第五十六話 マリーゼ邸にて待つ

帝国首都の片隅にある小さな下宿の、小さなキッチン。

その水道の細い蛇口から、室内に向かって老人の声が響く。


「姉上」


「……ああ、アンタね。今更、何の用?」


ベッドに横たわるシェアリアが、覇気のない口調で答えた。


「御挨拶ですのう。

六百年振りの姉弟の会話だというのに」


「帝国筆頭公爵家の当主を継いで、健康で長生きして、さぞや楽しい人生を送ったんでしょうね、アンタは」


「姉上が不老長寿の実験にはまってさえいなければ、そうじゃったの。

医学だけに飽き足らず、悪魔召喚にまで手を出して……


『スレイター公爵家において、当主及び後継者以外の魂を売る代わりに、長寿と財産を手に入れる』


そんな契約じゃったかな?

身内はバタバタ逝ってしまうし、一人で全て抱えて、大変だったのう。


それより姉上はそれだけ好き勝手して、自分が廃嫡されることは予想しなかったのかね?

いくら男女関係なく、長子が相続するのが当たり前の帝国とはいえ」


「親にいろいろ吹き込んだ本人がよく言うわね」


「ホッホッホ、まあ、それはさておき……


今日は伝言を預かってきたんじゃ。

姉上みたいな化け物に会いたいという、奇特な方がおられての。

かつてのスレア伯爵邸で待つとのことじゃ」


「ああ、あそこね」


「相手は、そこの女主人じゃ。

べっぴんさんじゃよ。

ここからは少し遠いが、いつでも来るようにとのことじゃ

これで用件は全部伝えたから、ワシはもう戻るよ……」


そう言い残し、老人の声は聞こえなくなった。




「幽霊屋敷の女主人……多分、ハリーの奥さんよね。

場所まで指定してくれて、探す手間が省けたわ。

もう時間がない。

あの能力……必ず手に入れて、この世で生き延びてみせるわ」


静かになった部屋で、シェアリアは一人、ほくそ笑んだ。




***




あれから数日。

私は旧スレア伯爵邸こと、現マリーゼ邸に戻っていた。

ジェームスが立てた作戦では、まずはこの屋敷にシェアリアを呼び寄せることになった。

生身の人間のヘレンさんだけは、一時的に宿に避難してもらっている。


だけど気になるのは……


「ねえ、本当に大丈夫なの?

ここはもう皆の家なのに、戦場にしてしまって……」


屋敷の中央にある広間で、私はジェームスに改めて問い掛けた。


「大丈夫。

そもそも、私達はもう死んでいるんです。

今更あの女が来たって、これ以上どうなることもありません」


「そうですよ! マリーゼ様。

ここなら私達以外にも協力してくれる古い霊達もいます。

むしろ、マリーゼ様が私達のいない場所であの女と戦って、何かあったらと思うと……

その方が、よほど心配です」


アニーが両手を握って、必死な表情で訴える。


「……かつて、あの女の脅しに屈したワシなんぞが、ここに加わっていいのか分からんのですが……

しかし禊を済ませたいんです。お願いですから手伝わせてください」


ジョンもおずおずと続けた。


「ここはもう、シェアリアがいた頃の屋敷とは違います。我々のホームです。

おそらく総力戦になるのですから、最高の舞台を用意しなくては」


ジェームスのその言葉に、屋敷に棲みついている昔の霊達も、頷いている。




……そうかもしれない。

私にとって、ここがシェアリアと出会い、虐げられた場所だ。

ここで終わらせることで、自分の中でも区切りが付けられる気がした。




「マリーゼ」


アールが私の肩に手を置く。


「本当に危険を感じたら、即、幽体離脱して逃げてくれ。

魂を食わなければ乗り移りができないのなら、それで乗っ取りは回避できるはずだ。

自分を犠牲にすることだけは、しないで欲しい。

俺もなるべく近くにいて助けるから、どうか……」




険しい表情の彼に、どう返事をしようか迷っていると、厨房を担当する古いメイドの霊が、こちらに駆け込んできた。


「アノ女ガ、コチラニ近付イテイマス! アト百メートルマデ来マシタ!」


シェアリアの居所は、川の主が随時、地下水脈を使って教えてくれている。

もうすぐこの屋敷に辿り着くだろう。


「皆、協力してくれて感謝するわ。

さあ、持ち場に戻って!

きっと、この呪いを終わらせてみせるわ!」


私は改めて全員の前でそう宣言した。

霊達が、一斉に自分の担当する場所に戻って行く。




数分が経ち……

鍵を掛けていない玄関の両開きの扉が、蝶番の軋む音と共に、ゆっくりと開く。


「フフ、鍵も掛けないなんて、不用心ね」


シェアリアは、身体にピッタリとした、無駄のない黒装束を身に付け、コンパクトな黒いアタッシェケースを手にしていた。

それを一旦床に置くと、スカートも無いのに完璧なカーテシーを取り、艶然と微笑んだ。




「……お招きにあずかりまして、どうもありがとうございます。

シェアリア・スレイター公爵令嬢と申します。

以後お見知り置きを……


なんてね」

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