第7話 おじさんの娘、反省する。

 正直に言って、主人公(メヌエット)の歌は期待はずれもいいとこだった。いや、下手ではない。上手いは上手いのだが、それなりというか、それなり止まりというか。


 声帯が数多のアニメで主演を演じてきた大物女性声優さんなだけあって凄くいい声してると思うし、粗削りだがみがけば光る才能の原石のようなものは十分に感じた。


 だが、悪く言えばそれだけだ。何度も何度も原作ゲームやアニメで流れたメヌエットの素晴らしい歌声に比べてしまえば、今の彼女の歌はちょっと上手い素人のカラオケ程度でしかない。


「いかがでしたか? 今のが私の本気の歌声です。この期に及んであなたに遠慮してわざと下手に歌った、などと仰るのであれば、その時は手を上げることも辞さない覚悟ですが」


「それは、でも、あなたはまだ入学前だし……」


「入学試験であなたが披露した歌よりも上手でしたか?」


「それは、たぶん、私の方が上手かったと思うけど……」


「それが全てです。あなたと私の現時点での実力の差が、これでハッキリしました。あなたはまだ、ご自分の歌が私の歌に劣ると言い張るのですか? 公爵や親方が、私の歌よりもあなたの歌を評価することを、否定なさいますか?」


「……」


 『Perfect Harmony-君と僕の完全調和-』は育成要素のある乙女ゲーである。3年間に渡る学生生活の中でメヌエットは各パラメータを伸ばし、それらが一定の数値に達すると好感度イベントが起こるのだ。


 無論、好感度に関係なく発生する季節の学園生活イベントもあるし、パラメータの数値によってはそこで悪い結果が出ることもある。場合によっては攻略対象の好感度が足りずに、バッドエンドになることも。


 だから、彼女のパラメータがまだ低いだけ、と言い張ることもできた。だが、それは違うのだと私は分かっていた。分からされてしまった。


「何故あなたがそこまでご自分の才能を不当に低く評価し、頑なに卑下なさるのかは私には分かりません。ですが、それに付き合わされる周囲のことも考えなさい。あなたはあなたを心配するお父様や弟さんの気持ちを考えたことはありますか?」


「……ない。だって、私は音痴のマンダリンで、公爵家の恥さらしで……きっとみんなから恥ずかしい娘だって思われてると思ってた……」


「そんなことはないよ、リンリン。お前の歌声は、世界一だと私は胸を張って言える」


「お父様……」


 彼女の言葉がグサグサと私の胸に突き刺さる。何も知らないくせに! と反論したくなったけれど、私にその資格はなかった。だって、何も知らないのは私も同じだからだ。こんなメヌエットを私は知らない。ゲームでも、アニメでも、見たことがない。


 そして何よりも深々と私の胸を抉ったのは、お父様の笑顔だ。優しく私の肩に手を置き、それからそっと抱き締めてくれたお父様の温もりが、何よりも私の心を締め付けた。


「私は……わたくしは、お父様の真心を踏み躙ったのですね。それから、わたくしのために尽力してくださった親方様の真心も……」


 ボロボロと涙がこぼれてきた。私は私が恥ずかしい。なんて情けない、なんてバカな娘だったんだろう。後から後から涙が止まらなかった。お父様の胸に顔を埋めて、私は泣いた。


 乙女ゲームの世界に転生した、と戸惑っていた。悪役令嬢のマンダリンだから、と色眼鏡で見ていた。世界も、周囲も自分自身でさえも。そんなことはなかったのに。私が私を苦しめていたのだ。それなのに、周囲が私を苦しめるのだと被害者ぶっていた。


「ごめんなさい! ごめんなさいお父様! ごめんなさい……! わたくしは、間違っていたのですね!」


「全てがとは言わないが、そうだな。等身大の自分を正しく客観視できないという点では、きっと君は間違えていた。だが、それに気付けたのならば、これから変わっていけばいい」


