第8話 TS転生おじさん、飲む。

「死ぬかと思いました。二重の意味でクビが飛ぶかなと」


「お疲れさん。損な役回りだったかもしれんが、よくやったな」


「本当ですよ! 二度と貴族絡みのお仕事には関わりたくないです!」


「それは無理な注文だな。なんせ儂、人間国宝だから。これからもバンバンお偉いさんからの注文が入ってくるだろうから、覚悟しとけ!」


「そんなあ!」


「がっはっはっはっは! 安心しろ! お前さんのことは儂が守ってやらあ!」


「本当に頼みますよ! さっきみたいなのはもう二度と御免ですからね!」


 夕方。親方の運転する軽トラで半死半生になりながら工房まで帰ってきた私は、そのまま工房の駐車場に車を置いて親方とふたりで飲みに行くことになった。いわゆる打ち上げだ。支払いは勿論親方の奢りである。


 親方の行きつけの地下にある大衆酒場は夕方だというのに既に繁盛しており、私たちは個室に案内された。特別な常連さんしか使えないというその個室は、今日のような貴族絡みの話をするにもピッタリなのだそうだ。


「いやはやそれにしても、普段はおっとりしたお前さんが儂のためにあそこまで怒ってくれるたあ予想外だったぞ。儂、正直嬉しかったぜ?」


「はあ、すみません」


「なんで謝るんだよ! 褒めてんだよ儂は! さあ、今日は儂の奢りだ! どんどん飲め!」


 親方は上機嫌になりながら、運ばれてきたジョッキでビールを飲んだ。異世界にもビールはあるらしい。どうやらこの世界のお酒はビールとワイン(ブドウ酒)が主流なようだ。


「お気持ちはありがたいのですが、私はまだ未成年なのでノンアルコールでお願いします」


「あん? なんだそのノンアルコールってのは」


「お酒はだめって意味です」


「そうかい。まあ、それならそれでジュースでもなんでもじゃんじゃん飲め!」


 本当は私だって飲みたい。でも、この体は13歳の娘さんの体だから、さすがにそれで飲酒はまずいだろうと我慢するよりなかった。なので、せめてものお酒気分を味わおうと頼んだのはリンゴの炭酸ジュースだ。


「お前さんのことだから分かってるとは思うが、今日のことは絶対に他言無用だぞ? さすがに儂でも庇いきれんことはあるからな」


「言われずともそのつもりですよ。折角首の皮一枚繋がった気分なのに、自分から死にに行くような真似はしたくありませんからね」


 守秘義務守秘義務。噂はどこから漏れるか分かったものではない。前世、上司がキャバクラの席で守秘義務を漏らしてしまったせいで解雇される瞬間を目の当たりにしてしまったことがあるからな。お酒は怖い。男の見栄はもっと怖い。


「ま、何はともあれ無事に公爵家からの依頼も果たしたんだ! あのピアノとお前さんの度胸に、乾杯!」


「そうですね。親方のいい仕事とお嬢さんの明るい未来に、乾杯」


 それから私たちはしっぽりお酒の席を楽しんだ。私はジュースだったがお酒好きのイカルガ親方がバカバカ飲むせいで、アルコールの臭いが室内に充満し空気を吸っているだけで酔ってきそうだ。


 それにしても、いくら食べても胃もたれのしない若い体というのは素晴らしいな。私は山盛りの唐揚げや串焼きや焼き鳥なんかをモリモリ食べながら、おじさんのくたびれた胃腸とは全く異なる若い胃袋に感謝する。


 老眼もなければ肩こりも腰痛もない。グッスリ眠れる若い体というのは本当に素晴らしい。異世界に生まれ変わってよかった、と思える一番の瞬間かもしれない。いやまあ、若返るだけなら転生先が日本でもアメリカでも変わらないのだろうが。


