第10話 「出来ない」ときは、人を頼ればいい
会社員というキャリアの中で、幾度と無く同じ失敗を繰り返してきた私は、もうこれが最後だと腹を括り、ビクビク怯えながら4回目の転職を迎えたものの、新しく入社した職場は自分が思っていたのとは大きく異なる未知の世界だった。
今の会社に入ったことは、結果的に私にあらゆる大きな気付きをもたらしたと言える。
人にはどうしても向き・不向き、得意・不得意がある。不得意なことにどれだけ時間を掛けて頑張っても、キャパシティに限界がある。
だけど自分は長い間「出来ない」ことにひたすらコンプレックスを持っていて、「出来ない」ことはいけないことなんだと思い込んできた。
人の何倍も時間を掛けて頑張らないといけない、それでも出来ないならそれは悪だと思えば思うほど、頭が苦しくなっていく感覚と共に生きてきた。
しかしそうではないということを、今の職場が教えてくれたのだ。
「どうしても出来ない」ことは物理的な限界ということでもある。多分人は生まれた時からそれぞれにそれぞれの能力が与えられている。ということは同時に、与えられなかった能力もある。
だから自分が苦手なことは自分以外の誰かが得意だったり、反対に他人が苦手なことは自分が得意だったりする。それはごく自然なことだし、自分だけでなく誰にでも当てはまることなのだ。
出来ないことに対して過剰に自分を責めないこと。そして出来ることにもっと目を向けて、自分を褒めてやること。それが私には足りなかったのかと気が付いた。
これに気が付いたのは、今の職場がチーム体制で成り立っているからかもしれない。
どちらかというと立ち上がったばかりで、まだ働き方が仕組み化されておらず、属人化しているようなベンチャー的環境で働いてきたことの方が多い私は、一人で領域の広すぎる業務を担うことが多かった。そうなると、出来ない、なんて言ってはいられない。
しかしチーム体制となると予め各々にある程度の役割分担があるし、日頃から密に連携を取り合い一つのタスクに全員が協力して取り組む習慣がある。
入社間もない頃、自分は数字に関する業務が苦手だと言うと、だったら私は得意なので丸ごと投げてください、とチームメンバーに言ってもらえたことには驚いた。
コミュニケーションが苦手で、会議などの人前で話す場では異常なまでに上がってしまう、と言えば、時間を取って一緒に解決策を考えてくれるし、助言をもらえる。臨機応変に返答出来ず頭がフリーズした時は、慌てずに「ちょっと待ってください、いま頭フリーズしてます」と正直に言ってしまえばいい、と言われた時は、なるほど、その考えは全くなかったと思った。
また、過集中で心身が擦り切れるまで働いてしまう時がある、と相談したら、疲れたと思ったらちゃんと休んで、定時で上がった後は残業せずダラダラとリラックスして過ごして、など、それまで決して掛けられたことのない言葉のオンパレードに、良い意味でカルチャーショックを受け続けた。
そしてそれらは決して悪いことではないということも同時に教えてもらった。
出来ないことでいつまでもウンウンと悩むより、出来ることに時間を使って、得意なことをどんどん伸ばしていったほうがチームにとっても効率的だし、考えてみれば自分にとっても夢がある。
業務的な自分の好き・嫌い、能力的な得意・不得意を積極的に開示して共有し合う文化にも助けられている(これも「チームビルディング」の一環である)。
私は自分がADHD/ASDで、人よりも極端に苦手なことがある、とまで公言しているので(なんならこの文章もシェアしている)、もう隠すことも無いし、一人で悶々と負い目を感じて塞ぎ込むことも無くなった。
日頃から自分の適性に目を向け配慮してくれ、困ったらシームレスに相談できて、精神的な負担を溜めずに働くことのできる今の環境には感謝しかなく、どうにか自分の働きで、手厚く気に掛けてくれるチームにコミットしたいという気持ちが、今は何よりも強い。
発達障害でもフルタイムのサラリーマンはできるのか Mai-kou @maikou94
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。発達障害でもフルタイムのサラリーマンはできるのかの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
記憶カメラ/松原りあん
★6 エッセイ・ノンフィクション 完結済 12話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます