第12話 TS転生おじさん、相談に乗る。

「ごめんなさい。ご来場のお客様に恥ずかしいところを見せてしまって。恥ずかしすぎていっそ死にたいわ」


「いえ、別に。何があったかは存じませんが、早まってはいけませんよ、お嬢さん」


「ありがとう、優しいのね。優しくされるとますます惨めになって、物凄く死にたくなってきたわ」


「ですので、どうか落ち着いて。一体何があったのですか?」


「ごめんなさい。思い出すだけで猛烈に死にたくなるの。なんであんなことになっちゃったんだろうって」


「ああ、ありますよねそういう時って。私も仕事で大きなミスをしてしまった時はそうでした」


 中庭の誰もいない女子トイレの個室で号泣していた彼女は、クレレと名乗った。頬に絆創膏を貼っているので、恐らく彼女こそが演奏会の途中でヴァイオリンの弦が切れるトラブルに見舞われてしまった可哀想な子なのだろうと察することができた。


 泣き腫らして真っ赤になった目が痛々しく、私は水道で濡らしたハンカチを彼女に差し出す。私の考えた通り、彼女が泣いていた理由は、今日の新入生歓迎会で大失敗をしてしまったことが原因らしい。


 確かに、あの時はホール全体に大きなどよめきが走っていた。客席から観ていただけの私でさえ、可哀想に、と些か動揺してしまったのだから、当事者である彼女の精神的動揺は私の何倍も、何十倍も、何百倍も大きかったに違いない。


「私、田舎から出てきたの。お父さんとお母さんが必死に働いてお金を貯めて、それだけじゃ足りなくて、村のみんなが私のためにカンパしてくれて。クレレなら絶対立派な音楽家になれるって! 今日だってお父さんとお母さんと、村を代表して村長さんが応援に来てくれたのよ! それなのに私、まさかあんなことになるなんて! 私、私、もうみんなに合わせる顔がないわ!」


 身の上話をしているうちに、また盛大に泣き始めてしまった。あまりの狼狽ぶりに、なんと慰めの声をかければよいのか分からなくなる。部外者にすぎない私の軽率な慰めの言葉など、今の彼女には逆効果だろう。


「それは確かに顔を合わせ辛いですね。ですが、御両親や村長さんはあなたのことをとても心配していらっしゃると思いますよ」


「それだけじゃないわ! 伝統ある春の演奏会で、クラスの演奏をだめにしちゃったんだもの! きっとクラスのみんなから恨まれるに決まってるわ! お前のせいでうちのクラスの発表が台無しになったって! 私のせいで来賓の方々から不興を買ったに違いないって! 全部私のせいよ! もうおしまいなんだわ! クラスのみんなに合わせる顔もないの!」


「将来に関わる大事な発表会ですもんね」


 あれ? でも。


「……そんなに大事な発表会だというのに、あなたは弦の手入れを怠ったのですか?」


「そんなわけないじゃない! 入学してから毎日ずっと、ヴァイオリンの手入れは欠かさずにやってきたもの! 確かにクラスのみんなが持ってるような、うんと高くて立派な楽器に比べれば安物かもしれないけれど、それでも私にとっては村のみんなが真心込めて買ってくれた大事な宝物なのよ! だから昨夜だってちゃんと、寝る前に5回も問題ないことを確認したのに! それなのに今日になって急に切れちゃうだなんて、きっと音楽の神様は私のことが嫌いなんだわ! お前のような才能のない奴は田舎に帰れって怒ったのよ!」


 それが本当だとしたら、なんだかきな臭い話だ。きちんと手入れをされた楽器の弦が急に切れるなんてことは、そうそう滅多に起こるものではない。私の考えすぎかもしれないが、もしかしたら、誰かが彼女のヴァイオリンに細工をしたんじゃないだろうか。


 ひょんなことから田舎から名門校に上京した少女が、運動靴に画鋲を入れられるとか、ラケットに細工をされるといったいじめは、昭和の少女漫画ではありがちな展開だった。無論、現実と少女漫画を混同してはいけないとは思うのだが、両手で顔を覆って泣くクレレさんを見ていると、どうにも彼女が気の毒になってきて。


