第10話 人間国宝、見違える。

「あまりジロジロ見ないでください」


「よく似合ってるぞ」


「だから困ってるんですよ!」


「なんでだよ。似合わねえよりはいいだろうが」


「口で説明するのは難しいんですッ!」


「なんだそりゃ。ますます意味が分からん。それに、工房じゃねえんだから伊達眼鏡は外してきてもよかったんじゃねえか?」


「少しでも顔を隠したいので!」


 王立学院主催・春の演奏会に向かう道中。王立学院の紋章が刻まれた送迎馬車の中で、儂はドレス姿で頭を抱えるヌエがきちんと着飾った時の美しさに正直驚いとった。


――


『あの、すみません。求人票を見てきたのですが』


 最初に会った時は、随分と可愛らしい顔の男の子だと驚いたもんだ。女の子だと知ってからはもっと驚いた。よそはどうか知らんが、うちの工房は荒くれ揃いの男所帯だ。


 昔は女の職人もいたが、いつの間にか辞めてしまい、残ったのはデリカシーのない野郎や儂が拾ってきたじゃじゃ馬ばかり。楽器工房というより工務店みてえな顔ぶれが揃ってやがる。


 そんな野郎ばっかのむさ苦しい職場で働きたいと言うからには、よっぽど追い詰められた事情でもあんのかと思い調べさせたところ、ヌエは貧民街にある孤児院に住む孤児であることが判った。


 生活には困窮しとるかもしらんが、別段うちにこだわる理由はない。あの顔ならもっといい仕事だってできるだろう。少なくとも、儂がパン屋や飯屋や花屋だったら顔で採用すること間違いなしだ。


『志望動機ですか? はい。御社の『王様だろうが神様だろうが音に嘘は吐けねえ。』『音楽は人を幸せにするもの、楽器はその手助けをするもの。』という素晴らしい理念と、人間国宝でありながら地域に根差した活動を重視する斬新な社風に感銘を受け……はい、回りくどいのはなしで、もっと手短に、かつ正直に、ですか? 分かりました。お恥ずかしながら福利厚生……賃金と待遇がよかったもので。私、孤児院暮らしなのでお金が必要なんです。孤児院にいる幼い子供たちのためにも、将来的に自立する時のためにも』


 聞けば孤児院の孤児たちは13歳になったら出て行かなければならないという。少し話してみただけで分かったが、こいつは頭がよく空気も読める。孤児でありながら、読み書きや計算もできるらしい。


 採用するのに躊躇いはなかった。うちの工房に潜り込みたいどっかの貴族の手先だの、ライバル工房の息のかかった工作員だの、胡散臭い信用の置けない女どもに比べれば、はるかにマシだ。


『おはようございます。朝ご飯できてますよ。今日は味噌スープと卵焼きと、それから鮭の塩焼きです。卵焼きは甘い方が好みでしたよね? うんと甘くしておきましたから、お楽しみに』


『徹夜もいいですが、あまり根を詰め込みすぎないようにしてくださいね。親方に何かあったらイカルガ楽器工房はおしまいですから。眠気覚ましのコーヒーより、グッスリ眠れるホットミルクを淹れましょうか』


『お風呂上がりにそんな恰好でウロウロするな、ですか? すみません、孤児院では子供たちの面倒を看るのに手いっぱいで、自分のことにまで気が回らなくて。以後気を付けます』


『うちの親方だって、音楽に関しては心にもないお世辞を言うような人では断固としてありませんから!』


『そうですね。親方のいい仕事とお嬢さんの明るい未来に、乾杯』


 楽器職人としての輝かしい栄光とは裏腹に、良縁に恵まれなんだ儂にとって、ヌエは初めてできた娘みたいなもんだった。男子三日会わざればと言うが、女子の成長はもっと早いように感じるのは儂が他の少女に縁がなかったからだろうか。


 元から良妻賢母の素質を感じさせるおっとりとしたいい娘だったが、いつの間にか野暮ったい眼鏡やオーバーオールでも隠しきれない美人に成長して、誰もが振り返る魅力的な女に成長しつつある。人の顔色を窺う癖があるのは孤児院育ち故だろう。


