ていうか入手が当たり前だし」
「でも安くないんでしょ?」
「安くないけど……手に入れたらみんなおめでとうって言ってくれるし、ワイワイ盛り上がるし。それに負け組って見られたくない」
「負け組って……」
「そういうもんなの。持ってないとマウント取られるの。女はそういうので、何かとマウントがあるの」
僕は思わず言葉を失った。
確かに、女生と男性でコミュニケーション方法に差があるのは僕も理解している。男性社会の中にも、心理的マウントというものが存在しないわけでもない。
けれどそのために――マウントや話題のために、必死に働いたお金をつぎ込む。それも、好きであるはずのゲームに。それはなんだか、道理がチグハグな気がした。
「……いいじゃん。楽しいんだから」
いつの間にか僕のコーヒーは底をついていた。透明な氷の間に残った茶色の液体が、そこにコーヒーがあったことの唯一の証明だった。
「でもそれはSNSの中の話でしょ?」
「楽しいにリアルもネットもないでしょ」
それは、そうだけれど。
僕は迷った。迷った末に言ってしまった。
「君はゲームを楽しみたいの? 交流を楽しみたいの?」
ゲームそのものを楽しみたいのか、ゲームをコミュニケーションの手段として交流を楽しみたいのか。彼女の本分がどちらにあるのか、僕には分からなくて。
けれどそれが、彼女の触れてはいけないところに触れたらしい。
「それが普通なの!」
悲鳴にも似た叫びに、僕はびくりと肩を跳ねさせた。あまり大きくはなかったが、その声に周囲の客の視線がにわかに僕らに集中する。けれどあまりじろじろ見るのもまずいと思ったのか、視線はすぐに霧散する。
彼女は俯いて、言葉を絞り出した。
「どっちだっていいじゃない。そういうもんなの。それが普通なの。あたしは普通でいたいの」
僕は何も言えなかった。
彼女は言った。
「あたしは〈四季〉なんかじゃない」
そう、はっきりと。
そうして逃げるようにホロディスプレイを見て、半ば手癖だったのだろう。最新の投稿を確認して――彼女の動きが止まった。
まるで時が止まったように硬直する萩原アカネ。その中で表情だけが、時の経過を現すようにみるみる曇っていく。
複製されたままだった画面をつられるように見て、そして僕もまた固まった。
リン > 今日学校で文化祭の出し物決めがあったんだけど、一人空気読めないのがいて最悪。〈四季〉だからって調子に乗ってんじゃねーぞ、クズ
感情のままに書き綴られた文章。広大なインターネットの海で、あり得るはずのない邂逅。
それはクラスメイトの誰かが書き込んだ、萩原アカネの悪口だった。
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