第4話 寝取られ女子大生の前川さん

 普通の人がどうかわかりませんが、私はなにか天性のちょろさをもっているらしく、それを自覚したのはわりと最近ではあるのですが、なにかっちゅうとすぐ「(私のことが好きなのか!?)」と混乱するわけです。


 これは思春期のあらゆる事故の影響で、長じて自己肯定感激低人間に育ったため、逆に毎日夢をみることで生命を維持してきた弊害であると考えているのですが。つまりこう、夢を見ているあいだは安全なので「(私のことが好きなのか!?)」というのは一種の生命維持装置でもあるわけです。


 だから普通にしょっちゅう失恋する。今回はそういった話をしようかと思います。


 あれは某王子様ホテルで働いていたときのことです。

(王子様ホテルについては→ https://kakuyomu.jp/works/16816700429278986724 こちらを参照されたし)


 当時、私は20歳そこそこだったのでしょうか、たぶんそれくらいだと思うのですが、のっぴきならないほど精神状態が悪く、正直人間が私に何をいっているのかいちいち全部全然とんと理解できておらず、数も数えられないため360枚用意しろと言われた皿を930枚用意しようとして「足りない!(死!?!?)」とパニック発作を起こしたり倒れたりしていたのですが、バイト先の異常さと鷹揚さ、持ち前の状況の判断の甘さ、そしてホテルバイトにはあらゆる可愛い女の子がいたのでなんとか朝から晩まで働くことが出来ていたわけです。


 リゾートバイトには、そう、いろんな人種がいるのです。いろんな女の子、いる。ときどき、こわい女の人もいる。


 そうしてリゾートバイトなんてのは一期一会、ひと夏だけやってきて帰っていく人が大部分で、それ以外は毎日毎日同じメンバー、それはもう木更津キャッツアイか? と思うほどのいつメンで、その少数のいつメン常備戦隊たちで、単発で入ってきたリゾバ勢をさばいて仕事をするわけです。


 ただ仲間はそれだけではなく、いつメンとリゾバの間の子として、毎土日にバイトに入ってくれる学生バイトという子たちもいるのでした。ヒエラルキー的には、いつメン常備戦隊>学生バイト>短め出勤主婦のみなさま>ホテルの契約社員>有象無象の短期バイトたち、といった雰囲気です。契約社員はみんなクズ。


 で、私は毎日朝から晩まで働いていたわけでして、いつメン常備戦隊の一員だったのですが、文字どおり頭を壊していましたので、あまり役には立っていなかったというか、さまざまなことが覚えられず、度々学生バイトのご厄介になっていたわけです。


 で、この学生バイトとの関係性が微妙だったのです。学生バイトは基本的にいつメン常備戦隊の手足となりスマートにかつ適度に力を抜いて働く人々なのですけれども、私はいつメン常備戦隊の中では下っ端、というより「あいつ、なに?」みたいな「ボロ雑巾みたいなのが意思をもって必死に喋っているようだけれど?」みたいな感じであり、しかし学生たちはほとんど私と同い年くらいでもあったわけです。


 こわいよね、こわかったと思う。どうやって接していいかわからなかったと思う。一方で私は、自分が高卒でなにも所有しておらず、転がりながら毎日どこかにアザを作ってときどき掃除のおばさまにチョッコレイトをもらうだけの生活をしていたため、学生というものに多大なる憧れがあり、学生、すき、トモダチ……みたいな気持ちでいきていました。


 そうして、いたのです。学生バイトの中に、コンサバ系の美人が。いや、まだそのころの私はルッキズムの罠にハマっていたので美人が大好きだったのですが。いや今でも好きだけど、今は美人じゃなくても好きな女の子は好きです。


 で、そのコンサバ美人の前川さん。前下がりの黒髪で、学生っぽい甘い部分があまりなく、余計なことをせず、とてもよく仕事ができました。そう、私は仕事ができる人間がとても好きなのです。自分があれだから。


 前川さんは人よりちょっと高めのヒールのパンプスを履いていて、みんな履いているのに前川さんの履いているストッキングだけなにかこう、ちょっと、言葉では言い表せられないけれど、こう、特別な感慨をもよおす質感をしていたのでした(内緒だよ)


 ホテルで働いている学生の子たちは、時給が高いバイト先に特有の要領のよさ、言い換えればウェイの所持量が人並み以上ですので、基本的になにもかもが軽さを持ち合わせており、友好関係も「ウェイ」「ウェイーイ?」「ウェーーイ!」みたいな感じで、くんずほぐれつしておりました。しかし前川さんは彼らとは一線を引いて「ウェイ?」に対して「そうだね」と軽く微笑むような、そんな女性でした。


 私は彼女のことを、素敵だな、と遠くから眺め「さぼってんじゃねえ」と尻を蹴られながら、一人で食洗機にお湯を貯める仕事などをしていたわけです。


 で、ある日のこと。私は毎日いるくせに物の場所が覚えられませんので、卓上に置くための小さな塩と胡椒のセットを探して、宴会場の裏のなっがーーいバックヤードをうろうろしておりました。うろうろというか、長いのでうーーーーろ、うーーーーろ、くらいしておったわけです。そんな時間は一秒もないわけですが、私はまだその頃病的な人見知りというか、異常なコミュニケーション能力の欠如により、人に物を聞くということをするのに15分はかかるような人間だったのです。


