第9.5話 マイ・フェア・メニィ

 きちんとしたドレスをちゃんと買うように、とのお達しがあった数日後。私はイカルガ親方に連れられ、王都でも指折りの高級ブティックが建ち並ぶ繁華街に連れてこられてしまった。


「あらあらまあまあ! イカちゃんじゃないの! お久しぶりねえ!」


 BRAVO×BRAVO。ブラヴォー・ブラーヴォと読むらしい。店長さんは細マッチョの上品そうなオネエさんだった。


「おう。すまんがこいつに仕事用のドレスを見繕ってくれんか。1から仕立てとる暇はないから既製品で似合う奴を」


「よろしくお願いします」


「あらあらまあまあ! こんなに可愛い女の子を連れてくるだなんて、あなたも隅に置けないわねえ!」


「バカタレ! うちの従業員だ!」


「冗談ヨ、冗談!」


「経費で落とすからなるべく安いので頼むぜ!」


「あら? うちの店に安物なんか置いてなくってよ?」


 彼……彼女? は両手で私の手を取り、ニッコリ微笑む。


「初めまして! 私はEXSEXファッションのパイオニアにして世界一のFREEデザイナー! ナインスと呼んで頂戴!」


 要するに、性別や年齢といった既存の枠組みに囚われないファッションを追求するお店なのだそうだ。


「ファッションに大事なのはただひとつ! それが本人に似合ってるかどうかなのヨ! あ、でも勘違いしないで頂戴ね! 似合わないものを着るなって言ってるんじゃなくて、どうせ着るなら似合うものを選びましょってことで、アタシの使命はお客様の『こういう服を着たいんだけど』って要望に、最高に似合う一着をお届けすることなの! 深紅のドレスが着たいおじさんにはその子に最高に似合う深紅のドレスを! 赤い褌を締めたい少女にはその子の魅力を最高に際立たせる世界一の赤褌を! 赤い靴を履いてお葬式に行きたいお婆ちゃんにはお葬式に相応しい最高にエレガントな赤い靴を! それがアタシのポリシー!」


「本名のダイク・ゴンザロで呼ぶと満面の笑顔で怒るから注意しろよ」


「んもう! 知らなきゃそう呼ぶこともないでしょ! さて、そんなアタシから見たあなたのセンスは……」


 ナインスさんが私の格好をジロジロと観察する。しまった、最低限おしゃれをしてくるべきだっただろうか。仕事終わりに職場から直行してきたため、今の私はいつものオーバーオール姿なのだ。


「合格! いいわあ! その野暮ったい眼鏡と野暮ったいオーバーオールの組み合わせに更に野暮ったいみつあみを追い野暮していく足し算の美学! 頭に野暮ったいタオルを巻いていたらもっと完璧だったけれど、あえてそのストロベリーブロンドの髪と顔を見せながら隠すという高等テクニックで気付く男にはしっかり気付かせていくスタイル、あざとすぎてムカつくけど嫌いじゃないわ! あなたいいわよ! 自分の魅力ってもんをしっかり把握してるみたいね!」


「は、はあ。ありがとうございます?」


 酷評されるどころか何故か絶賛されてしまった。


「なるほどなるほど! 普段は野暮ったいあの娘が見違えるように素敵なドレス姿で登場する、みたいなシチュエイシヨンをやりたいわけね? んもうイカちゃんったら(検閲済)なんだから! 男の人ってほんとそういうのが好きねえ! ドレスの裾は股を開……動きやすい実戦派がいいかしら? それともお清楚な本格派?」


「だあから! 違うって言ってんだろうが!」


 随分と騒がしい店長さんだったが、腕は確かなようで、彼女が持ってきてくれたドレスはいずれも私によく似合うものばかりだった。何度も何度も着替えさせられてヘトヘトになりながらも、鏡に映る少女メヌエットの姿は紛れもない美少女のもので。あっちもいい、こっちも似合う、でも買えるのは一着だけ、とあらば、私もこの子に一番よく似合うものを、と段々乗せられてその気になってしまう。


「どうですか? 似合いますか? 親方」


「あん? ああ、似合う似合う。何着ても似合っとるからさっさとどれにするか決めてくれ」


「もう! デシカリイがないわねえ! そんなだから大金持ちなのにモテないのヨあなた!」


「ほっとけ!」


 段々親方の態度にも疲れが見え始めた。前世、私は妻や娘の凛子の買い物に長々と付き合わされることを苦痛に感じたことはないが、休日のショッピングモールなどでは疲れた顔のお父さんたちがソファや椅子に座って項垂れているのをよく目撃したものだ。今の親方からは、彼らからとてもよく似た哀愁のようなものを感じてしまった。


 とはいえそれを責めるつもりはない。付き合わせてしまったのは私なのだから、さっさと決めるべきは私であるのもまた事実である。わざわざ親方の貴重な時間を削って連れてきてもらったのだから、それをいたずらに浪費してしまうのは申し訳ない。


「あはは、すみません親方。それじゃあ、さっきの青いドレスをください」


「しょうがないわねえ。ほんとはもっとあなたと楽しみたかったのだけれど。それで、あの青のドレスでいいの?」


「はい。あの色とデザインならどこにでも着ていけそうなので」


「色気がないわねえ」


「あはは、すみません」


 おじさんに色気は必要ないんですよ、とは言えないもんなあ。


「ま、いいわ。うちの服はどれも高いし、働き始めたばかりの若い子に無茶は言えないものね。またそのうち買いに来て頂戴!」


「はい、ぜひ」


 なおドレスのお値段は本当に高かった。レジで目玉が飛び出るかと思った。


「親方! ちょっと親方!」


「あん?」


「これ、信じられないお値段しますよ! 今からでもごめんなさいして、もっと安いのにした方がいいんじゃありませんか!?」


「バカ言え。儂は嫌だぞ、また待つの」


「だからって!」


「いいんだよ、儂が経費で落とすっつったろ」


 結局親方に問答無用で押し切られてしまい、私は私の月収の3倍以上するドレスを買い与えられてしまった。信じられない。親方が人間国宝であり、楽器をひとつ作るだけで私の年収をはるかに上回るとんでもない額の報酬を受け取っていることは理解していたが、金銭感覚まで国宝級だったとは。


「また来て頂戴ねえ!」


 笑顔で手を振るナインスさんに見送られ、私たちは帰路につく。ドレスは私の体型に合わせて少し手直ししてから、後日自宅まで郵送してくれることになった。


「なんだかすみません。ありがとうございます」


「何、必要経費だ必要経費。お前さんにみすぼらしい格好させて公の場に出してみろ。イカルガ楽器工房は従業員にまともな賃金支払ってねえんじゃねえかって白い目で見られちまうぜ?」


「ああ、そういう側面もあるのですね」


 それを言われてしまうと納得するしかなかった。確かに彼の言う通りだ。今回私は、イカルガ楽器工房の従業員・メヌエットとして招待を受けたのだから、私の言動がそのままイカルガ楽器工房の評判を上下させる可能性があることを失念してしまっていた。なるほど、それなら確かにきちんとしたものを経費で、と言われても納得だ。


「ま、折角いいもん買ったんだ。その分も演奏会を楽しめ」


「そうします。ありがとうございます、親方」


「ん」


 今後は自分が世間からどう見られるのかということに関しても、きちんと考えなければ。親方は普段は気さくで優しい、みんなのお父さんみたいな頑固職人だけれど、本来であれば王家や貴族のお抱えとして召し抱えられていても不思議ではない雲の上の人であるのだから。

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