第20話 不和の秋③
結局あの後、僕らは言葉を交わすことなく駅の改札で別れた。それ以来、彼女が話しかけてくることはない。
「では多数決の結果、出し物は模擬喫茶で決定いたします」
教室にクラス委員長・椿カナデの冷たい声が響き渡る。ざわついていた室内は、それだけで水を打ったように静まり返る。教室の正面に設置されている強大な白いスクリーンの前には、一枚のホロディスプレイ。アンケートの集計結果を示す円グラフが投影されている。
僕が〈四季〉と昼食を共にするようになってから数日後。この日、教室では週に一度あるロングホームルームの時間を使い、十一月初頭の文化の日に合わせて開催される文化祭の打ち合わせが行われていた。
「続いて係決めに移ります」
粛々と機械的に。椿カナデが手元のホロディスプレイを見ながら、定められたことを定められたとおりに喋り、進行していく。
僕は耳障りなざわめきを意識の外に追い出しながら、窓の外を見た。
今日の天井は曇り模様だった。雲の形から特徴を掴み易い青空とは違って、さすがに曇り空のパターンは覚えていない。分かるのは色の濃淡ぐらいだ。
今日は黒と白の中間からやや白寄り。雨の予報ではないので、あまり重くない色をしている。
そうやって閉じた空を無味乾燥に観察していると、その視線の途中に、自然と〈四季〉の面々が目に入る。
並んで座る夜桜カレンと百合野トオルは、何やら小声で話し合っている。しかしその素振りから、積極的に出し物に参加する気はないようだった。
係の人数はイコール、クラスの生徒数ではないし、部活に所属している生徒はそちらの出し物を優先させるために、クラスの方には参加しない人もいる。クラスからの出し物は必須ではあるが、一方で生徒の参加は強制ではないという矛盾が、文化祭には存在する。
要は上手くやれ、ということだ。
そういうのも含めて、教育の一環なのだろう。
そんな二人の後ろ席。彼女たちの替えに隠れるように背を丸めた萩原アカネは、左手で頬杖を突いたまま、やはりというべきか不可視の画面を操作していた。しかし画面をスクロールさせている彼女の横顔には、不機嫌さと退屈さが見え隠れしていた。
「なぁどうする?」
「なるべく楽なやつがいいなぁ」
「じゃあこの辺りにしとこうぜ。当日そんなに仕事ないし」
僕の隣前後に座る進藤と小林が手元の画面を見ながら話し合い、あっという間に結論を出す。彼らは一度も僕の方を見なかった。当然、彼らがまとめて出した係の申請に、僕の名前はない。
係決めは滞りなく決まっていく。
やる気のある生徒はすぐに、そうではない生徒は様子を窺いながら。大抵は普段から一緒にいる人同士――いわゆる仲良しグループで意見を交わし、やりたい係に揃って立候補していく。各々が手元で入力する度に、係名の下に各人の名前が反映されていった。
模擬喫茶といっても、衛生管理の都合上、調理の類いは出来ない。生徒の役目は主に仕入れや商品管理、出納管理、それから接客だ。更に言えば、大昔は現金や模擬金券で行われていた金銭の収支も、今は全てデジタルだし、文化祭専用の学内口座と計算アプリが用意されている。接客においても、今では大概が無人レジか、AI搭載ドローンの応対。有人接客は、それらを導入していない小さな店でしか行われない。
なんだかな、と思う。出し物の定番である模擬喫茶だが、社会システムの一端の疑似体験としては、最早意義が薄れている気がした。
いつしか残った係も僅かとなり、会議も終盤にさしかかる。そんな時だった。
「広報係が空いていますが、誰か立候補する人はいませんか?」
椿カナデの呼びかけに、教室がまたもや静まり返った。皆が周囲と顔を見合わせて渋面を作る。ひそひそ話。広報係は宣伝看板の製作と、当日、それを掲げて校内の巡回を行う係だった。事前と当日、どちらも拘束される上に、衆目も集める。避けたい理由は人それぞれだが、避けられるには十分だった。
「他薦でも構いません。意見がある方いましたら、挙手をお願いします」
「じゃあ、ハイハーイ!」
「水野さん、どうぞ」
元気よく手を上げたのは窓側の席の女子だった。ウェーブのかかったロングヘアに、ばっちりとメイクの施された顔。スカートは短く、胸元のシャツのボタンは大胆に外されている。
