どれだけ不幸せを呪っても 


 わたしとあなただけ


 拡散して 溶けて このまま薄まっていくの


 もう嫌で


 翼だけを生やして飛んでいって 


 近いようで遠くて 一面のあおでは分からなくて


 空ではなくて海で


 泳げないわたしは海の底


 希釈されて 静かなみんなに薄まっていく



 あなたに還れたらいいな



 ら、ら、ら、ら――




 終わった。

 何気なく聞いていた早川さんの声。その、少し高くて震えるような声は、歌声になると、刃物で刺すように僕の心へ入ってくる。

 その歌は短い、抽象的な歌だったけれど、アンドロイドの境遇を歌っている気がした。

 打ちひしがれている僕に、彼女は言う。

「ど」

 ──う

「だ」

 ──っ

「た」

 イヤホンを通した声と声帯とを器用に切り替えて、いたずらっぽく笑う。それはきっと照れ隠しで。

「よく有線イヤホンなんて持ってるね。そういう時代遅れのものを使ってるの、好きだなぁ。わたしと同じ」

 彼女は自分のポケットから、白い有線イヤホンを引っ張り出して、ぷらぷらと揺らす。

「ところで、ど、どうしたの、それ」

「これ? この前、我慢できずに開けちゃった」

 彼女は首元をさすりながら、ピアスの穴を開けた、みたいに無邪気に言う。

 一般的に、アンドロイドの物理インターフェース──ケーブルのコネクタやフラッシュメモリのポートなど──は生体フィルムによって皮膚への偽装が施されるが、それが難しい場合、人目につかない部位に配置される。例えば、鼻腔内、口腔内、陰部など。アンドロイドが意図的に、自分がアンドロイドだと分かるように外見に差異を作ることは法で禁じられていて、彼女の耳の後ろのコネクタはぎりぎり反社会的だ。

「音楽の再生くらいは脳内で出来るけど、やっぱり、イヤホン通して鼓膜センサで聴きたい。悪ぶってる部分も、正直あるけど」

 最近は、違法なアンドロイド用の身体改造キットが流通しているらしく、彼女はそれを使ったのだろう。

「何となくわかるよ、その感じ」

「霧島君には分からないよ、人間だもん」

 ああ。またに戻ってしまった。この世の全てに失望した、厭世家の笑みに。実際自分に向けられると、ほとんど嘲笑に感じてしまう。

 そして、早川さんの言う通り、その感覚は分からない。

 その理由は、人間だからではなく、僕はイヤホンを擬態に使っているから。

 白状しよう。僕もアンドロイドだ。

 標準OSオペレーティングシステムでメディア再生ができるアンドロイドには、イヤホンなんて要らない。ましてや有線なんて使っていたら、まずアンドロイドとは思われない。古い物が好きな変わり者に見られる程度だ。僕は、迫害から目をつけられたくない小心者だった。彼女のイヤホンジャックはアンドロイドとしての小さな反逆を、そして生体機械という自分を楽しんでいるようで、僕には眩しい。

「急にごめんね。こんなこと話しちゃって。なんか、気持ちがふらふらしてるみたい」

 いつの間にか、早川さんの声は震えていた。あんなことがあったのに平然としているのが不思議だ、と先ほどは思ったけれど、やはり悲しみはあったのだ。無理に彼女と接して、僕自身がその悲しみを抑圧させていたのではないか。

 両の下瞼に、いっぱいに涙を湛えて、彼女は呟く。

「今まで誰とも分かり合えなくて。でも、たとえ人間だったとしても、霧島君はわたしと同じものを持ってる気がして」

 涙が一筋。頬を伝う。

「打ち明けてもいいかも、って思ったの」

 そうして、彼女はぽろぽろと涙を落とす。

『どれだけ不幸せを呪っても』『拡散して 溶けて このまま薄まっていくの』

 そう歌った、彼女のうれいは痛いほどよく分かった。願ってもいないのにアンドロイドとして生まれて、人間に紛れて生きる宿命を背負わされてしまって。このままずっと、誰とも分かり合えないまま、秘密を抱えて生きていく。皆と同じ人間として。

 そういう孤独を、僕も確かに持っていたのだった。

 そして、僕はどこまでも腰抜けだ。こうして彼女が落涙しているのにも関わらず、何も出来ずに立ち尽くしているだけ。醜い庇護欲を発揮させる気にもなれなかった。


 早川さんは泣き腫らした目を拭って、立ち上がる。

「もう大丈夫。さ、帰ろ」

 未だ腰を上げることのできない僕に、手を差し出しながら続ける。

「どうしたの、そんなに感動したの」

 それはもう、感動した。感動、という言葉で表すのをためらうくらい。しかしそれを伝える前に、言わなければいけないことがあった。

 僕は無い勇気を振り絞って、彼女の名前を呼ぶ。

「早川さん」

「名前で、いいよ」

ミゾレさん」

 霙さんの手を借りて、今度は僕が立ち上がる。

 言わなければ。

 僕は、空いている左手で右手首の生体フィルムをびりびりと剥がす。このフィルムはそれなりに高価なのだけれど、気にしていられなかった。

 霙さんへ、露わになった手首を示す。

 そこには、標準規格の通信コネクタが、僕の肌の上で異物感を主張している。

 目を丸くしている彼女。

 僕は告白する。

「僕もアンドロイド、なんです」

 勢いで語尾が揺れてしまう。

 少しの沈黙の後、霙さんが笑う。

 その笑みは、喜び一色で。


 ずっと彼女が纏っていた諦観が、今晴れた気がした。



《了》

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