最終話 ヘスティリアとヴェルロイド、結婚する

 ヘスティリアとヴェルロイドの結婚式は帝都最大の神殿、帝都中央大神殿で行われた。


 帝都中央大神殿はその名に相応しく、恐ろしく巨大な神殿である。大きな大ドームと、巨大なアーチで支えられた大空間を有し、二階席三階席までがある。


 その大神殿が、人で埋まっていた。しかもその辺りの有象無象を捕まえて詰め込んだのとはわけが違う。帝国の大貴族がこぞって着飾って集合していたのだった。こんな事は皇太子が結婚した時以来である。


 皇太子ご成婚の時は神殿には華やいだ雰囲気が漂っていたものだが、今日の大神殿に集合した貴族の面々は、緊張に顔を引き攣らせていた。彼らの中には皇帝の面前にも頻繁に出るような家柄のものもいる。しかし、その彼らが緊張に身体を強張らせているのだ。


 それはこの結婚式が、他ならぬ「不死身のヘスティリア」の結婚式だからである。


「……やり過ぎたかしらね?」


 今更ちょっと後悔するヘスティリアだった。なにしろあの夜会以降、ヘスティリアが社交に出ると凄かったのだ。


 お茶会に出れば、ヘスティリアが登場した瞬間、全員が起立して直立不動になり、ぎこちなく跪き、震え声で挨拶をしてくるのだ。


 お茶会の最中も全員が非常に緊張し、ヘスティリアが何かを言えば全員が会話を止めて傾聴する。ヘスティリアが笑うと泣き出す婦人までいる有様だ。


 楽しかるべきお茶会が台無しである。どうしてこうなった。


「どうしたもこうしたもあるまい。あれだけの事をしでかせば、誰だって自分が前皇妃の如き目に遭わされてはたまらんと思うだろう」


 ヴェルロイドが呆れて指摘する。ちなみに前皇妃はショックのあまり、口も聞けぬ有様に陥っているようだ。自分もそのような状態になってしまうかと思えば、ヘスティリアを畏れるようになってしまっても無理はない。


 ヘスティリアとしてみれば、自分に深い恨みを持ち、しつこく執念深い前皇妃に対して、キツめのお灸を据えただけであって、何も誰も彼もをあんな目に合わせる気などないのだ。


 せっかくの帝都の社交界なのに、誰にも彼にも畏れられては楽しくない。ヘスティリアは少なからずがっかりしていた。


「それなら帝都に未練はありませんでしょう。諦めて一度領地にお帰り下さい。やることは山積みですよ」


 結婚式対応のために一度帝都に来ていたハイネスが冷たく言う。ヘスティリアは拗ねた表情をしながらも、ハイネスの言う通り一度帝都を離れて冷却期間を置いた方がいいかもと考えていた。半年も離れていれば貴族達も畏れなど忘れるだろう。たぶん。


 まぁ、この三ヶ月ばかり遊んだおかげで大分気が済んだというのもある。帝都で政治的な活動をする中で、商売に明るい貴族や大商人と交流して、アッセーナス領の内政に役立てられそうな施策をいくつも思いついたので試してみたいというのもある。


 そんなわけで、ヘスティリアとヴェルロイドは結婚式を挙げたら一度オルイールまで帰る事にしていた。もちろん、その間も建設途中のお屋敷と現在の小さなお屋敷は維持するし、帝都には帝都番の家臣を置いて早馬で帝都の情報は常に入るようにしておく。せっかく帝都社交界に馴染んだのだから忘れられないようにしないといけない。


 ヘスティリアとしては権威も権力も手に入れて、行動の自由も得たのだ。帝都に限らずやりたいことが沢山有る。南の国境とオルイールを直接繋ぐ交易路が出来れば、アッセーナス領にとって莫大な利益を生むことが出来るだろう。育ての親のオルフェウスと協力すれば容易いことだと思う。まぁ、養父を捕まえたらまずは自分の生まれを隠していた事について文句を言わなきゃいけないわね、とヘスティリアは考えているのだが。


 まったくのんびりしそうにない新妻の姿にヴェルロイドは苦笑していた。彼としてはせっかくの新婚生活なのだから、オルイールの城で暫く甘い生活を楽しみたいのだが、この緑の髪と紫色の瞳がキラキラと輝く彼の妻は、まったくそういう女では無いことをヴェルロイドは理解している。


 別にそれでも良いのだ。彼女がどこかに行きたいなら行っても良い。時には自分も付いて行って、色々助けられればと思うものの、彼は領主であり領地の事をしなければならない。そうそう彼女だけにかまけている訳にはいかないから、彼女に好き放題に行かせるしかないだろう。ヴェルロイドは、彼女が最終的には自分の所に帰ってきてくれれば、それで良いのだ。


