第18話 かつての夢とリンドウの花②

 竜胆が店長を勤めるようになってから、一年。

 まさかこんなにも早く店に戻ってくることになろうなんて、思ってもいなかった。

 竜胆は物心ついた時から花に囲まれて暮らしていた。

 赤ん坊の頃には働く母親におんぶされて一日中店にいたらしいし、三歳頃には店のダメになった花で遊んでいたし、五歳の時には店頭に立って接客まがいのことをしていた。小学生になってからも、クラスメイトと遊ぶより店の手伝いをしている方が面白かった。家にいる時間より店にいる時間の方が長く、竜胆にとって花とは身近な存在で、日常的にあるものだった。

 そんな竜胆だからして、当然のように花屋になる道を選んだ。

 園芸科のある高校に通い、卒業後はフランスに渡ってパリの花屋で修行をした。戻ってきてからは主に結婚式場の装花を扱う会社で働き、そこで才能を遺憾無く発揮した。結婚式の装花というのは塩崎にとって非常に面白い仕事だった。新郎新婦の要望を丁寧にヒアリングし、会場に合うような花材を選び、その花材を最大限活かせるデザインを考える。花嫁のブーケや花冠、花婿のブートニアも担当する場合が多い。ドレスやタキシードに似合うのはどんな組み合わせか、花が浮かないようにするにはどうすればいいか、きちんと顧客の要望に応えられているか、何よりも花が最大限美しく見えるようにできているのかーーそんなことを考える毎日。

 結婚式というのはほとんど誰しもにとって、一生に一度の晴れ舞台だ。

 一人一人が熱意を持って式に挑むし、込められている思いというのは並ではない。竜胆は彼らに誠心誠意向き合う必要がある。同じ式というのは存在しないので、同じデザインというのもまた存在しない。毎回が唯一無二であり、そこに竜胆はやりがいを感じていた。

 仕事を始めて装花を手がけるようになってすぐ竜胆の名前はブライダル業界で有名になり始め、指名を受けることも多くなった。取材をされたり竜胆が手がけた花の写真が出回ったりと、順調にフラワーデザイナーとしての地位を確立していった。このままずっとこの仕事を続けたいと、そう思っていた。


 だから、突然の父親の訃報に動揺を隠せなかった。

 母によるとどうやら父は一年前から調子が悪かったらしい。竜胆は帰国後、実家にはあまり顔を出していなかった。会社に通いやすい都心のマンションで一人暮らしをしていたし、帰るのは正月くらいだったが、その時父は家にいた。具合の悪いなんて話はしていなかったし、竜胆の話をよく聞きたがり、竜胆は口数少ないながらもぶっきらぼうに説明をした記憶がある。

 それもこれも全て、竜胆に不要な心配をかけないためだったらしい。

 葬儀で使う花は全て竜胆と母とで手がけた。秋だったので、秋の花をこれでもかと使った。竜胆の父に嫌いな花というものは存在しない。花も葉も木も、すべての植物を愛し、慈しむような人だった。

 葬儀の席では遺影を秋の花が取り囲み、安らかな死に顔の父の周囲にみずみずしい花を敷き詰めた。


 ーーその中には、竜胆の名前の由来となったリンドウの花もあった。

 竜胆に竜胆と名付けたのは父であったという。

 秋生まれの我が子に、気高く美しくそして真っ直ぐに育ってほしいという願いを込めて竜胆という名前をつけたのだと、母は葬儀の席で語っていた。

 まっすぐ伸びる茎に大ぶりの紫色の花をたくさんつけ、太陽に向かって花開くリンドウには、「満ちた自信」という花言葉が存在している。その他花の色にかかわらず共通の花言葉として「勝利」「正義」というものもある。薬草として古来より親しまれてきた花だから、病気や怪我に打ち勝つ花というイメージからきた花言葉らしい。それから、「さびしい愛情」というものも。これは群生せずに一本ずつ咲く花姿が由来とされる。

 リンドウという名前のせいかどうかはわからないが、竜胆は常に勉強する気持を怠らず、かつ自信満々で花と向き合い、そして孤高を貫いている。

 葬式の席で、「これから塩崎生花店はどうなるのか」という話がされた。

 閉めるか、続けるか、続けるにしても母が経営者となるのか。竜胆の顔色をチラチラと窺う商店街の人間も多かった。

 この商店街は、今時珍しくシャッター街とならず地域の住人たちが頑張って経営している店が多い。知り合いも多く、だからこそこうして店主が亡くなるとその後のことがどうしても話題となってしまう。

 竜胆はひそひそと囁かれる会話に耳を傾けながらも、その輪の中に入っていくようなことはしなかった。ただただ遺影と、遺影を取り囲む花たちとを見比べる。

 遺影の中の父は穏やかな笑みを浮かべている。かつて竜胆に向けていた、そして店で花に向けていたのと同じ笑顔だ。


(……俺は、どうしたい?)