「……うーん……」


 正直に言えば、部外者である私が首を突っ込むべき問題でないことは承知していた。そもそもが誰かが彼女のヴァイオリンに細工をしたかもしれない、というのは私の邪推にすぎないし、本当にただ運が悪かっただけの可能性もある。だけど、もし本当に誰かが事故を仕組んだのだとしたら、それは。


『いいかヌエ。楽器ってのはどんだけ法外な高値がつこうと、所詮はただの道具だ。道具はそれを使う人間がいてこそ初めて感動を生む。俺らは愚直に目の前の楽器に向き合うことしかできねえ不器用な職人だが、だからこそそれを使う『人』の存在をいつだって疎かにしちゃならねえんだ』


 いつかの親方の言葉が脳裏をよぎる。もし誰かが本当に楽器を傷付けたのだとしら。いいや、楽器だけじゃない。クレレさんの心まで傷付けたのだとしたら。それは、赦されざる罪だ。


「つかぬことを伺いますが、あなたのヴァイオリンは今どちらに?」


「え? こ、ここにあるけど!」


「……ヴァイオリンを持ったままトイレに?」


「だ、だってしょうがないじゃない! ヴァイオリンを抱えたまま保健室に連れていかれて大急ぎで手当てしてもらって、それで急いで舞台袖に戻ったうちのクラスの発表はとっくに終わってて! それで! それで! うわあああああん!」


「分かりました。とにかく落ち着いて」


「そんなの無理よおおおおお! もう死ぬ! 死ぬしかない! お父さんにもお母さんにも村長さんにも村のみんなにも、クラスのみんなにももう合わせる顔がないわああああああ! ああああああ!」


 泣きじゃくる彼女に頼んで、なんとかヴァイオリンを見せてもらった。杞憂であればそれでよいのだが。いや、彼女のためには、杞憂でない方がよいのだろうか?


「これは!」


「え!? 何々!?」


 嫌な予感ほど当たるものだ。うっすらと血の付着した弦には、あきらかに誰かが細工をした痕跡があったのである。


「ここ、分かりますか? 切断面の半分が無理矢理引っ張られたように伸びてしまっているのですが、もう半分は綺麗なままなんです。自然に切れてしまったのならば、こうはなりません。あきらかに誰かが刃物を入れた跡ですよ」


 私が弦を掴んで切断面に顔を近付けると、彼女は驚きに目を見開いた。イカルガ楽器工房には、楽器を修理してほしいという依頼が持ち込まれることもある。職人さんたちが雑談がてら色々教えてくれるため、私も自然と覚えてしまった。


 門前の小僧習わぬ経を読むと言うが、まさにそれだ。その知識がこうして役に立ったのだから、皆さんには感謝するしかない。


「そ、それって!?」


「はい。誰かがあなたのヴァイオリンに、弦が切れやすくなる細工をした証拠です。音楽学院の教師であれば、これを見ればすぐに何が起きたかわかるでしょう。すぐに信頼できる先生に相談なさった方がよろしいかと」


「そ、そんなのって! 酷い! 赦せない!」


 それまでの悲しみに暮れた姿とは一転。メラメラと怒りの炎を燃やすクレレさん。だがすぐに怒りの炎が鎮火したのか、再びワっと顔を覆って泣き始める。


「でも! たとえどんな理由があったとしても! 私がお父さんやお母さんや村長さんをガッカリさせてしまったことに変わりはないのよ! 酷いわ酷いわ! いくら私が田舎者で平民だからって、こんなのってないわ!」


「そうですね。本当に酷いと思います。犯人がどんな理由でこんなことをしたのかは分かりませんが、音楽に関わる者として、こんな卑劣な真似をする奴は最低ですよ!」


 もしイカルガ親方が丹精込めて作った楽器にこんな仕打ちをされたら、私だってキレるだろう。クレレさんのために、決して安くはない楽器を一生懸命働いて買い与えてあげた親御さんの気持ちを思えば、どれだけ辛いかは想像もできない。


