第5章⑩

 まあわざわざ『帰路』というまでもないほどの距離だ。ジャスティスメイカー総本部表の顔の駄菓子屋さんから徒歩十分の新築アパートに帰宅した私は、みたらしとしらたまから本日の癒しを頂戴していた。

 猫じゃらしにじゃれる二匹を相手に、今日の夕食のメニューを考える。しまった、ジャスティスメイカーの冷蔵庫から食材を持ち帰ってくるのを忘れていた。いつも適当に失敬してくるのに、今日ははちみつレモンに気を取られすぎていてすっかり忘れていた。

 今からもう一度取りにいくのも何だし、今日は諦めてスーパーに行くしかないだろうか。しろくん、じゃなくてマスター・ディアマンに何かしら報告しようにも、何もネタがないからなぁ。

 家に着くなりテーブルの上に置いた緑のスマホとサプリケースを前に、うーん、と唸ると、ピンポーンと部屋のチャイムが鳴る。

 引っ越してきて以来、客人なんて誰も思い当たるところがない。宅配も通販も覚えがないのだけれど、とりあえずスイッチが入ったインターホンの画面をのぞき込む。

 そこに立っていたのは、予想外の人物だった。

 ぽちっとボタンを押して、こちら側の声があちら側にも聞こえるようにしてから、彼女の名前を呼んだ。

 

「桜ヶ丘さん、どうしましたか?」

『柳さん、突然ごめんなさい。透子さんから差し入れがあって、柳さんにも持っていけって言われたから持ってきたの。入れてもらっていい?』

「あ、はい」

 

 そう、桜ヶ丘桃香さんだ。

 彼女の手にある大きな紙袋を示されて、私はオートロックを解除して、桜ヶ丘さんを部屋に迎え入れる。

 

「はい、これ。駅前で人気のシューアイスだって。色んな種類があるから、当分楽しめると思うわ。冷凍庫に忘れずに入れてね」

「こ、こんなに? あのこれ、私一人の分じゃないですよね?」

「他の奴ら、全員、柳さんとあたしで分けちゃっていいって言ってたから。あたしはもう自分の分はもらったから、後は好きにしていいわよ」

 

 紙袋に詰まっている色とりどりのシューアイスはとてもおいしそうだけれど、何分量がすごい。私が一人暮らしってことを皆さん忘れてないか。

「じゃ、あたしはこれで」とさっさと帰ろうとする桜ヶ丘さんを引き留めたのは、だからこそ、だったのかもしれない。

 

「あ、あの、よければお茶でもしていきませんか?」

「……いいの?」

「はい、わざわざ届けてくださったお礼に。お茶菓子には、このシューアイスじゃないものを出しますから」

 

 ――と、いうわけで、桜ヶ丘さんは、私とお茶をする運びになった。

 私の部屋に入ってくるなり、彼女は丁寧に優しくみたらしとしらたまを撫でてくれた。ごろごろと喉を鳴らす二匹を前に、桜ヶ丘さんの美貌もゆるむ。

 眼福の光景だなぁと思いながら、しろくんからもらった紅茶に、レモンのはちみつ漬けの前に用意しておいたレモンケーキを合わせ、テーブルに置く。

 

「どうぞ」

「わ、おいしそう! これ、柳さんが?」

「ここに入居したおかげで家賃が浮いて、こういうのも作る余裕ができたもので……」

 

 ちょっと前までだったらとんでもない贅沢品だったお茶菓子を、こうやって誰かに提供できるようになったのはいいことだ。まあ相手は天敵なんですけども。仲良くしたらいけない相手なんですけども。

 うっかり親しくなると後で痛い目見るのは間違いなく私自身だ。それなのにこうやってええかっこしいしてしまう私は大概馬鹿である。

 桜ヶ丘さんは早速レモンケーキに手を付けて、紅茶を口に運ぶ。ふわん、とその美貌が甘くなる。

 

「おいしい。柳さん、料理上手ね」

「それほどでもないと思うんですけど……」

「やだ、ここは自信持って胸を張りなさいよ。すごくおいしいってば」

「……ありがとうございます」

 

 桜ヶ丘さんは優しいなぁ、美人で性格もいいなんて無敵だなぁ、と感動しつつ、私も紅茶を口に運ぶ。し

 ろくんチョイスだけあって、私好みにふんわり花の匂いが香る高級なお紅茶様だ。お客様がいらっしゃる機会なんてもしかしてこれっきりかもしれないから、活躍の場ができてくれて何より何より。

 はー、おいしい。紅茶のいれ方、ちゃんと勉強しようかな。もっと上手にいれられるようになったら、しろくんにも……と、再びカップに唇を寄せる。

 