「親方、そんなに飲んで大丈夫ですか?」


「あんだあ、儂はまだ全然酔ってねえぞ! うん? なんだ、そんな熱い視線を寄越しやがって! とうとう儂に惚れたか! がっはっはっは!」


「まさか。親方が酔い潰れてしまったら、私の細腕では家まで連れ帰ることができないからどうしようって心配してるだけです」


「なんでえつまらん! お前さんみてえなまだすれてねえ可愛い娘がよお、こんなジジイに愛想振り撒いてくれるからよお、儂はてっきり新手の美人局かハニートラップかと最初は酷く怪しんだもんだぜ?」


「そういうの多そうですもんね、親方。お疲れ様です」


 頑固職人の人間国宝、いやドワーフ国宝を篭絡したい、或いは仕事を断られた腹いせに親方の弱みを握って強請ってやりたいと考えるロクデナシはそれなりに多くいるらしい。だから親方の家は工房と徒歩0分の距離にあるのだろう。


 結婚しないのもそのせいだろうか、と尋ねそうになったが、さすがにそんなプライベートなことを訊くのは失礼だと思うので、私は炭酸ジュースでその質問を呑み込んだ。


「なあに、いざとなったらここの地下2階に泊まっていきゃあいい。ここは連れ込み宿も兼ねてるからな。儂も昔はよくお世話に、っと、口が滑っちまった。悪いな!」


「それなら安心ですね。酔っ払った親方が階段を転げ落ちなければ、の話ですが」


「言ったなこの野郎! 儂はまだそこまで耄碌してねえぞお!」


 何はともあれイカルガ親方は大仕事を無事にひとつやり遂げた。親方の作ったピアノは春の新入生歓迎会とやらでお披露目され、その名をまた上げるだろう。私のクビも二重の意味で飛ばずに済んだ。


 ソニック公爵は長年に渡る娘のうつ状態が解消されニコニコだろうし、肩の重圧が下りたマンダリンお嬢様もこれからは少しずつ前向きになれるだろう。


 唯一の懸念点は退室するまでの間ずっと私を睨んでいた弟さんだが、そちらはきっと公爵がなんとかしてくれるに違いない。してくれますよね? してくれなかったら大変困るのですが。


「よくやったぜヌエ! さすがはうちの看板娘だ!」


「誰が看板娘ですか、誰が」


 酒が進み、更に酔っ払って上機嫌になった親方がその丸太のような腕を伸ばして私の頭をグリグリ撫でる。女の子、それも13歳の思春期の少女の頭を撫でるのはセクハラではあるまいか。


 いや、中身がおじさんだからそうでもないか。私としては親方のことは少し年上の上司ぐらいにしか思っていないのだが、親方からすれば娘どころか孫ほども年の離れた小娘である。


「ういー! ヒック! あー、いい気分だぜえ!」


「しっかりしてくださいよ、もう!」


 結局、最後はフラフラに酔っ払った親方の介抱をするはめになった。さすがにこの状態で地下2階まで下りるのは危ないからと、お店の主人のご厚意でこの個室に一泊させてもらえることになったのは本当にありがたい。


「すみません、本当に」


「いや、イカルガ親方はお得意さんだからよ。それにしても、今日はよっぽどいいことがあったんだろうなあ。こんな楽しそうな嬉しそうな親方、初めて見たぜ?」


「そうなんですか?」


「ああ。あんたが来てから、それまでくたばり損ないのジジイみたいだったのがまるで初孫ができたジジイみてえに元気に」


「おいうるせえぞお! うちのヌエにあることねえことベラベラ吹き込んでんじゃねえ!」


「はいはいっと。そんじゃ、毛布は勝手に使ってくれな」


「すみません、ありがとうございます」


 ぐがあ、と石造りの床だというのに平然と仰向けに寝転がり、高いびきをかいて眠ってしまった親方の隣で、私は毛布に包まる。親方にもかけてあげたが、すぐに跳ね飛ばしてしまった。


(……おやすみ、凛子)


『お父さんお母さんおやすみー!』


 室内に充満する酒気のせいで、一滴も飲んでないのに酔ってしまったのか、私は心地よい疲労感と酩酊に身を委ねながら、眠りに落ちていく。


 いつもはあの事故の瞬間ばかり夢に見るのだが、今日はなんだか、夢の中で笑顔の凛子に会えそうな予感がして。私は微笑みながら、眠りに就くのだった。

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