 遺影を見ながら竜胆は自問自答をした。

 竜胆にとって塩崎生花店はかけがえのない場所である。

 自分が育った場所であり、花が好きになった場所であり、今の自分を形成した場所である。なくなるというのは想像ができない。

 とはいえ、母一人で経営していけるのだろうか。この先のことを考えるとどうしても不安は拭い去れない。

 しかし竜胆にも竜胆の世界がある。せっかく作った今の地位を捨て去って、街の花屋をやるのか。同じ花を扱う仕事でも、商店街の花屋とフラワーデザイナーとでは天と地ほどの差がある。

 どちらがいいとか悪いとかではない。どちらの仕事をやりたいかという問題だ。

 母は竜胆に何も要求しなかった。店に戻ってきてほしいとも、店の手伝いをしてほしいとも言わず、ただ一週間の休業をとった後、何事もなかったかのように店を開けた。

 無理があるのは誰の目にも明らかだった。花屋の仕事は表の華やかさとは裏腹に、力仕事や水仕事が多く過酷だ。週に三日、午前二時に車で家を出て市場に赴き仲卸業者から花を買い、店に行って花の水揚げ。それから店を開けて一日中立ちっぱなしでの接客業務。閉店後には金勘定や事務仕事をし、包装材など足りないものを確認しての発注作業。それを母一人でこなせるはずもない。

 それでも母は黙々と仕事をこなす。

 塩崎生花店を潰さないために。そして、竜胆に今の仕事を辞めさせないために。

 結局竜胆は、塩崎生花店を継ぐことにした。

 その選択に後悔がまるきりないのかと問われれば、わからない。

 けれど、もし継がなければもっと後悔すると思った。

 自分のルーツとなった店ーー愛着のある店。塩崎生花店とは竜胆にとって確かにこの上ない居場所だった。

 だから竜胆は、フラワーデザイナーとしての己を捨てて街の小さな花屋の店長になった。

 もう、一年も前の話だ。

 薄暗い店内でパソコンの画面が光っている。

 織本が確認してくれていたので、アイボリーとワインレッドのリボンがもうすぐなくなることがわかっていた。それから、白い包装紙と輪ゴムも。今から発注をかけないといけない。

 竜胆は忙殺されている。毎日何かを深く考える暇がないほど、目の前の業務に追われ続けている。睡眠時間は平均四時間。休日は週に一度。本当ならば定休日は設けたくない。いつでも開いている方が気軽に来店してもらえるし、もしかしたら休みのその日にどうしても花が必要な人だっているかもしれない。この街に花屋は塩崎生花店しかないのだ。あとは駅を渡って反対側のスーパーで申し訳程度に売られているだけだ。盆と年末年始以外は店を開けていたかった。

 だが、今の人員で休日なしにしてしまうと、どう考えても竜胆の体がもたない。苦渋の決断だった。

 街の花屋の仕事も悪くはない。ただ、物足りないという気持ちがどうしても心の中に燻っている。塩崎生花店は狭く、扱う花材に限りが出る。誰もが知っているメジャーな花を取り揃え、無難なアレンジメントを作る。それは、同じ花を扱っていても、式場の装花とは全く異なる仕事だ。あの時は珍しい花材をたくさん扱っていたし、一件一件異なるデザインをしていた。もっと大きな仕事がしたいと、実は思っているのだろうか。


「くそっ」


 竜胆は事務机に手をついて頭をかきむしった。あまり考えないようにしていたのに、今日織本から式場の装花の話を持ちかけられた途端にこのザマだ。

 塩崎生花店を継ぐと決めた時に捨て去った夢が、やりがいが、あっという間に竜胆の胸の内に押し寄せて支配する。


 ーー本当はもう一度、以前の仕事をしたいのだ。

「…………無理だろ」


 竜胆は自分自身に言い聞かせる。


「決めたのは、自分だ。だから、未練なんて感じてんじゃねえよ」

 はぁ、と大きくため息をつき、竜胆はパソコンの画面に向き合った。

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