第二話 目覚め②

「いやー、突然のことでびっくりしたでしょ」

 男性は気さくに話しかけてくる。

「え、えぇ、もうなにがなんだか……」

「簡単に言うと、今、君は哲学者対策法で身柄を拘束されてる状態なんだけど、事件当時の状態であるとか、責任能力であるとか、様々な観点から今回は罪には問わないことになったって感じかな」

「な、なるほど……」


 現実味を帯びていない感覚だが、いったんは助かった、と言って良いのかもしれない。しかしまだ一つ、懸念点が残っていた。

「あの、僕はまたあんな風に暴走してしまう可能性があるんでしょうか……?」

「あるね、もちろん」

当たり前だ、とでも言うかのような口ぶりだった。

「一度、哲学者に目覚めたものはその力を手放すことはできない」

「そんな……」

 またいつか自分が無意識のうちに人を傷つけてしまうかもしれないと思うと、目の前が真っ暗になる。


「大丈夫だよ」

 そんな僕にその男性は優しく微笑んだ。

「そうならないように、うちで力の使い方を覚えてもらう。そのサポートはちゃんとしていくつもりだよ」

「ほ、ほんとですか」

「エウダイモニアは、案外知られていないんだけれど、哲学者の無力化、討伐以外にも、哲学者の社会復帰のサポートや、哲学者の被害に遭った人々の支援活動なんかもしているんだ。詳しくは機密事項だから言えないんだけれど」


「そうだったんですね……。知らなかった」

「案外、哲学者の話って他人事のように思われがちだからね。知らなくても無理はないよ」

 僕はまた普通に生きられるのだと思うと、安心から全身の力が抜ける。

「力の制御にはコツがいるから、人によっては時間がかかってしまうんだけど、安心して。遅かれ早かれ、また今まで通り暮らせるからさ」

 今まで通り、彼のその言葉は僕にとってひっかかるものだった。

 これまでの自分に戻って良いのか? あの、情けなくてなにも持っていなかったあのころの自分に。

 自分に問い掛けるまでもなく、僕の心は決まっていた。

「一つ、聞いて良いですか?」

「ん、なにかな?」

「僕をこの組織の、エウダイモニアのメンバーに入れてください!」

 僕はまっすぐに男性を見つめる。彼は口ひげを触りながら、どうしたものか、と考えているようだった。


「実際、君みたいに哲学者に目覚めてしまった人の中にはうちの組織に入った人も一定数存在するんだ。それに、君の能力はたしかに対哲学者の制圧には向いているものかもしれない」

「じゃあ……!」

「90%」

「え?」

「そうやって入隊した人たちが初任務から二年以内に殉職する割合だよ」

 僕は息をのむ。そこにいるのは、もはや先ほどまでのちゃらんぽらんな男性ではなかった。鋭い視線が僕の身体を貫くかのようだ。


「それに、一度こちら側に両足を踏み入れたら、もう二度ともとの暮らしには戻れない。世界には断絶があるんだ。君は今、その断絶の狭間にいる。今ならば、踏み出した片足を戻すことができる。非凡な力に目覚めて、気持ちが高ぶるのはわかるが、この力はそんなに良いもんじゃあない。悪いことは言わない。一時的なヒロイズムに陶酔しているなら、やめておいた方が身のためだ」

 僕は彼の雰囲気に気圧されそうになる。おそらく彼も、いくつもの修羅場をくぐり抜けてきたのだろう。彼の言葉には説得力があった。

「確かに、舞い上がっていた部分はあったかもしれません」

しかし、それでも。


「僕にしかできないことを、僕が生きる意味を見つけたいんです。そしてそれは、きっとここにあるんです」

 僕の決意は変わらなかった。僕は、先輩をかばって大蛇のような哲学者の前に立ちはだかったときのことを思い出していた。あのときとは違い、今の僕の足は震えていない。

「気持ちは堅いみたいだね。仕方ない」

「……!」

「でも、はいそうですか、じゃあ入隊ですってわけにはいかない。まずはいくつかのステップを踏んでもらう。そもそも、正しい力の使い方もわかっていないわけだしね」

「はい」

「ついてきて」




 エレベーターと、いくつかの長い廊下を経てたどり着いたのは、先ほど僕が目覚めた病室によく似た部屋だった。

 同じように殺風景で、同じように真っ白で、同じように一人の男性がベッドの上で眠っている。よく見ると、彼は壁から伸びた四本の太い鎖に四肢を縛られ、満足に身動きが取れない状態でいるようだ。

「あそこで横になっている男が見えるかい?」

 支部長の言葉に僕は首肯する。


「あの男は、君と同じように哲学者対策法違反で捕縛された哲学者だ。ただし、君と違うのは、彼は力の使い方をわかっていながら、悪意を持ってそれを行使し、四人もの善良な市民が犠牲になった」

 僕はおそるおそる近付いて、男の顔をのぞき込む。穏やかな顔で眠るその男はくっきりとした目鼻をしていて、あまりに整ったその顔立ちは作り物のようだった。一見しただけではそのような凶悪犯には見えない。

