第2話 おじさんの娘、驚く。

「いよいよですのね」


「緊張しているのかい? リンリン」


「いいえ、と言いたいところですが、実は少し……」


「心配ないさ。君の実力があれば主席は間違いなしだ」


「お気遣いありがとうございます。ですが、在野には恐るべき才能を持った天才というものが往々にしてゴロゴロ存在するものですわ。いくら公爵家の英才教育を受けた身なれど、油断はできません」


「謙虚だね、君は。そんなところも魅力的なのだけれど」


 私はマンダリン・ノイズ。みんなからはリンリンという愛称で呼ばれている。ノイズ公爵家の令嬢であり、いわゆる転生者だ。この世界が乙女ゲームの世界であることに気付いたのは、幼少期。


 41度の高熱を出して倒れてうなされていた私は、自分が交通事故に遭って死んだ女子高生、山田(やまだ)凛子(りんこ)であったことと、この世界が『Perfect Harmony-君と僕の完全調和-』、略して完全調和の世界であることを思い出した。


 完全調和は素晴らしい歌声を持つ孤児の少女、ヌエが特待生として入学した音楽学校でその才能を開花させていき、女の子よりも音楽を愛する曲者揃いのイケメンたちから溺愛される神ゲーだ。


 大御所声優たちがその実力を遺憾なく発揮して甘い声で囁きまくり、書き下ろしのキャラソンを熱唱して数多の乙女たちを虜にしてきたこの神ゲーは、深夜アニメにもなった。


 一部メインキャストの声優が変更されたり作画がイマイチだったりで、アニメの出来はそんなにはよくなかったものの、それでも私は好きだった。そんな乙女ゲームに登場する悪役令嬢が私の転生先である。


「次はいよいよ義姉さんの番だよ!」


「安心してください。あなたはいつも通りやればいいだけです」


「何も心配する必要はない。頑張れ」


「ありがとう、みんな!」


 私の婚約者であるフォルテ・ハルモニア王子。ノイズ公爵家の養子であり私の義弟でもあるアルト・ノイズ。宮廷楽団長の息子、ソプラ・ノートゥング。騎士団長の息子、メッゾ・ブラウン。


 いずれも完全調和の攻略対象であり、本来であれば主人公のヌエに好意を寄せ、悪役である私を断罪するはずだったイケボのイケメンたち。


 いくら歌が上手いからって平民の女生徒が王子様と結婚できるわけないじゃん、と思うなかれ。そこは安定の乙女ゲームである。


 出自も身分も関係なく、ただ素晴らしい音楽を追求することこそが至上の命題であるという『音楽至上主義』を掲げるハルモニア国立音楽学院内では、王子であろうと貴族であろうと平民であろうと皆等しく音楽の名の下に平等な学徒であるため身分を振りかざすことはできない。


 もちろんそんなものは表向きの口実にすぎず、実際には明確な学生カースト制度などがキッチリ存在してはいるのだが、そんなものは恋の障害となって身分違いの恋を盛り上げる多ためのスパイスでしかないのは皆さんご存じの通り。


「次! エントリー№1492番! マンダリン・ノイズ」


「は、はい!」


「ほう? 彼女が噂の」


「なんでも公爵家の至宝と噂されているとか」


「それは実に楽しみですな」


「エントリー№1492番! マンダリン・ノイズと申します! 本日はよろしくお願い致します!」


 伴奏が始まり、私はそれに合わせて歌い始める。悪役令嬢マンダリンの仕事は音楽の才能は皆無だが金の力で裏口入学した挙げ句、才能あふれる主人公に嫉妬して彼女を平民風情がと見下しいじめ抜くことだ。


 最後は卒業発表の場で彼女のジュースに喉を焼く毒を混ぜて二度と歌えないようにしてやろうと悪事を働いたところを寸でのところで阻止され全ての悪事を暴かれ、婚約を破棄されるの。


 その後はどのルートでも共通で主人公に飲ませようとした毒入りジュースを自分が飲んでしまい、自分が喉を焼かれて二度と声を出せないようになったところを騎士団に逮捕されるという悲惨な末路を迎えるのだ。


「お、お粗末様でございました。御清聴ありがとうございました」


 ペコリと頭を下げる私に、しん、と静まり返った音楽ホール。そんなに酷かっただろうか、と泣きそうになる私を前に、入学試験を見物に来た大勢の観客や審査員たちが一斉にワーッ! と万雷の拍手喝采を行う。観客席総立ち、いわゆるスタンディングオベーションという奴だ。


 ハルモニア国立音楽学院の入学試験はこの国の一大イベントである。将来性のある子供はいないか、スターの卵はいないか、大勢のお偉いさん方が視察に来るのだ。そのため入試の見物をするためだけに、とんでもない巨額の大金が飛び交う。


 つまりはそれだけ厳しい目が向けられるということでもあり、中には舞台に立っただけでプレッシャーに圧し潰されて泣き出してしまう子供もいる。たとえ貴族だろうと王族だろうと、実力がないと判断されれば容赦なく落とされる修羅の世界。そんな厳しい試験、なのに。


「おお! なんと素晴らしい歌声!」


「まるで天使のようだ!」


「素晴らしすぎる! 主席の座は満場一致で彼女で決まりですな!」


(なんで!?)


