クリスマスの朝にばあちゃんの訃報を受けた

空峯千代

クリスマスの朝にばあちゃんの訃報を受けた

 クリスマスの朝。

 母からのLINEで祖母が亡くなったことを知りました。


 もし近い身内が亡くなったら…。

 何度か考えていたことはあったけれど、想像どおりでした。

 私のなかに悲しみはなかった。


 それは、祖母のことが嫌いだというよりは人間的な関心がなかったから。


 私はずっと祖母を家族ではなく、人間として見ていて。

 人間として見た結果、あまり関わりたくないと。

 そう思いながら、距離を取りつづけていたから。


 これを書いている今もひどく冷静で。


 チバユウスケの訃報を聞いた夜は、一晩泣きつづけたのに。

 二親等の訃報には悲しみを覚えなかった。

 自分の家族に対する目線の冷たさを再確認しただけにすぎなくて。

 人として欠落していることを再認識しただけだった。



 昨夜、ちょうど祖母のことを思い返していました。


 小さい頃、祖母からお小遣いを渡されたとき、

 「(お金を)もらったんやけん母さんの言うこと聞きまいよ!」

 と言われてすごく嫌な気持ちになったこと。


 祖母は、ひどく粗野な人でした。


 小学生の私のまえで平気で煙草を吸う。

 キツい方言で母と人の悪口を話す。

 

 でも、いい人でもありました。


 毎週日曜日は、うちの家族といとこの家族が祖母の家に集まる。

 そして、祖母がふるまってくれるごはんを皆で食べる。

 そういう時は、揚げ物やポテトサラダを作ってくれて。

 行事に合わせて、鯛の塩焼きや赤飯を出してくれたこともあった。


 週末のごはん会や日頃の食事のための食材で、冷蔵庫はいつもパンパン。

 もう賞味期限が切れている食材が一緒になっていることもありました。


 それから、ばあちゃんが運動会の日に作ってくれたお弁当。

 鮭の身が入ったおにぎり、自慢の玉子焼き。

 タコさんウインナー、唐揚げ。

 どれも量が多くて、食べきれないのがあたりまえだった。




 祖母からされて嫌だったこと、言葉。

 されて感謝した、有難かったこと。


 それらを懐かしむように思い出せる。

 それくらい、私のなかの祖母はとっくに風化してしまっている。


 今日、これを書いていて気づいた。

 家族に苦しみを抱いて、悩んだこれまでで。

 実家を出てしまったことをきっかけに、私は家族と区切りをつけている。


 私のなかの祖母は、すでに故人であったこと。

 

 訃報を受けて、この文章を書いて。

 ようやく、それがわかった。




 前述したように、私は祖母のことを嫌っているのではない。

 強いて言えば、苦手ではあったけれど。

 そういう感情すら、今はもう過ぎ去っている。


 祖母のことを懐かしむ気持ち。

 さらさらとした砂の感触をてのひらで感じるような。

 ほんのりとした温度の記憶を頼りにして、故人を悼んでいる。


 最後は、認知症だった祖母。

 私の記憶のなかでは、煙草を吸っていた姿が色濃くて。

 施設では、きっと煙草は吸えなかっただろうに。

 煙がなくても楽しく逝けていたらそれがいいと思う。


 祖母は、私を理解できなかっただろうし。

 私は、祖母を理解はできても受け入れられはしなかった。

 愛情は理解できても、それで傷つくことの方が多かった。

 本当に申し訳ないけれど、最後まで顔を合わせることのない距離でよかったと思っています。


 きっと、祖母の存在が身近なままだったら。

 私はこんなにも穏やかに思い返すことができなかったと思う。

 祖母を嫌いになっていただろうし。

 私は今よりも家族のことで苦しんだと思う。

 

 あなたを嫌いになる最大の不孝を犯さなかったこと。

 それが不孝を繰り返している自分にとって、唯一の孝行でした。


 私が成人してからほとんど会ってないばあちゃん。

 一本だけ残っているマルボロで黙禱を捧げるから。

 気が向いたら、そっちで数分だけ付き合ってください。


 ありがとね。

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