「今は僕たちの仲間の能力で彼は深い眠りについている。能力による強制的な睡眠だから、少なく見積もってもあと半日は起きない。どんなことをされてもね」


 やけに含みのある言い方だなと思っていると、支部長は懐から短刀を取り出した。

「最初のステップだ。君にはこの男を殺してもらう」

 思いも寄らない言葉に驚きつつも、差し出された短刀をわけもわからずに受け取ってしまう。

「そ、そんな……」

「僕たちが対峙するのは、動物園から逃げ出した肉食動物でも、宇宙から攻めてきた侵略者でもない。人間だ。時には非常な決断を下さなければいけないときだってある。君にその覚悟があるのか、その一線を越えられるのか、今、ここで試したい」

 支部長の表情は冗談を言っているようには見えなかった。


「簡単なことだ。相手は抵抗してこないんだから。ここでできないなら、実践でも使い物になるはずがない」

 支部長の物言いは冷たいが、それでいて正論だった。

 そして僕は、やはり自分の見立てが甘かったのだとここで初めて気がつく。さきほどまで確固たるものだと思っていた決意は、ぐらぐらと揺らいでいた。

 僕は短刀を手にした状態で、もう一度眠っている男性の顔をのぞき込む。

 一瞬、彼の顔が自分に見えて思わず後ずさりをする。しかし、もう一度見ると先ほどの男の顔に戻っていた。

 こうなっていたのは、自分だったのかもしれない。僕は、僕だったかもしれない人物を殺せるのか?


 僕は短刀を強く握りしめる。

 こいつは凶悪犯。人を四人も殺した。再び野に放てばまた被害者が出るかもしれない。悪は滅さねばならない。僕は力の使い方を間違えてはいけない。ここで誠意を示す必要がある。短刀を突き立てるだけの簡単な作業。目をつぶれば鶏肉をさばくのと大差ない。やらなきゃメンバーとして受け入れて貰えない。

 握りしめた短刀を振り上げる。

僕は、僕が僕であるために、僕は……。

「……すみません。僕には……、僕にはできないッ……!」

振り上げた短刀を床に落とすと同時に、僕は膝から崩れ落ちた。猛烈な吐き気が襲ってくる。


「たしかにこの人は、未来ある人を、誰かにとって大切な人を殺めてしまったのかもしれない。それは間違ったことです。でも、でも僕もそうなり得たかもしれないと思うと他人事には思えなくて……。それに、もしかしたら過ちに気づいて改心してくれるかも、なんて、甘いかもしれないですけど、そう考えてしまうんです……。それを信じてみたいって……。だから、僕にはできません……。すみません……」

 静寂に僕のすすり泣く声が響く。

「そうか。君はそう決断したんだね」

支部長はそう言って、どこからか取り出したクラッカーを鳴らした。破裂音とともに小さな紙吹雪と火薬の匂いが辺りに舞う。

そしてあろうことか、クラッカーの火薬に反応して室内のスプリンクラーが作動し、部屋中が水浸しになった。


「こ、こんなはずじゃなかったんだけどね……」

 支部長は引きつった笑いを浮かべる。

「ど、どういうことですか……?」

 僕は状況が整理できず、唖然とする。

「合格だよ」

「で、でも僕は彼を殺せなかったですよ……?」

「別にボクは、眠っている彼を殺したら合格だなんて言ってないよ?」

 支部長は白々しく鼻をほじる。

「あ……」

そういえば、確かに直接的に殺せという命令は受けていない。


「あ、それから、九鬼君も起きて良いよ~」

「もう、支部長ったら。ほんとに俺が刺されてたらどうするつもりだったんですかぁ?」

 そう言いながら眠っていたはずの男がむくりと起き上がる。僕は再度、わけがわからなくなる。

「紹介するよ。彼はうちの支部のメンバー、九鬼周造君だ。ヤマト君の直属の先輩って事になるのかな」

「よろしくな~」

 僕は一つ一つ整理しようと努める。

「えっと、彼は凶悪犯では……?」

「ないよ」

「え、てことは、四人の善良な市民が犠牲になったってのも……?」

「あぁ、それは本当だよ」

 支部長はさらりと言う。


「だって、九鬼君いつも仕事放り出してどこか行っちゃうんだもん。うちの支部、メンバーが五人いるんだけど、他の四人が仕事量が増えて割を食っているってわけ」

「俺だって遊び歩いてるわけじゃないですよ~。情報収集です。情報収集」

「ほんとかなぁ」

「それで言ったら、支部長だって俺と同じくらい仕事さぼってるじゃないですか」

「いや、ボクはほら、出張とかさ……?」

「目が泳いでますよ~」


 先ほどまでの空気とは一転して、朗らかな会話が交わされていることに僕はまだ馴染めていなかった。それに気がついてか、支部長がこちらを見る。

「て、ことで晴れて君はうちの、エウダイモニア第六支部の一員だよ」

「おめでと~」

 九鬼が細い腕で拍手をする。支部長はこう続けた。

「ボク達の力は人を傷つけるためにあるんじゃない。世界を、人々を守るためにある。ヤマト君はきっとそれをわかってくれる人物だって、今の姿を見て確信したんだ」

 僕はあふれ出そうになる涙を堪えるので精一杯だった。

「むしろこちらからお願いするよ。ぜひ、ボク達の仲間になってくれ。君ならきっと、善い哲学者になれる」

 伸ばされた支部長の右手を僕はがっしりと掴む。

「はいっ……! これから、宜しくお願いします……!!!」

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