 そう、原作のマンダリンには音楽にまつわる才能が皆無という設定があった。歌ってもだめ、踊ってもだめ、楽器を弾いてもだめ、とだめだめ尽くしのマンダリン・ノイズに私は転生してしまった。


 そのため私は幼い頃から自分は音痴なのだから、と身の程を弁えてひっそりと生きていくことを決めたのに、何故か周囲はそんな私に『君は天才だ!』『君の歌声は素晴らしい!』『義姉さんの歌は世界一さ!』などと絶賛するのだ。


 前世、音楽の成績が2だった私にそんな才能があるはずもなく、ましてやこの身は音痴令嬢マンダリンのもの。恐らく私がフォルテ王子の婚約者だから、皆が気を遣ってくれたのだろう。


 世界最大の音楽の国であるハルモニア王国で、王子の正室が音痴であっていいわけがない。だからこそ原作のマンダリンも『私は歌が上手いんだ!』と病的に思い込み、才能あふれる主人公に嫉妬したのだろう。その気持ち、今なら凄くよく解る。


(でもだからって、限度ってもんがあるでしょ!? これじゃあてつけがましいどころの騒ぎじゃないじゃない!)


 誰が聴いても納得できる、素晴らしい歌声の持ち主だけが伝統ある名門校の狭き門をくぐることを許される。それなのに、なんだこの大袈裟なヤラセっぷりは。私は恥ずかしさのあまり、今すぐ死んでしまいたくなった。


 いたたまれない。恥ずかしい。本当にやめてほしい。いくらサクラだからって、限度ってもんがあるでしょ!? と叫びたくなる。こんな惨めな思いをさせられたら、そりゃあ原作のマンダリンだっておかしくなるよ!


「素晴らしかったよリンリン。さすがは僕の天使だ」


「ありがとうございますフォルテ様。お耳汚しお恥ずかしい限りですわ」


「何言ってるのさ! 義姉さんの歌声は最高だよ!」


「ああ、相変わらず謙虚すぎるなリンリンは」


「謙遜も過ぎれば嫌味になりますよ?」


「あの、本当に! 私なんて大したことありませんので!」


 真剣にやめてほしい。審査員の先生方の中には感動の涙を流す演技までしている者もいた。というか、全員が感動のあまり号泣している。そんなに泣くほど下手だったのだろうか、私の歌は。


 確かに原作のマンダリンほど下手ではないだろうが、それでもカラオケで最高87点しか取ったことのない女の歌がそこまで人を感動させるわけがないだろうに。いくらなんでもやりすぎである。誰か止めてよ! いくらなんでもわざとらしすぎますよって!


「以上で入学試験を終わりと致します」


「え?」


 そんなはずがない。原作ではマンダリンが酷い歌を聴かせて観衆をウンザリさせた後に主人公であるメヌエットが最高の歌声を披露することで拍手喝采を浴び、満場一致で特待生として入学許可を得るところから始まるのだ。


 フォルテ王子をはじめとする攻略キャラたちも、そこで主人公に興味を惹かれる。であれば、私で終わるはずがない。


「ま、待ってください! あと1人残っているでしょう!?」


「いや、君で最後だが」


「そんなはずありません! そうだわ! きっと遅刻してるのよ!」


「義父さんがわざわざ手を回して、義姉さんにトリを飾らせたんだよ? 公爵家に逆らってまで、義姉さんの後に誰かを歌わせるはずがないと思うな」


「そもそも、神聖な入学試験に遅刻してくるような不届き者は伝統ある学院に不要だと思うが」


「まったくです。そんな受験生がいたらどれだけ才能があろうとその場で失格ですよ」


「そんな!?」


 乙女ゲームの世界なのに、主人公のメヌエットが不在。そんなことがあり得るのだろうか。ひょっとして私のせい? 私が原作のマンダリンと違う行動を取ってしまったから、どこかで運命の歯車が狂ってしまったのだろうか。


「あ!? リンリン!?」


「義姉さん!?」


「マンダリンが倒れたぞ! 誰か担架を!」


 意識がふらっと遠退いていく。ああ、なんだか前世でもこんなことがあったような。あの時は確か、血相を変えた様子のお父さんが私に覆いかぶさってきて、それで……。

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