「……はい! はいッ!」


 愚かな娘を、不出来なバカ娘を、それでも優しく抱き締めて慰めてくれるお父様。今度こそ、私は恥も外聞もなく、お父様に抱き着いてワンワン泣いてしまった。


――


「大変お見苦しいところをお見せしてしまい、本当に申し訳ございませんでした」


「いえ、私の方こそすみません。貴族のお嬢様に向かってあんな」


「いえ、いいんです。むしろ感謝しておりますわ。あなたに叱って頂けなかったらわたくし、この先きっとどこかで本当に取り返しのつかない致命的な過ちを犯していたと思いますので」


 まるでお父さんみたいだった。今のお父様ではなく、前世のお父さんだ。お父さんはいつも優しいけれど、私を叱る時はとても怖かった。だけど、理不尽に怒られることはなかった。いつだって私の間違いを正すために叱ってくれた。


 叱られた直後はそれが理解できなくて、不貞腐れたこともあったけれど、後でそれに気付いた時も、お礼は言えなかった。だって、そうでしょう? あの時は叱ってくれてありがとう、なんて。照れくさくて言えやしない。


(……お父さん……)


 前世のお父さん。私を庇おうとして、一緒に死んでしまったお父さん。ありがとうも禄に言えなかった。ごめんねも。私が外食しようなんて言わなかったら、ふたりとも死なずに済んだのに。どれだけ後悔してもし足りなくて。


 でも異世界転生してしまった私にとっては遠い過去の出来事で。でもやっぱり、きっと一生引きずるであろう前世の記憶。


 そんな記憶の中で徐々に色褪せていく、もう二度と会えないお父さん。そんなお父さんに、メヌエット、いや、ヌエはちょっと似ていた。いや顔がとかじゃなくて、雰囲気が。名前も、略すと鵺太郎っぽい。


「月並みな言葉ですが、頑張ってくださいね、マンダリンお嬢様」


「はい、頑張ります!」


 そうだ、頑張ろう。お父さんの分まで。この世界はゲームの世界にそっくりだけど、そこに生きる人間は本物の人間であって、ゲームのプログラムそのものではない。


 同様に私も悪役令嬢マンダリンかもしれないけれど、同時に山田凛子でもある。ゲームのマンダリンとは全くの別人であり、それはあなたも同じなのだとあなたが教えてくれたから。


 私は涙を拭いながら、とびきりの笑顔を見せる。ごめんなさいよりありがとうの気持ちを、どうしても伝えたかった。


「私からも是非お礼を言わせてくれ。まさかとは思ったが、娘のために本当にそこまでしてくれるとは思わなかった」


「では、それに免じて私からは恨み言を言わせてください。いつ公爵が激昂なさるか、気が気でありませんでしたので」


「まあ、そうなった時は儂が頭でもなんでも下げてやるさ」


 イカルガ親方の言葉に、どっと和やかな笑いが起こる。彼女には大変申し訳ないことをしたのだと、改めて頭が下がる思いだ。だって、平民の彼女が貴族のお嬢様に啖呵を切ったのである。


 かっこいいとかそういう問題じゃなくて、既に社会人として働いている彼女にとって、それがどれだけ大きなリスクであったかは考えるまでもなく私にもわかった。下手すりゃクビどころの騒ぎじゃない。打ち首だってあり得るのだ。


「イカルガ様。本当に申し訳ございませんでした」


「なんのなんの。もう己を責めるのはよしなさいお嬢さん。さっきもヌエが言ったが、儂は音楽に関してだけは本当に嘘は吐かん。あんたの歌声は素晴らしいもんだった。すぐには難しいかもしれんが、自信を持ちなさい。あんたにこのピアノを作ったことが間違いじゃなかったと、この老いぼれに思わせてくれ」


「ありがとう、ございます。ええ、ええ、きっと!」


 きっと今日この日のことを、私は一生忘れないだろう。むしろ忘れたくても忘れらなくて、真夜中にベッドの中で思い出してはゴロゴロする日が来るのかもしれない。


 でも、それでいいと思った。きっと私の異世界での第二の人生は、本当の意味でここから始まるのだから。

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