 そうして、8うーーーろうーーーろ往復したころでしょうか、宴会場ではその時、どったんばったん様々な人間がテーブルやら椅子やらを次の宴会の形につくり変えて忙しくしていたのですが、そのどったんばったんの宴会場から、すっと現れた前川さんが、私に話しかけてくれたわけです。


「なにか探してますか?」


 その声の、なんと優しかったことか。前川さんの声はちょっとハスキーボイスで、いつもは喋り方に抑揚もあまりなく、淡々とお話をする方なので(年下です)その声が優しいだけで私はもう若干「(好きなのか!? 私が!?)」のモードに入っていたのですが、それどころではないので、あうあうあ、と塩と胡椒の場所を聞きました。


 すると前川さんは他の人のするように、そんなこともわかんねえのか? 初日で覚えるやつだぞ!? みたいな反応はせず「こっちです」と優しくほほえみ、私を宴会場の最奥のいつも事務の怖いお姉さんが座っている横の戸棚まで案内してくれました。


 驚きましたねえ。もうそこに塩胡椒があることを何度も見ているのに、この景色を自分が忘れていたことにも驚きましたが、というか怖かったのですが、そうではなく、他のお皿とかフォークとかナイフとか、あとその塩胡椒を置くためのちっちゃい小洒落た板みたいなのはその戸棚から、うーーーーーーろ、くらい離れた場所にあるんですよ。ですので私は、


「なぜこのような場所に……」


 と戸棚に対して忌憚なき意見を述べたわけです。すると、普段、ゆるい微笑みしかしない前川さんがちょっと違った、なんていうんでしょう、おこがましいですが、本当に面白くて笑っている、みたいな笑い方をしてくれたんですね。


「本当ですよね、変ですよね」


 前川さんはそう言いまして、口に手を当てて、ふふふ、と笑って。そうしてこう言ったわけです。


「犬怪さんって、面白いですよね」


 あのあのあのあの!?!?!? と当然私は混乱しまして、といいますのも、まぁさすがに!? さすがにこのムーブは「好き」でしょう! そういうことでしょう、ねえ? 面白いですね=とっても好ましいです私の感性に合っています=あなたのことが好き! じゃないですか、ねえ!? そんなことがあったものですから私は急いで、


「あうあ(私のことが好きなんですか?)……」


 と申し上げましたが、前川さんはすぐに誰かに呼ばれて、じゃあ、と去っていってしまったのでした。しかししかし、そのような重大な触れ合いがありましたので!? それからというもの、私は前川さんを見ると、あっ、と思い、あのあのあの、と思い、さりとて積極的に話しかけることができず遠くから思い続けていたわけです。


 さて、そろそろ長くなってまいりましたので、この話も下げの時間が近づいてきました。突然ですが、まぁ、こういうことは突然起こるものです。みなさまは冒頭にわたしが申しました言葉を覚えていますでしょうか。そう、失恋です。この夢がどのように覚めたのか、つまり「(私のことが好きなのか?)」の呪文がいつ切れたのか、その顛末をお話しましょう。


 それはある日のこと。そう、すべての物事はある日に起こるのです。


 新年会だか忘年会だか、夏が終わったねみんなさようなら! のリゾバ特有の会なのか忘れましたが、いや、薄着だったような気がするので、さよなら会だったかもしれません。その、飲み会がありまして、まあまあ、二次会くらいやったんでしょう。


 私は下っ端ですので、飲み会というのは、皿を下げ、料理を取り分け、料理と酒の注文、誰か酒がなくなってないか、灰皿の交換、などなど仕事以上にやることがたくさんあり、あまり意識がなかったのですが、前川さんが参加していたのは知っていました。でも、お話ができませんでした。


 そうしてそうして、三次会になだれ込むか! カラオケいくか! みたいな流れになったのでしょう。みんなで汚い街をぞろぞろと、ばらばらと歩いていたわけです。で、私はそのころ、イケメンジャイアン(前述の「海辺のホテル物語」を参照してください)の舎弟をやっておりましたので、ばらばら歩いている時にもイケジャイのそばにおったわけです。


 そして、そう、前川さんも近くにいたわけです。前川さんはやや酔っているのか、いつもよりほんのり上気して、斜め後ろから聞いているに、言葉遣いもやや崩れており、端的にいってえっちな感じでした。


 私は斜め後ろからそれを見ており、もうその時点でなにか非常に嫌な予感はしておったわけですが、心の中で「(あ、あうあっ、あっ)」とつぶやきながら、その後ろについていくことしかできなかったのでした。そうしていると、ある路地の前でふとイケメンジャイアンが振り向きました。


「お前、あっち」


 と、イケジャイはぞろぞろと三次会の場所へ進む人々の方を差しました。私が「あ、う……」と言ってから、勇気を振り絞って「イケジャイさんたちは(どこに行ってしまわれるのですか)」と申しあげると、イケジャイはそれには答えず「なんかうまいこと言っとけ」とだけ言い、細い路地の向こうへ二人で歩いていってしまったのでした。


 前川さんは、私のことをちらりとも見ませんでした。


 イケジャイとなにかキャッキャとお話をしながら去っていってしまいました。私はその細い路地の向こうに『大人の遊艶地』という名前のエッチなお店があることを思い出し、そのほかにもえっちな休憩所などもあるのだろう、と思いながら、三次会へ向かう人々のあとへ着いていったのでした。


 以上、寝取られ女子大生前川さんの会でした。次回をお楽しみに。

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