 ひょっとしたら、自分たちが安物を買い与えてしまったせいで娘が晴れ舞台で恥を掻いてしまったのではないかと、不安になって自分を責めている可能性だって十分にあり得るのだ。少なくとも、私がクレレさんの父親だったらそう考えるに違いない。


 『音楽は人を幸せにするもの、楽器はその手助けをするもの。』という親方の信条に泥を投げつけるような蛮行が、私にはどうしても赦せなかった。誰かを不幸にするために楽器を傷付け悪用するなんて、最低の行いだ。


「クレレさん。まずはご両親に事情を説明しませんか? このままあなたに会えないままでは、それこそ親御さんたちも気が気でないでしょうし」


「だめよ! 絶対だめ! 学院でいじめられてるだなんて、お父さんとお母さんには絶対に知られたくない! ましてこんな嫌がらせまでされただなんて、言えるわけないじゃない!」


「ですが、このまま誤魔化し続けるのは不可能ですよ。合わせる顔がないからと言って、この先一生ご家族と顔を合わせないつもりですか?」


「……そうよね。折角遠い村から何日もかけて私の応援に来てくれたっていうのに、折角の初舞台がこんな最悪の形で終わってしまって、しかも私が会いたくないと逃げてしまったら、お父さんたちきっと悲しむわよね」


 クレレさんは私が貸したハンカチで涙を拭うと、女子トイレの洗面台で顔を洗い始めた。自分が一番辛いだろうに、それでも親御さんの気持ちを慮れるだなんて、強い子だ。こんないい子をいじめるような奴がいるのだと思うと、怒りと憤りがわいてくる。


 赤の他人ではあるものの、ひとりの父親として、私は彼女を不憫に思った。たとえ自分の娘でなくとも、最愛の娘と同じ年頃の少女が苦しんでいるのを見て見ぬふりなどできるわけがない。


「助けてくれてありがとう。えっと、あなたは?」


「申し遅れました。私、イカルガ楽器工房に勤めるメヌエットと申します」


 社会人の必携品である名刺を取り出し、彼女に差し出されたハンカチと入れかわりに手渡した。イカルガ楽器工房に勤めるようになってから、名刺があると便利だなと気付き、仕事で外出する時は常に持ち歩くようになったのだ。


「イカルガ楽器工房って、あの人間国宝の!?」


「はい。あのドワーフ国宝の」


 彼女は受け取った名刺を両手でワナワナと握り締めながら、泣き腫らした真っ赤な目をカっと見開いた。やはりイカルガ親方の名声は世界中に知れ渡っているらしい。


「もし事件を握り潰されたり、揉み消されそうになった時は、その名刺を使ってください。少なくとも、何も後ろ盾がない状況よりは学校ぐるみで隠蔽される確率が下がると思います」


「でも、あなたに迷惑がかからないかしら?」


「誰かが大切にしている楽器をこんな風に傷付ける輩が野放しになっているような状況を放置するぐらいなら、迷惑をかけられた方がはるかにマシです」


 私はクレレさんの手を取り、握り締めた。勝手に親方の七光りを借りる形になってしまったが、親方のことだ。きっと事情を聞いたら私以上に激怒するに決まっている。


「クレレさん。学院の関係者ではない、部外者である私が協力できることはあまり多くありません。ですが、私はあなたの味方をすると決めました。だから、どうか挫けないでください。今日の失敗は、あなたのせいではないのです」


「……ありがとう! 本当にありがとうメヌエットさん! このお礼はいつか必ずするわ! 私、負けないから! いじめなんかに負けたりするもんですか!」


 彼女は私を強く強く抱き締め、それから名刺とヴァイオリンを大事そうに抱き締めながら、女子トイレから飛び出していった。事件が無事に解決するといい。彼女が笑顔で過ごせる日が来るといい。心からそう願う。


 と同時に、私は自分がトイレに来た目的を思い出し、慌てて個室に駆け込んだ。

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