第14話 TS転生おじさん、見守られる。

「何をニヤニヤしてるんですか、親方」


「ん? いやあ、別にい? ニヤニヤなんかしてねえぞ儂は」


「可愛い女の子に鼻の下を伸ばすのも結構ですが、女性はそういった視線にはすぐに気が付きますよ?」


「いやいや! そんなんじゃねえって! 儂はただお前さんが、ようやくうちに友達を連れてくるようになったんだなあと思うと嬉しくてだな!」


「なるほど、それは大変失礼致しました」


 マンダリンお嬢様とクレレさんのふたりから友達認定され、彼女たちがうちに遊びに来るようになったことを、親方は迷惑がるどころか逆に喜んでいるようだった。


 騒がしくして家主の不興を買うのはまずいのではと心配になったので、そう言ってもらえると助かるのだが、私もそろそろ親方の家を出て、独立すべきだろうか。


 でもなあ、独り暮らしは寂しいんだよなあ。前世、私は中学生の凛子を独り残して2か月の単身赴任に行かなければならなくなったことがあったのだが、あの時は地獄だった。


 娘が心配な気持ちと、見知らぬ土地で独りぼっちな寂しさから、毎晩凛子に長電話をして呆れられたものである。


 むしろ凛子の方はうるさい父親がいなくて清々したかもしれないが、私の方は孤独感を紛らわせるために毎晩ホテルでお酒ばかり飲んでいた記憶しかない。


「ほんとによかったのか? 折角友達が遊びに来てくれたってのに、あんなに早く帰しちまってよ。晩飯の買い出しなら俺が行ってきてもいいんだぜ? なんならケーキとかクッキーとか、買ってきてやろうか?」


「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。あの年頃の女の子は、ダイエットだなんだとあまり甘いものは食べませんから」


「そうなのか? でも、アップルパイを食いに行こうって話してたじゃねえか」


「聞いてたんですか?」


「違う違う! たまたま便所に行った時に聞こえちまったんだよ! というか、あんだけ大声で喋ってたら嫌でも聞こえちまうだろ!?」


「それはそうかもしれませんね。すみません、次からはもう少し静かにしますので」


「いや、構わねえよ。賑やかなのはいいことだ」


「ありがとうございます。私もそう思います」


 流行りのお洒落だとか、人気のスイーツだとか、新作のお洋服だとか。若い女の子たちの会話に、中身がおじさんである私はどうしてもついていけない。


 私が好きなのはお酒と煙草だが、そのどちらもまだ13歳のこの体では味わうことができないのが辛いところだ。この国にはお酒と煙草は20歳から、という法律はないのだが、どうしても前世が日本人だった身としては抵抗があるのだ。


 ちなみに楽器工房内では絶対禁煙である。なんでも煙草の煙が染み付いてしまうと楽器に悪影響が出るらしく、それをまだ理解できない新入りの職人さんが言い付けを破ってうっかり煙草を吸おうものなら着火前に袋叩きにされる。それはもう手荒に。


 なので受動喫煙で煙草を吸った気分になろう作戦は失敗に終わってしまった。親方も、以前はうちの中で煙草を吸っていたのに、今では『お前さんの体に悪いから』という理由で禁煙を続けている。お願いだから是非吸ってほしい。


『煙草を吸ってる男性って、なんだか大人の男って感じがしてかっこいいですよね。だから遠慮なく吸ってくださって構わないんですよ? 煙草を吸う親方の横顔、私は素敵だと思いますけど』


『煙草の香りが染み付いた男性って、なんだかお父さんって感じがして安心するんです。私は孤児で父親の顔を知らないので、あくまで勝手なイメージですが。だから吸いません? だめ?』


 ちなみに前世、私はヘビースモーカーだった。凛子の体に悪いといけないので家では決して吸わないようにしていたが、職場では普通に吸っていた。社会人的には職業柄喫煙室コミュニケーションが必須だったというのもあるが。


「……なあヌエ」


「なんでしょう?」


「もしお前さんが、来年からでも音楽学院に入学したいってんなら儂は」


「断固としてお断りです」


「そ、そうか」


「はい。そもそも私は歌手にも演奏家にもなりたいとは思いませんし、平民いじめが横行しているような学院であればなおさら御免ですね」


「全員が全員そうだってわけじゃねえだろ。それに、イカルガ楽器工房の看板背負った奴をいじめるバカがいると思うか?」


 親方が何を言いたいのか分からずにきょとんとしていると、不意に親方が私の頭に手を乗せた。そのまま優しく頭を撫でる親方の父性あふれる優しい笑顔を見ていると、少女の体に勝手に触れるのはセクハラですよ、と言い辛くなる。


「なあヌエ。孤児だからって引け目を感じる必要なんかねえんだぜ? 今は儂らがお前さんの家族みたいなもんなんだからよ。こんなむさ苦しい家族なんざ年頃の娘にとっちゃ恥ずかしい存在かもしれんが、それでも儂らはお前さんのことを大事に思っとる」


「それは、はい、ありがとうございます。恥ずかしいだなんて思いませんよ。私も皆さんのことを、大切な仲間だと思います」


 ようやく合点がいった。なるほど、イカルガ親方は私が頑なに音楽学院に行こうとしないのは、本当は行きたいのに我慢しているからだと勘違いしているのだろう。


『つまんないの! ヌエちゃんもうちの生徒だったらよかったのに! ねえ、来年からでも入学しない? そしたら先輩として色々教えてあげられると思うし!』


『まあ! それは(あなたにしては)よい考えですわね! ヌエ様の素晴らしい歌声と公爵家からの推薦状が合わされば、主席&特待生の座はもらったも同然ですわ!』


『ありがとうございます。ですが、私は今の仕事に誇りを持っていますから』


『ただの事務員なのに?』


 確かに年頃の娘が13歳で働いているのに同い年の友達ふたりは楽しそうに学校へ通って青春を謳歌しているのをただ外野から眺めていることしかできない立場からすれば、不憫に感じてしまってもなんらおかしくはない。


 だが、それは大いなる誤解である。私は今更若者に混じって学校に通いたいとも思わないし、給料も待遇も非常にいいベリーホワイトな今の職場で安定した収入を得られる方がずっと嬉しいのだから。


「親方」


「おう」


「お気遣いありがとうございます。でも、私は学校に行くより親方の下で働いている方が楽しいんです。本当ですよ? 今更仕事を辞めてまで学校に行くだなんて、とても考えられません」


「お前さん、それは」


「だから、これからも(定年まで)末永くよろしくお願い致します」


 私の頭を撫でたままの状態で、ビシリと固まってしまった親方の手を取り、両手で握り締め懇願する。お願いですからどうかリストラだけは勘弁してください! 失業保険も労働組合もないこの世界で、無職にだけはなりたくないんです!

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