 常にどこか憂いを帯びたような、陰のある雰囲気。こいつは儂が幸せにしてやらんと、と男に思わせる佇まいをしているのに、それでいて誰かに寄り掛かることもなく自分の足で立ち、そして、ふとした瞬間に見せるあどけない年齢相応の表情。


 それが親心によるものなのか、男心によるものなのか、儂でさえ分からんのだ。そりゃあ、工房の独身野郎どもにモテモテになるのも頷ける。普段はしっかりしているのに、時々妙なところで抜けているというか、隙があるから余計に。


――


「それにしても、こんな豪華なドレスを経費で落として頂いてよろしかったのですか?」


「構わん。お前さんもうちで働いとる以上、こういったきちんとした格好で出かけなきゃならん機会も今後増えてくるだろうからな。それに、きちんとしたもんが一着でもあれば、今後知り合いの結婚式だのなんだのに招かれた時でも着回せるだろうよ」


「なるほど、確かに冠婚葬祭はどこの国にもありますもんね」


「なんだ他人事みたいに。お前さんもいつかは結婚して、うちを辞める時が来るだろうよ」


 給金は弾んでやってる。色をつけてやってるから、とっくに引っ越せるだけの貯蓄はあるだろうに。こいつはいつまで経っても儂の家から出て行かん。出て行ってほしいとは思わんが、何故だ、という気持ちは強い。


 ヌエのような若い娘は、儂のようないかつく毛深いドワーフの親爺の世話なんぞ焼きたがらんだろうに。儂は一度だって、ヌエから人間の女によく向けられる、軽蔑的な、見下すような視線を向けられたことはなかった。


「ご冗談を。私は誰とも結婚しませんよ」


「だが、言い寄ってくる男は多いだろう。工房の野郎どもにもモテモテじゃねえか。儂が言うのもなんだが、将来有望な職人が多いぞ、うちは」


「収入の問題ではありません。主義の問題です。親方だって、独身でしょう?」


「儂の場合はそりゃあ、ちっとも異種族の女にモテんからな。こんな毛深いチビのドワーフ親爺の旦那なんぞ、人間やエルフの女からすりゃあ嫌だろうよ」


 お前さんだってそうじゃねえのか? という言葉は、寸でのところで堪えることができた。そんな女々しいことを言う男だとは思われたくなかったのだ。


「結婚相手に求めるべきは、容姿よりも性格でしょうに」


「なるほどな。そもそもが結婚相手として求められねえんだから、そりゃあ内面に目を向けられるチャンスも儂にはないわけだ」


「それは勿体ない。親方はいいお父さんになりそうなのに」


 車輪が小石でも踏んだのか、ガタン、と送迎馬車が跳ねる。その拍子に隣に座るヌエの体が儂の方にぶつかってきたせいで、咄嗟に受け止めてやるのに必死でその言葉の真意を尋ねるチャンスを逃しちまった。


「っと、すみません」


「ああ、いや、別に構わん」


 ずれちまった分厚い伊達眼鏡を上げながら、ヌエが謝罪の言葉を口にする。


「そろそろつきますかね」


「あ、ああ。そうだな。もうすぐつくだろうよ」


「親方は来賓席の方に行くんでしたよね? 会場内に入ったら別行動ですね」


「おう。独りで不安かもしれんが、くれぐれも気をつけろよ?」


「大丈夫です。イカルガ楽器工房の従業員として、相応しい振る舞いを心がけますので」


 そういう意味で言ったわけじゃねえんがなあ。普段は無造作に結ってるストロベリーブロンドのサラサラの長髪。同年代の若い娘の中に混じっても特に人目を惹くであろう可愛らしい顔立ち。それから、ドレスを着ていても目立つ豊満な胸。


 儂がスケベジジイってわけじゃねえぞと言い訳しておくが、同年代のガキどもからすれば誰だあの可愛い子は、と話題になっても無理のない美人だ。ナンパとか、されるんじゃねえだろうな、と。ちと、いやかなり大分、不安になっちまった。


 ソニック公爵の親心がよく分かるようになったのは、間違いなくヌエの影響だろう。同じ年頃の娘を持つ男親の気苦労が痛いほど理解できる。まさか豪放磊落で知られた儂がこんなにも心配性の親バカになっちまうもんだとは、夢にも思わなかったぜ。

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