「柳さんは、深赤のことどう思う?」

「ぶふっ!」


 

 そして噴いた。

 幸運にも桜ヶ丘さんに吹きかけることにはならなかったけれど、その分気管に入ってげぇっほごっほとむせ返る。桜ヶ丘さんが慌てて背中をさすってくれて、みたらしとしらたまがなぁおふなぁおと鳴きながらすり寄ってきた。

 

「大丈夫? 柳さん」

「な、なんとか……。いやそれより、朱堂さん? なんですか、その質問、流行ってます?」

「え、他のやつにも訊かれた?」

「山吹さんにも訊かれましたね……」

「ああ、あいつなら言いそう」

 

 納得したように頷いた桜ヶ丘さんは、じぃと私を見つめてから、「それで?」と続ける。

 

「なんて答えたの?」

「恋愛対象としては論外と」

 

 朱堂さんを恋愛対象とするのはあまりにも危険すぎる。色んな意味で。

 だからこその返答だったのだけれど、桜ヶ丘さんは、山吹さんのように笑うのではなく、なぜか心底安堵したように吐息をもらした。

 その姿に、もしかして、と思う。

 

「あの、心配しなくても、桜ヶ丘さんの方が私よりもよっぽど魅力的で、朱堂さんにふさわしいと……」

「待って、もしかしてあたしが深赤に惚れてるとかとんでもない勘違いしてない?」

「違うんですか?」

「違うわよ! あいつとはただの幼馴染‼ それ以上でも以下でもないわ。お願いだから照れ隠しとか思わないでね、本当に違うから。まかり間違っても勘違いしないでちょうだい」

 

 信じられないほどの真顔で言われた。両肩をがしりと彼女の手でつかまれて、がっちり視線を捉えられて、真正面から諭される。怖いくらいに真剣だ。どうやら本当に違うらしい。

 とにかくこくこくと頷きを返せば、「よろしい」と桜ヶ丘さんも頷いて、やっと私から離れてくれた。

 

「……深赤はね、優しいわ。誰にでも、優しいの。昔っからそう」

「ああ、三つ子の魂百までって感じですよね」

 

 一朝一夕で完成される優しさではないだろう、あれは。

 そういう意味を込めて呟けば、桜ヶ丘さんは拳をテーブルにダンッと叩きつけて頷いた。

 

「そう! そうなの! そのせいであいつ、いらない苦労ばっかり背負いこんで、見てるこっちは気が気じゃなかったの」

「はあ」

「でも、レディ・エスメラルダに対しては違う」

「……はい?」

「泣かしたい、って言ってたでしょ。あれ、深赤にはいい傾向だと思うのよね」

 

 いやレディ・エスメラルダにとっては冗談でもごめんな傾向なんですけども⁉ とは言いたくても以下省略。

 私が沈黙したのをどう受け取ったのか、桜ヶ丘さんは真剣な顔で続ける。

 

「ねえ、恋愛対象としてでなくても、なんでもいいの。柳さんは、深赤のこと、どう思う?」

「……ほっとけない人、とか、ですかねぇ」

 

 あの人ほっといたら知らない間にとんでもないことになっていそうで、だったらもう目を離さずにそばにいた方が精神衛生上まだマシな気がします、とは思っても以下省略!

 そういう私の本音を知ってか知らずか、桜ヶ丘さんはやっぱり安堵したように、ふんわりと可憐に微笑んでくれた。

 

「深赤がやたらあなたのことを気にかけるのが解った気がするわ」

「はあ……?」

 

 いや私はさっぱり解りませんけども。

 ああでも、そうだな、ほっとけない人、は、私にはもう一人いる。言うまでもなくしろくんだ。脳裏に、私には優しくて甘い幼馴染の、やわらかな美貌の笑顔が浮かぶ。

 放っておいたらしろくんは勝手にひとりぼっちになってしまうんだろう、といつも思う。私がいるのに、と、いつも思う。私がいても、しろくんはきっと足りないんだろうなぁ。

 その点においては朱堂さんがうらやましい。私一人じゃなくて、彼には桜ヶ丘さんをはじめとしたたくさんの人がそばにいてくれて、心配してくれて、なんとか力になろうとしてくれているのだ。

 それはなんでも持っているはずのしろくんにはない『力』だ。私だけじゃ、どうやったって補えないもの。

 ねぇ、しろくん、私、私は。

 そう内心で、きっと今頃会社でバリバリお仕事をこなしているに違いない、たったひとりの幼馴染に呼びかけた、その時。

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