第1.5話 異世界のクリスマス事情

 イカルガ親方の楽器工房で働かせてもらえるようになってから、私の収入はかなりのものになった。その内訳に守秘義務に対する口止め料のような意味合いが含まれているというのもあるが、孤児院の子供たちのために以前よりも多めに生活費を収め、それから、未来に対する貯蓄ができるようになったのは非常にありがたい。


「ま、それが理解できるお頭の持ち主だからお前さんを選んだんだがな」


「防犯意識や危機管理能力は大事ですものね」


 特に日本ほど治安のよくないこの世界では。親方に付き添ってもらい、ダカーポ銀行へお金を下ろしに行く。以前は臨時のパート社員的な扱いであったのと、私が目先の現金を所望したため日当制にしてくれたのだが、正式に雇われてからは他の職人たち同様、毎月きちんとしたお給料が振り込まれるようになった。


 工房によっては弟子入り志願者なのだからお給料なんて出るはずもなく、タダで労働させられながら仕事は見よう見まねで盗め、みたいなところもあるそうなのだが、イカルガ楽器工房ではきちんとお給料が出る上に指導もしっかりしているためとても良心的だ。


 とはいえ私はまだ12歳、おまけに親のいない孤児。独りで銀行に行っても信用のなさで相手にしてもらえるはずがなく、口座開設には身元の保証人兼上司としてイカルガ親方に付き添ってもらう必要があった。


 加えて貧民街で大金や貴重品を持ち歩くというのは極めて危険な行為だ。『貧民街で盗みや強盗を働く奴なんかいないよ。だって盗れるものを誰も持っていないんだからさ』と皆は冗談めかして言うが、私は盗れるものを持ってしまったわけだから、狙われる確率も上がる。悲しいかな、貧しさや大金はどうしても、容易に人の目を眩ませてしまうのだ。


 そのため普段は通帳を親方に預け、必要に応じてお金を引き出す際にだけ借りるようにしている。独りで行けます、と主張しているのだが、こうして毎回律義に付き添ってくれるイカルガ親方には本当に頭が上がらない。彼は工房の職人さんたちにそうするように、私に対してもきちんと目を光らせ、気を配り、必要な時に手を貸してくれるのだ。


 社員は家族、とか、アットホームな職場、とか。そういった文言は前世ではやりがい搾取がしたいブラック企業の垂れ流すタチの悪い能書きでしかなかったが、イカルガ楽器工房は確かにファミリーのような職場だった。イカルガ親方のコワモテの前でイカルガ・ファミリーなどと言うと、また別の意味を持ってしまいそうな気もするが。


「そのうち帳簿の管理も手伝わせてやるから覚悟しとけ」


「いいんですか?」


「ああ。数字と睨めっこせにゃならんのは儂の頭痛の種だからな」


「ありがとうございます。信頼に副えるよう頑張ります」


 事務を任せてもらえるようになるのは嬉しい。信頼を得られた証だからだ。学生時代取得したきり特に活かせる機会のなかった日商簿記3級の資格が、ようやく輝く時が来たようだ。


「すみません、お待たせしてしまって」


「構わん。どうせ急ぎの仕事もないからな」


 年末ということもあり、銀行はとても混雑していた。ただお金を下ろしたいだけなのに随分と待たされてしまい、私は恐縮しながら親方に頭を下げる。窓口で呼ばれるまでおとなしく待てない老人というのは多いものだが、彼は忍耐強く辛抱強く、ため息ひとつ吐かずにずっと隣に座ってくれていた。


「お気遣いありがとうございます。あの、よかったら何かお礼を」


「ガキが気を遣うもんじゃねえ。そんな金があるなら、孤児院のガキどもに土産でも買ってやれ」


「すみません、重ね重ねありがとうございます」


 冬晴れの街並みを親方と並んで歩く。この世界の文明レベルはかなり進んでいる上、奇妙なことに、何故かクリスマスやお正月、バレンタインにホワイトデーといった行事が存在しており、12月の繁華街には見上げるような大きなクリスマスツリーが飾られ、恋人たちの憩いの場となっているのがなんとも微笑ましい。