 ただ、せっかく結婚したのだし、領主夫人の義務として子供は産んで貰わないといけないのだが。その時は多分、帝都で産み育てたいと言うだろうな、とヴェルロイドは確信していた。あと約一年か。それまでに帝都の屋敷が完成していれば良いのだが。


 皇帝夫妻、皇太子夫妻を始めとした帝国の貴顕が大集合して見守る中、ヴェルロイドはヘスティリアの手をとって大神殿の中央を進んだ。ヴェルロイドは漆黒のスーツ。ヘスティリアは純白のウェディングドレスだ。透けるヴェールを頭に被り、レースと刺繍で飾られた大変豪奢なドレスである。帝室の一員として恥ずかしく無いようにと数十人の職人を集めて作らせたものだ。ちなみに結婚式の費用は商人からの寄付や、貴族達からの援助の他、皇族予算からも出ているのでアッセーナス家の懐は一つも傷んでいない。


 高い所にある窓から差し込む陽の光が、ヘスティリアを白く目映く輝かせている。彼女は真珠のネックレスやダイヤモンドとルビーのブローチ、琥珀のイヤリングなどをしているので、それらの宝石の輝きも相まってよりキラキラ輝いているのだ。そもそも美人であるヘスティリアがそのように輝いていると、その姿は天からの使いもかくやという華やかさである。列席の皇族貴族達は、その美しさにしばし緊張を忘れた。


 ヘスティリアとヴェルロイドは祭壇の上に上がり、大神官の祝福を受ける。そして二人は大女神像の前に跪き、声を揃えて誓いの言葉を大女神に誓った。


「今日この日より、大女神様のお力により我らは縁を結び、夫婦となり、永久に共に生きると誓います。大女神様の御許に参ります、その時まで」


 二人は立ち上がると、列席者の方に向き直り、ヴェルロイドの右手とヘスティリアの左手を握り合わせた。そしてそれを高々と持ち上げる。その様子をみて満員の大神殿でわっと祝福の歓声が起こった。なにしろ凄い人数なので空気が震えるようだった。歓声を浴びてヘスティリアは実に満足そうだった。確かに、こんな大歓声は帝都のこの神殿で行わなかったら浴びることは出来なかっただろうな、と、ヴェルロイドは思った。彼女が帝都での式に拘ったのはこのためなのだろう。


 ただし、ヴェルロイドは二人でオルイールに戻ったら、もう一度結婚披露をやらなければとは思っていた。領主の結婚を帝都でして領都でやらないと、領地の親戚や家臣が心証を害する危険があるからだ。ここよりもずっと小規模になるが、神殿でオルイールの者達を集めて祝福をされる事になるだろう。ヘスティリアだって領地には友人や知り合いが既に沢山いるのだから嫌だとは言うまい。


「それでは、誓いの口付けを」


 と大神官に促される。二人は歓声に応えていた手を下ろし、お互いに向き直る。ヴェルロイドがヴェールを持ち上げると、ヘスティリアは流石に照れたような顔をしていた。


「こんな大人数の前でキスをするのはちょっと恥ずかしいわね」


 いつもは傍若無人が服を着て歩いているような女なのに、こういうふうにたまに可愛いところを出すのが狡いと思うヴェルロイドだった。


「君が集めたんだろう。我慢せよ」


 そしてヴェルロイドは容赦なくヘスティリアの唇を奪ったのだった。


  ◇◇◇


 こうして、無事結婚したヘスティリアとヴェルロイドは帝都を後にした。勿論だが、帝都を離れるのも簡単にはいかず、結婚式後一ヶ月は帝都で起こした色々なことの後始末を付けるので大忙しだだったものだ。


 特に皇太子は「帝都の社交界を無茶苦茶にした責任はどうしてくれるのだ」と言ってヘスティリアの帰還に反対した。ヘスティリアは意外に思って皇太子に尋ねた。


「私がいない方が、殿下はやり易いのではありませんか?」


「私は其方などいない方がせいせいするが、妃は社交界をまとめねばならぬのだぞ? 少しは後始末をしてからでないと妃が困るではないか」


 あら、妃殿下の事を皇太子殿下が気遣っているということは、お二人の仲は修復されたんですわね、とヘスティリアはほくそ笑んだのだった。


 ヘスティリアは社交に出て「まぁ、領地の始末をつけたらすぐに帰ってきますから、それまで妃殿下をよろしくお願い致しますわ」などとフォローになっているのかどうなのかというような事を言って社交界の動揺を収めてから、オルイールに向かう馬車に乗り込んだのである。