一言で形容するなら、派手な女子だった。周囲の席は、仲良しと思われる似たような服装の女子生徒で固められている。
水野と呼ばれた女子は着座したまま、クラス中に聞こえる声で言い放つ。
「あたしらから推薦でーす。広報には……夜桜さんと、百合野さん。それと萩原さんと、椿さんがいいと思いまーす」
そうしてチラリと、教室の中央付近の席に視線を向ける。その口元は、哄笑にも似た笑み。
挙げられたのは――〈四季〉の四人だった。
四人は一様に水野さんの方を見て、各々違った反応を見せた。
夜桜カレンは、驚きに丸くした目を瞬かせた。
百合野トオルは剣呑な色を携えて、静かに目を細めた。
萩原アカネは一瞬だけ驚きに目を見張って、けれどすぐさま手元の画面に向き直った。
一人壇上の椿カナデは何かを言おうと口を開いて、けれど何も発することなく口を噤んだ。
「いいと思いまーす。みんな帰宅部で暇でしょ?」
「それに四人は目立つので適任だと思いまーす」
「なんたって〈四季〉だもんねー」
水野さんの取り巻きから賛同が上がり、それを聞いたクラスのあちらこちらからクスクス笑いが起こる。なんだか嫌な笑いだった。
四人からは沈黙ばかりが返ってくる。口火を切ったのは、椿カナデだった。
「……私はクラス委員長として取りまとめ業務があるので請け負うことはできませんが……他の三人はいかがでしょう」
尋ねたくはないが、委員長としてこの流れを進行させなくてはいけない。変わらず淡々とした声だったが、彼女の声の中にはそんな揺るぎが感じられた。
矛先を向けられた三人のうち、真っ先に反応したのは夜桜カレンだった。
「か、カレンちゃんは……構いま、せんよ。そっ、その、上手く作れるか分かりませんが……」
「カレン」
あたふたと慌てながら作り笑いを浮かべる夜桜カレンを、百合野トオルの鋭い一言が制す。しかし彼女もまた厳しい顔で考え込み、
「……アタシも、別に」
発せられたのは、そんな消極的な同意だった。不承不承ながら、今のクラスの空気に逆らうのは悪手だと判断したのだろ。
そんな二人の様子に、クラスメイトたちがほくそ笑む気配が強くなる。
その空気が変わったのは直後だった。
「……では、広報は夜桜さん、百合野さん、萩原さんの三人で――」
「あたし、無理だから」
渋々といった様子で椿カナデが結論を口にする。それを遮った一言に、クラス中が凍り付いた。静まり返ったというよりも、凍り付いたというほうが合っていた。
生徒の視線が、教室の中央に集中する。
――萩原アカネ。
彼女は不機嫌そうな面持ちで、相変わらず手元の不可視の画面を見つめていた。
「ちょっとさぁ、空気読めなくない?」
がたりと椅子を鳴らして立ち上がった水野さんが、顔を歪ませて萩原アカネを見下ろす。
「みんなで高校最後の文化祭を盛り上げよーってやってんの。協力しようとは思わないわけ?」
そうだそうだという声が、水野さんの取り巻きから上がる。クラスの空気が、険悪な物に傾いていく。だが、萩原アカネは揺るがなかった。
「だったら帰宅部で用事もないくせに係に参加しないやつに声かけてよ」
「はぁ?」
「あたし、バイトで忙しいの。急にそんな係やれって言われても、職場にも迷惑かかるし無理」
「何それ。クラスの思い出より、目先の金のほうが大事なわけ?」
ハッと嘲笑が飛ぶ。
水野さんの言い分は、道徳的で一理あるように聞こえた。けれど彼女が今ここでそれを説くのは、嫌な感じがした。
萩原アカネは黙ったまま。そうしているうちに、ホームルーム終了を報せるチャイムが鳴る。椿カナデが予め設定しておいたものだった。
鳴り終わるのが早いか、萩原アカネは通学鞄を肩に掛け立ち上がった。
「とにかく、係になんてなってもやらないから」
教室中の生徒を置き去りにして、足早に出て行く。
その足音が遠ざかって、教室は再びのざわめきに包まれた。
なにあれ。態度悪い。調子に乗ってない?
文化祭の出し物会議は、そんな不穏な声に包まれながら終幕を迎えた。
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