 日本でもよく見かけるサンタクロースの格好をした者も何名か見受けられ、屋台で軽食を売ったり路上で音楽を演奏するなどしている。なんとも不思議な光景だ。別の世界に生まれ変わったからには、クリスマスもサンタクロースも存在しないのだろうと思っていただけに、感慨深いものがある。


 世界一の音楽の国というだけあって、街中にはクリスマスソングが沢山流れていた。さすがに日本で聴いたことのあるものは一曲もなかったが、この世界独自のクリスマスソングがあちこちで流れ、誰もが楽しげに浮かれている様子は、たとえ異世界であってもそこに住む人間の在り方に、左程大きな違いはないのだなという気持ちにさせられる。


「今年の孤児院のクリスマスは親方のお陰で、例年よりも華やかに過ごせそうです」


 孤児院のクリスマスが豪華だったためしはない。毎年いつもと変わらぬ食事と祈りの言葉、それと院長先生による絵本の読み聞かせがあるぐらいだ。原則として孤児院では、クリスマスプレゼントやお年玉といったものは禁止されている。故に、私が工房のお給金で皆に何かを買い与えることは許されない。


 タダでものをもらえることの味を覚えさせてはいけない、とか。欲しがる気持ちはトラブルの火種になる、とか。色々理由があるためそこは仕方がない。とはいえ、私がいつもより多めに生活費を収め、それでいつもよりオカズが一品増える、とか。或いは親方からの頂き物という体でホールケーキをひとつ持ち帰って、みんなでそれを一口ずつ分け合って食べる、程度なら、目を瞑ってもらえるだろう。


 孤児院に住み、働きに出ている子供たちには、皆余裕がない。13歳になったら出て行かなければならないことへの重圧、そのためにお金を少しでも貯めなければという考え。それ故に必要最低限の生活費だけを収め、後は全額貯蓄に回す、といった行為は、至極真っ当なものである。


 だからこれは、中身が元おじさんである私からのただのお節介だ。前世、一人娘を溺愛し、クリスマスは愛する家族と幸せに過ごすことが当たり前だった私からすれば、どうしても不憫に感じてしまう孤児たちへの慰め。自己満足に過ぎない。けれど、それで孤児院の子供たちが少しでも笑顔になるのであれば。それぐらいのエゴは、どうか許して頂きたい。


「そうか。そりゃよかったな」


「はい! 本当にありがとうございます!」


 私が精一杯の感謝を伝えるべく満面の笑みを浮かべると、親方が一瞬足を止めた。どうしたのだろう、と彼の顔を見ると、彼は少し赤くなった顔を隠すように慌てて視線を逸らしてしまう。ああ、照れているのか。


――


「お疲れ様でした!」


「おう、お疲れさん!」


「メリークリスマスヌエちゃん!」


「今夜俺の予定朝まで空いてるからさ!」


「いつでも遊びに来てね!」


「あはは、皆さんもメリークリスマス!」


 クリスマス当日。その日は平日だったため、仕事を終えた私は工房の皆に別れを告げた。朝から曇っていた空はうっすらと雪が舞い始め、寒さでかじかみそうになる手をコートのポケットに入れる。工房の皆は今夜、近くの酒場でヤケクソクリスマスパーティーをするそうだ。


 一部既婚者や彼女持ちの方々は参加を辞退したらしいが、それでも結構な人数で朝まで飲んで食べて騒いで盛り上がるらしい。私も誘って頂けたのだが、孤児院の子供たちのことがあったので今年は辞退させてもらった。来年にはもう私は孤児院を出て行かなければならないため、今年は皆と過ごせる最後の機会なのだ。


「気を付けて帰れよ。あと、こいつは特別ボーナスだ」


「いいんですか?」


「ああ。あいつらには内緒だぞ。うるせえからな」


「ありがとうございます!」


 帰り際に呼び止められ、親方がケーキ代を本当にくれた。期待していなかっただけに、予想外のサプライズが嬉しい。私は深々と頭を下げる。


「いいってことよ。今年で最後なんだろ?」


「はい」


「じゃあ、キッチリいい思い出作ってきな」


「はい! メリークリスマス、親方!」


「おう、メリークリスマス」


 赤い衣装ではなかったけれど、ぶっきらぼうに手を振るフサフサお髭の心優しいドワーフのお爺さんは、紛れもなく私にとって、最高のサンタさんだった。 

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