 遠ざかって行く帝都の城壁を眺めながらヘスティリアは、前回アッセーナス領に向かった時とは違って別に後悔も惜別の思いも抱くことは無かった。


 あれほど楽しみにしていた帝都だったし、実際色々楽しんだのではあるが、皇族にまでなってしまうと好き勝手に遊んでいるだけでは済まなくなってしまった。考えてみれば彼女が帝都に来たかった理由の一部は、オルフェウスに商売の事を手伝わされて忙し過ぎるのに嫌気がさして逃げたかったからだったのだ。


 侍女を適当にやってのんびり遊び暮らすくらいが望みに一番合致していた筈なのに、それが皇族で領主夫人である。毎日毎日商人時代など比較にならないくらいの大忙しだ。どうしてこうなった。


 とぼやくヘスティリアにヴェルロイドは苦笑する。


「君くらいの働き者が、のんびり遊び暮らすなど無理であろう。平民だろうが貴族だろうが、何処で何をやっていても最終的には大忙しになる性質だと思うぞ」


 ヘスティリアは反論出来なかった。考えてみればオルフェウスの手伝いも、彼女自身があれこれ思い付いたことを「ならお前がやりなさい」と言われて仕方なく自分で動いた事が多かったし、侍女時代も色々創意工夫をして改革に取り組んだお陰で、アンローゼに目を付けられて気に入られ、専属侍女に取り立てられたのが養女入りの発端だ。


 アッセーナス領の改革だって自分が言い出したのだ。皇族入りも自分の行動による。何もかも身から錆ではないかというヴェルロイドの指摘は当たっている。


 ヘスティリアは溜息を吐いた。


「どうにも、ジッとしていられない性分なのよね。それで損をすると分かっていても、思い付いたらやらないと気が済まないのよ」


 ヴェルロイドの見るところ、それだけではなくヘスティリアは物事を改革するのが好きなのだと思える。それと、一度取り組んだことを投げ出せるほど無責任ではない事と、後は非常に執念深いのだ。非常に政治家に向いていると思う。


 彼女なら良い領主夫人になるだろうし、おそらくその枠に囚われない、帝国の歴史に名が残るような偉大な女性政治家になることだろう。しかし、ヴェルロイドにとって重要な事は他にあった。


「君がそういう性格でなかったら、君がオルイールに来る事はなかっただろうし、私が君と結婚する事はなかっただろう。私にとっては幸いだった」


 そもそも、ヘスティリアがこれほどの女性でなければ、伯爵令嬢の身代わりとして送り込まれた平民出身の養女であるヘスティリアに、ヴェルロイドは惹かれなかっただろう。会った瞬間に追い返していた可能性が高い。


 しかしヘスティリアは、会った瞬間にヴェルロイドの心を掴んでしまった。彼女が彼女でなければ、ヴェルロイドはヘスティリアに惹かれず、アッセーナス領が交易で栄える事もなく、帝都で田舎貴族と侮られていたアッセーナス辺境伯家が、一代公爵になるなどという事もなかった筈だ。


 その奇跡を、ヴェルロイドは非常に幸福な事だと思っていた。ヴェルロイドは対面に座るヘスティリアの頬に手を伸ばす。


「これからもよろしく頼むよ。我が妃よ」


 公爵なので、妻は夫人では無く妃の称号を帯びる。ヘスティリアはうむっと頬を膨らませた。顔が赤く染まる。この夫はなんだか自分の事をとっても大事にしてくれるし、時にこうして自分の心を揺さぶるような事をする。頼りになるし、自分の好きにさせてくれる。こんな寛大な夫は他にいないだろう。彼自身は気が付いていないかも知れないが、彼が相手でなければヘスティリアが成し遂げたほとんどの事は実現しなかった可能性が高い。


 彼女は、出会った時におそらくは無意識に気が付いていたのだろう。彼こそが自分を最も活かし、幸せにしてくれる男だと。だから彼の為に何かをしようと思えたのだ。それは幸せな出会いで、きっと彼といればこの先も自分は幸せだろう事がヘスティリアには分かっていた。


 しかし、何となくそれを認めるのは面白く無い。しゃくに障る。ヘスティリアは頬を膨らませながら言った。


「この先も私はきっと好き勝手にしますよ。貴方にももっともっと迷惑を掛けると思います。それでも良いのですか?」


 ヴェルロイドは微笑みながら即答した。


「それでこそ望むところだ。我が妃よ」


 ヴェルロイドの言葉にヘスティリアは吹き出してしまった。ヴェルロイドも笑う。


 二人の笑い声と共に、馬車は段々と帝都から遠ざかって行ったのだった。



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身代わり結婚させられた商人の娘は花の帝都に戻りたい 宮前葵 @AOIKEN

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